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江戸散歩・東京散歩というガイドブックがあるんですが、
とても面白い本なのでご紹介します。
こんな表紙なんですが、中身は左側に現在の地図、右側に江戸時代の地図に
なっていて、見やすくなっています。
他にもその土地の名物品や歴史、名所などをこと細かく伝えてあり、
これを片手に都内を散歩するとワクワクしてきます。
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歴史
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ゴールデンウィークに入りましたが遠出の予定も無く土佐藩邸のあった立会川駅が龍馬ブームに乗っかって
騒がしいみたいということで家族で羽田の墓参りがてら行って来ました。
内心「あんな小さな駅でなにがあるのかな?」とあまり期待してませんでした。
騒いでましたよ!駅前で紙芝居までやっていて盛り上がってましたが下の画像を見てください。
龍馬のあしあとパン?どこまで?でも美味しかったですよ。あとこれ。
右が浜川砲台ソバ!ちなみに下が本物の浜川砲台跡です。
龍馬が絶対に使った神社のツクバイ?(手を清めるトコ)今はホースが付いてます。
安政4年と横に書いてあるので土佐藩士全員で龍馬も清めたはずです。
立会川はボラちゃんでもブームになりましたよね。
思っていたよりいろいろあって、楽しかったです。
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歴史上の人物で好きな人物は数あれど、前回ご紹介した小栗上野介という人と
今回ご紹介する『木村長門の守重成』という人です。
そもそも長門の守について調べたのは妻と知り合った17年くらい前で、妻の
母は昔、木村姓を名乗っていてその祖父(妻の曾祖父)が『木村○ノ丞』という人だった
そうですが、諸事情により親戚筋とは断ち切れてる状態らしいです。
その『○ノ丞』さんが生前口癖のように「自分は武士で先祖は木村長門の守」と
言っていたそうです。それが気になり調べたんですが子孫が九州にいるという
記録は無いので今度足を使って調べたいと思ってます。
それはさておきご説明します。真田幸村が大阪の陣の『華』ならば木村重成は
『花』と称されたほど凛とした人物だったそうです。
重成の母親は豊臣秀頼の乳母で文字通り2人は乳兄弟という事になりますが
そのせいもあり、秀頼の信頼あつく、頭脳明晰で大阪冬の陣の後、講和の使者の
役を与えられた時の血判状には23歳としてあるが、実際は19歳だったとも・・・。
その若さで真田幸村、後藤又兵衛らの『5人衆』に大野治長とともに『7人衆』と
称されたらしいです。
夏の陣で戦死するんですが出陣の前夜自分の兜にお香を焚きこめ、香りを
つけたという。これはいざ討ち取られても恥ずかしくないようにとの覚悟でした。
家康はこのときの戦でほとんど首実検をしていないが長門の守の首だけは
確認したと伝わってます。その折、首からお香の香りが立ち込めたという。
そして、『かような若年の者に、誰がこうした優雅なたしなみを教え、末代まで
名をとどめしめるのであろうか』と涙を流したという。(大阪の陣、名将列伝より)
現代の大御所政治家の方々は『立ち上がれ日本!』と立ち上がってますが本来
若者に「政治とは」を教えるお目付け役になるべきだと思いますが。
また長くなってしまいましたがこんな純潔な武将がいたということで・・・。
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小栗とタイトルしましたが小栗旬君ではなく、小栗上野介忠順についてです。
坂本龍馬が今話題ですが私も高知生まれなので昔から龍馬についていろいろ
調べて周った時期もありました。
学生時代に龍馬を調べていたらこの小栗上野介という人物に突き当たり
夢中で調べました。『この人の存在で現代日本があるんだ』と気づきました。
元々旗本小栗家に生まれたサラブレッドで幼少の頃より頭脳明晰で武術も
長けていたそうです。若干17歳で初登城して後、生来の頑固さが災いして
あらゆる役職にまわされます。ただどの役職でも結果を出したそうです。
ポーハタン号で使節団として渡米しますがそのときに随行していたのが
有名な咸臨丸(勝海舟、福沢諭吉などが乗っていた)です。
勝海舟は後にいろいろ偉そうにその時の話をしていますが実際は船酔いが
酷く、サンフランシスコで降りてしまったそうです。その後船はフィラデルフィア
に行き、歓迎を受けました。
そこで小栗は初めて不平等な為替取引を公正なものに変えるよう、堂々と進言
したそうで、その様子は翌日の地元新聞に取り上げられ『東洋のジャパンという国
から使者が来て、公正な取引が出来るようまずは金、銀の含有量を調べ・・・などと
細かく指示してきた』のような内容で絶賛だったそうです。
その当時ヨーロッパが中心となり、アジア諸国を下に見ていたアメリカ人が
この国には自分達と同等レベルの文明があるとこの時知ったのだと思います。
それほど小栗の態度は堂々としていたのでしょう。
帰国して後もあらゆる役職を歴任して、造船所の必要性を幕府に主張したが
反対されました。将軍慶喜は小栗のこれまでの実績を評価していて、鶴のひと声で
造船所の建設が始まりました。
これが横須賀造船所で、後に日露戦争の時世界一のロシア、バルチック艦隊
を破った日本の連合艦隊のほとんどがこの横須賀で作られました。
事実、連合艦隊の指揮官だった東郷平八郎は戦後、『ロシアに勝てたのは
小栗上野介の先見の目によるものである』と小栗の墓の前で手を合わせた
そうです。
話は少し戻りますが、幕末ライバル勝海舟の画策などにより罷免され、上州の
権田村に引きこもりそこで治水事業をしたり、学習塾を開いたりと平穏な暮らしを
村人と過ごしていたそうですが馬術などを教えていたのを官軍が『農兵を育てて
反撃を企てている』と言いがかりをつけ、斬首されてしまったのです。(享年42)
小栗上野介忠順この人こそ『ラストサムライ』だったと思います。そして今、日本人に
必要なのはこの潔さと貫く信念ではないでしょうか?
私の人生とは間逆だからこそ惹かれるのでしょうか。彼を想像すると背筋が伸びます。
『シャンとしなきゃ』と思います。
長くなってすいません、興味がある方向けになってしまいました。たまにはいいでしょ。
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今、大河ドラマで福山さんが龍馬をやってますが、カッコよすぎですね。 |

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