まつえ若武者隊のブログ

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ファイナルステージ

事務局です。
結成以来、本日まで「まつえ若武者・舞姫隊」を応援いただきありがとうございました。
皆様のご声援に関係者一同、本当に感謝しております。
地元だけではなく、遠方からもたくさんの皆様に応援いただきました。
すべての方にファイナルステージをご覧いただければよかったのですが、代わりにその時の様子を動画でアップしました。どうかご覧になってくださいませ。
若武者・舞姫とも12月28日には離任式を行い、明日1月1日からは各々の道を歩み始めます。
この先どんなことがあろうとも皆様に応援いただいたこと、彼らは決して忘れないことと思います。
彼らがこのブログを書くことはもうないのかもしれませんが、悲しいとき、辛いとき、もちろん嬉しいとき、楽しいときも、必ずこのブログを見て、皆様のことを思い出し、それぞれの人生を精一杯歩むことと思います。
このブログはしばらくこのままにしておくつもりです。
最後の瞬間をご覧いただいた方もそうでない方も、動画でご覧いただき、励ましのメッセージを書き込んでやってくださいませ。上司となりました者の最後のお願いでございます。
2007年から5年間の松江開府400年祭、そして本年の開府博、「まつえ若武者・舞姫隊」にご声援をいただき、誠にありがとうございました。

↓↓↓ファイナルステージの様子↓↓↓
※すべてハイビジョンでご覧いただけますので、サイト上で調整しDLしてご覧ください。

修理のお年玉話

 皆様、お正月の準備はおすみですかな。いつもお正月のように目出度い、出雲修理でござる。
 さて、お正月と言えば、お年玉でござるが、その起源は中世まで遡ると言われておる。そしてその頃は武士は太刀を、町人は扇を贈ったらしい。だからといって、拙者の地の太刀は、これしかござらぬゆえ、差し上げられぬがな。拙者がお渡しせずとも、皆様にはきっと、新年にお年玉がござるよ。来年はいい年になるであろうからの。
 いよいよ今年も残りわずか、残りの御髪も残りわずか、御髪のお手入れに余念のない出雲修理でござった。

多数のコメント

 皆様、今まで、本当にお世話になりました。
 まだ、コメントをおよせいただく方もあるかとは思いますが、仕事納めも終わったことですし、ここで、皆様からのコメントの集計結果を発表したいと思います(12月29日、19:00現在のコメント数です)。ちょうど、二桁、10コメント以上を送ってくださった方が10名ですので、この10名を入賞者、として以下に発表いたします。
 
 第十位 10コメント
    ウリ☆チビママ 殿
 遠き、山陽の地からお越しいただき、こうやって多くのコメントを頂いたこと、感謝でござりまする。
 
 第九位 14コメント
    ゆみ 殿
 皆様でお越しくださり、ありがとうござりました。そして、フォトコンでは一味違う写真での応募、こちらもまたありがとうござりまする。
 
 第八位 15コメント
    幸村(双子のパパ) 殿
 こちらはさらに遠き、河内からお越しいただき、こうやって多くのコメント、そしてフォトコンにも参加していただきました。ありがとうございました。
 
 第七位 20コメント
    tokko7d 殿
 初コメントが遅かったのに、その後多くのコメントをいただいたということが分かります。特に、惣ヱ門との真摯な意見交換は、他の方にも多大なる影響を与えたのではないか、と。拙い文章で、失礼いたしました。
 
 第六位 22コメント
    あさみ 殿
 松江にお越しになりたいという願望が実現しなかったことは真に残念でございますが、茶々丸を主軸に、本家のいらっしゃる名古屋の地から、我らにエールをいただいたこと、決して忘れはしませんぞ。
 
 第五位 25コメント
    Seiryu 殿
 なんといっても、入母屋破風と千鳥破風の説明、ありがたく存ずると共に、自分たちの浅識を恥じ入るのみにござりまする。その節は、本当にありがとうございました。
 
 第四位 38コメント
    みゆき 殿
 一族郎党共々でお越しいただき、真にありがとうございました。何度もお会いしている分、失礼な振舞い、あったかと思います。特に、誕生日の近かった惣ヱ門が、要らぬことをあれこれと言ったこと、後できつく叱っておくゆえ、お許しくだされ(出雲修理より)。
 
 第三位 45コメント
    pione(藤吉郎) 殿
 岡山から、そして岡山駅前にもかけつけてくださり、ありがとうござりました。博識のご様子、感服すると共に、数々のアドバイスをいただいたことも、感謝、感謝でござりまする。
 
 第二位 60コメント
    わかば 殿
 初期の頃から、中櫓の前で演武をしている頃から、本当にありがとうござりました。お城が淋しく見えるとのコメントをいただいておりまするが、どうか思い出に浸っていただければ、と思いまする。拙者たち、記録ではなく記憶に残る者にござりまするゆえに。
 
 第一位 85コメント
    さみゅえる 殿
 我らよりも、我らのことをよく理解している、そして常連の方々のネットワークを作り上げた功労者でもございます。拙者たちのほうが、平伏させていただきます。
 
 この他にも、数多くの方からコメントをいただいております。皆様全員の名前を挙げることはかないませぬが、この場を借りて、改めてお礼を申し上げます。
 
 皆様、本当に、ありがとうございました。

修理の地名案内 松江

 
 皆様、師走で、走っておられますかな。いつでも威風堂々、焦らず・騒がず・働かず、みんさんの心の師匠、出雲修理でござるぞ。さて、拙者がお城近くの地名について、あれこれと講釈してきた地名シリーズもいよいよ今回が大団円。今回は「松江」についてでござるぞ。
 今の松江の街がある部分は元々は末次(橋北)、白潟(橋南)と呼ばれておった。そして皆さんがご存知のとおり、お城と共に町ができ、松江という名前もできたのじゃ(それ以前に松江という地名があった、という説もござるが、その説は、拙者が気に入らないのでここでは詳しくは申さぬ)。
 さて、この松江という名前をつけた人物として、堀尾吉晴公、円成寺の春龍和尚、そして堀尾公お抱えの医師の小瀬甫庵という名前があがっており、誰が、ということははっきりしてはおらぬ。ま、堀尾公を中心に識者が知恵を寄せ集めて命名したのじゃろう。
 理由は、宍道湖に面する風景が中国浙江省の松江(ずんこう)に似、同じように鱸や蓴菜(じゅんさい)が取れる事かららしい。鱸は宍道湖七珍で知っておったが、蓴菜もそうなのか。これは、拙者が迂闊であった。
 
 さしずめ、我ら若武者隊に新しい仲間が加わるとしたら、松江某という名前になるのじゃろう。すると、この松江殿が隊長でござるな。惣ヱ門は用済み。よいな、惣ヱ門。
 
 以上、松江よりも大きな漢(おとこ)、「出雲」修理でござった。

「しゅりもん」?

 皆様、忘れておりました。失敬、失敬。
拙者、熊本のくまモン殿から、正式にファミリーとして認知されたようでござる。12月4日のキャラ在月で、松江城にくまモン殿がいらした時のことなのじゃが、その様子はこちらから。
 いや、すでに知名度は全国区。顔の広い、顔のでかい、ついでに態度もでかい、拙者、東出雲町出身、出雲修理でござった。

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