まつえ若武者隊のブログ

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出雲修理

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修理のお年玉話

 皆様、お正月の準備はおすみですかな。いつもお正月のように目出度い、出雲修理でござる。
 さて、お正月と言えば、お年玉でござるが、その起源は中世まで遡ると言われておる。そしてその頃は武士は太刀を、町人は扇を贈ったらしい。だからといって、拙者の地の太刀は、これしかござらぬゆえ、差し上げられぬがな。拙者がお渡しせずとも、皆様にはきっと、新年にお年玉がござるよ。来年はいい年になるであろうからの。
 いよいよ今年も残りわずか、残りの御髪も残りわずか、御髪のお手入れに余念のない出雲修理でござった。

修理の地名案内 松江

 
 皆様、師走で、走っておられますかな。いつでも威風堂々、焦らず・騒がず・働かず、みんさんの心の師匠、出雲修理でござるぞ。さて、拙者がお城近くの地名について、あれこれと講釈してきた地名シリーズもいよいよ今回が大団円。今回は「松江」についてでござるぞ。
 今の松江の街がある部分は元々は末次(橋北)、白潟(橋南)と呼ばれておった。そして皆さんがご存知のとおり、お城と共に町ができ、松江という名前もできたのじゃ(それ以前に松江という地名があった、という説もござるが、その説は、拙者が気に入らないのでここでは詳しくは申さぬ)。
 さて、この松江という名前をつけた人物として、堀尾吉晴公、円成寺の春龍和尚、そして堀尾公お抱えの医師の小瀬甫庵という名前があがっており、誰が、ということははっきりしてはおらぬ。ま、堀尾公を中心に識者が知恵を寄せ集めて命名したのじゃろう。
 理由は、宍道湖に面する風景が中国浙江省の松江(ずんこう)に似、同じように鱸や蓴菜(じゅんさい)が取れる事かららしい。鱸は宍道湖七珍で知っておったが、蓴菜もそうなのか。これは、拙者が迂闊であった。
 
 さしずめ、我ら若武者隊に新しい仲間が加わるとしたら、松江某という名前になるのじゃろう。すると、この松江殿が隊長でござるな。惣ヱ門は用済み。よいな、惣ヱ門。
 
 以上、松江よりも大きな漢(おとこ)、「出雲」修理でござった。

「しゅりもん」?

 皆様、忘れておりました。失敬、失敬。
拙者、熊本のくまモン殿から、正式にファミリーとして認知されたようでござる。12月4日のキャラ在月で、松江城にくまモン殿がいらした時のことなのじゃが、その様子はこちらから。
 いや、すでに知名度は全国区。顔の広い、顔のでかい、ついでに態度もでかい、拙者、東出雲町出身、出雲修理でござった。
 
 皆様、お待たせをいたしましたな。すでに、このブログの顔となった、東出雲町、出雲郷(あだかえ)出身、出雲修理でござる。
 さて、25日のテルサでのステージでござるが、拙者の大熱演により、大盛況に終わった。ただ、惜しむらくは、拙者も興奮して、怒鳴り声をあげたために、演武の後の我々からの一言を「何と言ってたっけ?」とお聞きのがしになった方も多いと思う。
 そこで、ここに改めて、その一言をのせて、我らからのお礼に代えたいと思う。順序は発言順でござるぞ。
 
  千鳥 右京
 本当に一年間、応援してくださり、ありがとうございました。
 
  堀川 茶々丸
 多くの方々に若武者を支えていただき、ありがとうございました。一年間、茶々丸をありがとうございました。
 
  出雲 修理(拙者でござるぞ)
 ウホ(咳払い)、ありがとうございました。
 
  本間 亀二郎
 我らのお勤めも、これにてざっとすみたり。皆様のご武運をお祈りいたす。 
 
  塩見 惣ヱ門
 皆のものが、語りつくしてくれたゆえ、もはや何も言うことはござらぬ。我らの...(長いので以下略)...
 (その後、天に召された後、天の声として)
 400年前より集いし、我らとのこの絆。
 
 ふむ、こうして見ると、それぞれの個性や知性が出ていて面白うござるな。それと相変わらず、惣ヱ門がぐちゃぐちゃと要らぬことを喋っているのがよう、分かる。
 漢(おとこ)は拙者のように、さっぱり・すっかり・すっきりとした言葉が良いのにのう。お前は最後まで、駄目な奴じゃったのう、惣ヱ門。
 
 以上、言説からして、これぞ漢(おとこ)、地の太刀の出雲修理が、最後のご挨拶をさせていただいた。では皆のもの、黄泉比良坂(よもつひらさか)で待っておるぞ。
 寒くなっても、ますます絶好調、東出雲町出身、出雲修理でございますぞ。
 
 さて、今回もちょっと不思議な地名を取り上げたく思う。それは「米子町」でござる。米子と言えば、お隣伯耆国の都市の名。それがなぜ松江にあるのか、そう考えると不思議な気はいたしませぬかな。
 これは今の米子から多くの職人が移り住んだ町だから町名がこのようになったのでござる。同様の名前の付け方で有名なのは、江戸の佃島。そう、あの佃煮で有名な佃島も、摂津の佃村から漁師を連れてきて住まわせたことから佃島という説がござる。 
 この米子町が面白いのは、母衣町・南田町という武家町に囲まれた小さな一区画ということ。京橋川の越えた南側には職人町があり(現在の東本町)、そこに一緒にすればいいのに、と思ってしまう。もしかすると武士に必要な道具を扱う職人さんを連れてきたのかもしれませぬな。そして普通の物を作る職人さんであれば、わざわざ米子から連れてくる必要もないでしょうし。そう考えると、非常に大切なものを扱う職人さんがいたのでございましょう。
 ちなみに、米子という名前の由来は諸説あるようで、「古い日本語では砂地のことをヨナと言ったことから」という説と「88歳で子宝に恵まれたおじいさんが、八十八・子を組み合わせて米子とした」という説が有名なのだそうでござる。
 いや、今回はついつい、話が長くなってしまった。能ある修理は、隠したいのじゃが、どうしても知性があふれ出してしまうのお。
 以上、しっかり味の染込んだ佃煮のような顔色の、出雲修理でござった。

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