まつえ若武者隊のブログ

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塩見惣ヱ門

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つくる

 
 万劫末代、塩見にござりまする。
 
 寒くなってくると、朝起きるのが辛くなりまする。起きねばならぬのではありまするが、ついつい遅くなってしまい、出仕の時間ぎりぎりになったりすることもござりまする。同じように、朝、どうしても登城したくない時もあります。暑かったり、寒かったり、体の調子が悪い時もあれば、前日のお勤め中に嫌なことがあった、という場合もござりまする。
 それでも、拙者たちがお勤めに向かいまするのは、それがお勤めだから、というよりもお客様に喜んでいただきたいからにござりまする。もう少し正確に言えば、喜ぶお客様の顔を見たいから、と言うべきでござりましょうか。拙者たちの場合は、御奉仕(サービス)の受け手である、お客様の反応が瞬時に、直に分かりまする。喜んでいただければ、その次もそうしようと思い、嫌がれれば次からはどのように変えるべきか、考えまする。 ただ、拙者がお会いしなかったお客様や、松江にいらしたことのないお客様というのも当然いらっしゃるわけで、そういう方の反応は、ただひたすら「もし、自分だったら...」と想像するしか方法がございませぬ。
 それでも、その御奉仕が、拙者たちのしている仕事が、お客様の元に「必ず届いているはずだ。」と信じているからこそ、まだお会いしたことのないお客様へ対してでも、どのように御奉仕するべきか、考えることができまする。反対に、御奉仕が届かないことを知ってしまえば、拙者などは、早々におつとめにやる気を失くすのではないかと思いまする。
 
 そういう自らの御奉仕が届かない方々がいらっしゃいまする。決して自分たちの責任ではないのに、届かなくなってしまった、届けられなくなってしまった、届ける方法を失った、そういう方々がいらっしゃいまする。それでも、その方々は拙者のように「届いているはず」という思いではなく、「いつかは届く」と信じて、そのおつとめを続けていらっしゃいまする。拙者なら「届いてないのなら...」と諦めるところを、まるで続けることが望みそのものであるかのごとく続ける方々がいらっしゃいまする。「届くはず、届けたい、届いて欲しい」と切に願いながら、続ける方々がいらっしゃいまする。その方々たちのことをどう称えるべきか、どう励ますべきか、浅識の拙者にはとうてい思いつきませぬ。
 
 多分、「今」を生きる「自分」のためだったら、そこまで思いを持ち続けることはできないのかもしれません。簡単に諦めてしまうのかもしれません。続けられるのは「明日」を生きる「誰か」のため、だからかもしれません。誰かの明日のためだからこそ、人は思いを持ち続け諦めてはならないと思うことができるのでしょう。たとえ、その明日を、自分自身は見ることができないと分かっていたとしても。
 
 けれども、拙者は存じておりまする。「誰か」のための「明日」は信じるに足るものであることを。400年後の世界に来た拙者だからこそ、確信を持って言えまする。今の平成の世が、満点ではないにしろ、自分たちが想像していたよりもずっと素晴らしい「明日」だということを、この眼で確かめた拙者だからこそ、言えると思うのでござりまする。「明日」は信じるに足るものである、と。
 考えうる以上の厳しい状況下にいて、諦めた人には、諦めそうになっている人には、どうにかしてこのことを伝えたい、伝わってほしいと、切に願いまする。
 
 
 塩見そうゑもん

おちば

 
 輪廻転生、塩見にござりまする。
 
 松の木が多い松江城とは言え、ところどころに見事に色づいた木々が拙者たちばかりでなく、お客様の目も楽しませてくれておりまする。二の丸の紅葉は、道端にあるので絶好の撮影場所。また景色として楽しむなら、やはり塩見縄手から鎮守の森を眺めるのが一番でございましょうか。それとも炬燵に入って暖まりながら、遊覧船に揺られての紅葉見物もなかなかのものにござりまする。
 ここ数日で、拙者たちの詰所のござりまする興雲閣(幸運閣)の前は、銀杏の葉がまるで敷き詰めたかのように散っておりまする。朝の清掃の際に片付けるのでござりまするが二、三日するとまた敷き詰めたようにいっぱいになりまする。その落ち葉を片付けながら、時々ふと思いまする。この落ち葉もいずれは次の木々の成長の糧となってゆくのだな、と。むしろ、次の命を育てるために散っていくのだな、と。
 こんなことを考えるのも、お役目を終え、400年前に帰る日が近づいてきたからにござりましょう。拙者たちは、この400年後の世界の皆様に、何かを残せただろうか、400年後の世界の皆様の糧となる何かを、拙者たちは残せたのだろうか、そんなことを思いまする。
 しかし、所詮、自分で考えても詮無きこと。自慢か自己弁護に終わるだけにござりまする。それこそ、皆様からの評価を、首を洗って、ただ静かに待ちたいと思いまする。
 まだ、拙者たち、数日はこの世界におりまする。ただ、慌しい日々で、ゆっくりご挨拶ができかねるのは確実でござりまする。それゆえ、ちょうど散っていく落ち葉の話をさせていただいたことですし、ここで最後のご挨拶をさせていただきとうござりまする。
 
 皆様、今年、この8ヶ月余り、真にありがとうござりました。
 拙者が、拙者の魂が、400年前に戻りましても、何かが、拙者が残した何かが、この世界で、時に皆様を慰め、時に励ますことができれば、この世界に来た甲斐があったというもの。たとえ、それができなかったとしても、この世界に参ることができて、拙者非常に嬉しうござりまする。この世界へ来て、皆様にお会いすることができて、真に嬉しうござりました。
 来年の今頃、風に吹かれて落ちる一枚の落ち葉をご覧になった時、皆様の心に何か思い浮かぶかどうか、それが拙者たちのお勤めに対する評価だと思っておりまする。
 今一度、お礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
 そして、これにて、お別れです。
 
 
  塩見そうゑもん 

ふりかえり

 
 嘘亦方便、塩見にござりまする。
 
 日、一日、時、一刻と、確実に時間は流れてゆきまする。この八ヶ月、思い返せば、多くのお客様に、たくさんのことを学ばせていただいた時間でござりました。その一部はこのブログにも書かせていただきましたが、しかしながら、お客様に対して、拙者が感じた感謝の念と、特に失敗をやらかした時のお詫びの念は、伝え切れていないように思いまする。
 日々、顔をお見かけする方々、つまりはお城の近くにお住まいの方々からは「今年は、お城が賑やかになってよかったよ。」とお褒めの言葉をいただき、遠くからいらした方は「こんなにいい街なんですね。」とやはり、望外のお言葉を頂戴いたしまする。
 しかしながら、圧倒的に多いのは、一度だけお目にかかるお客様にございまする。或いは、拙者たちをご覧になることもなく、拙者たちの存在をご存知になることなく、いらっしゃり、お帰りになるお客様ではないかと思いまする。しかしながら、一度だけお目にかかったお客様からも、お目にかかれなかったお客様からも、拙者たちは多くのことを学ばせていただきました。もし、お会いできるのなら、その方々に一言、一言でいいので感謝の思いを伝えとうござりまする。が、それはできぬ相談。拙者の思い出の中に、二度と会うことのない、そういう方々がいらっしゃることが、せめてもの慰めと言えるのかもしれませぬ。もちろん、優しい言葉ばかりではなく、時には厳しいお言葉を頂戴したこともありまする。けれどもある聖人が、「愛」の反対は「憎しみ」ではなく「無関心」である、と申されたように、その厳しい言葉も全て拙者たちを思うがゆえにござりまする。だからこそ、より強く印象に残っている方々に、やはり、お礼を申さねばならないと思いまする。
 
 それと同時に、拙者は多くのお客様に謝らねばなりませぬ。城内で
「ここ、いいとこだね。来年、また来るよ。」
とおっしゃったお客様に
「ありがとうございます。是非、お越しください。お待ちしております。」
としか申し上げておりません。邪魔なことも多かったかもしれませんが、それでも城内の風景の一部として拙者たちをご覧になっているはず。だからこそ、このように拙者たちに声をかけてくださったのでしょう。でも、来年は、拙者たちはおりませぬ。期待していらっしゃったお客様が
「『お待ちしてます』って言ってたのに...。」
と思われるのではないか、それが心配にござりまする。けれども、お越しをお待ちする気持ちに嘘、偽りはござりませぬ。斯様な時、何と申せばよいのか、未熟者の拙者には見当がつきませぬ。
 
 まだまだ拙者の修養の日々は続きまする。そしてそれに伴って、感謝をすべき方々の数も増えていくように思いまする。
 
 
 塩見そうゑもん 

おみくじ

 
 当也八卦、塩見にござりまする。
 
 皆様に好評を頂いておりまする「幸運おみくじ」、願い事を書いたり、燈篭やベンチに結んでいらっしゃるお客様に、拙者たちは必ず聞きまする。
「誰が出ましたか?」
 もちろん、その時々で答えは色々にござりまするが、自分を引いてくれたお客様に、ついつい愛想がよくなってしまうのは、我ながら不思議なものでござりまする。そのようなお客様に
「お願い事は、どんなことを書かれたんですか?」
と尋ねると、照れ笑いを浮かべながら、教えてくださるお客様もいらっしゃいます。お聞きした中で多かったのは
家内安全や世界平和、良縁にめぐまれますように、の三つでございました。やはりこういったお願いが定番なのだな、と思うと同時に、そうなってくれるといいな、と思わずには祈らずにはいられません。
 
 先日、午前中の、まだお客様も多くない時間、一人の若様を連れたお母様が、その若様が幸運のベンチにおみくじを結ぶのを手伝っていらっしゃいました。
「誰が出ましたか?」
と尋ねると
「かめさん」
と、若様は元気よくお答えになりました。お母様の説明によりますと、この若様、大の亀二郎ファンだそうでございます。嬉しそうな若様に
「どんなお願い事書きました?」
と訊ねると、大変嬉しい答えがかえってきました。
 
 わかむしゃたいになりたい。
 
 
 塩見そうゑもん

ひとこと

 
 一言千金、塩見にござりまする。
 
 拙者たちのお勤めも終わりに近づき、お客様からそれを惜しむ声をかけられまする。
 
・本当に12月で終わるの?
・せっかく、有名になったところなのに。
・みなさんがいたから、今年のお城は面白かった。
・もっと早く知っていればよかったよ。
 
など、その皆様のお気持ちに、ただただ拙者たちのほうから感謝するのみにござりまする。
 
 武者とは言え人の子、嬉しいことを言われれば、それだけ気分もよくなり、その日のお勤めを励もうという気にもなりまする。ただ、「イケメンさんだ」と言われるよりは「いい雰囲気のお城ですね」と、お城や松江のことを誉めていただくほうが、拙者は嬉しくなりまする。いえ、決して「イケメン」の意味が分からないからではござりませぬ(「男前」の意味にござりましょう?)。やはり、松江の人間として誇るべきは、この街であり、お城である、と思うからにござりまする。もちろん「イケメン」と言われて嬉しくないわけではござりませぬ。ただ、それは拙者一人が誉められているのに対して「雰囲気のあるお城ですね」「いい街ですね」と誉められれば、それは多くの人と共に誉められている気分になりまする。誉められている人数の分だけ、嬉しさが増すからでござりましょう。今、現在の人々だけではなく、過去に存在した人々も含めて誉められていることに、きっと喜びを感じるのでござりましょう。
 
 俗に日本人は「水と安全はタダと思っている」と言われます。この言葉自体は、幾分、揶揄する気持ちがにじんでおりまするが、それがどんなに素晴らしいことなのか、改めて考えてみればよく分かりまする。そこに「笑顔はタダ」と「一声かけるのはタダ」が加われば、そこはとても感じのいい場所になるのではないか、と拙者思ったりもいたしまする。
 
 ただ、先日、拙者たちを見て、ある姫様がおっしゃった一言、それは嬉しいものにござりました。直接的に誉められたわけではないのでござりまするが、この時ばかりは、つい、喜んでしまいました。姫様がおっしゃった一言は、こうでござりました。
 
 わぁ、武者がいるー。本当のお城みたい。
 
 
 塩見そうゑもん

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