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弁護士松本康之の備忘録
長野総合法律事務所 松本康之弁護士が思ったことなどあれこれ
普段は多くの人が行き交うビジネス街から人が消え、ひっそりと新年を待つ年末。年が明けると都心の神社には大勢の参拝客が押し寄せますが、その直前にも神社ではさまざまな行事が行われています。大阪天満宮では大晦日の夕方から大祓式、御門祭、大将軍社道饗祭、除夜祭という一連の神事が催行されます。

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大祓式はその名の通り、浄化のための儀式です。6月末と年末の二度行われ、6月のほうは「夏越の祓」、大晦日のほうを「大祓」と呼びます。参拝客は境内で神官から人形と紙吹雪のように四角く切った白い紙が入った封筒を手渡されます。儀式の中で合図があると封筒を開いて自分の身に振りかけ、人形にふっと息を吹きかけて封筒に戻し、神官に返します。自らの罪や穢れをこの人形に吹き込んで神社に置いて帰るというわけです。

御門祭は、天満宮の正門である表大門の外に出て行います。神社の門は、外界の災厄が中に入ってこないように守る役割があり(狛犬も魔が入ってこないように守っていますよね)、門に一年間の感謝を捧げるものです。この儀式が終わって再度境内に入る時には茅の輪をくぐります。茅の輪もまた身を清めるためのものです。

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次は、天満宮内の大将軍社に移動しての道饗祭。これは天神様として祀られている菅原道真に奉納するもので、その後、本殿内で一年の締めくくりとなる除夜祭を行います。一般の参拝客が本殿に上がれるのはこのときだけ、荘厳な天満宮の本殿内で神官の祝詞を聞いたり雅楽にあわせての舞を見ることができます。帰りには、お下がりとして「天神様の梅」をもらえます。これを目当てに除夜祭だけ参加する人もいるとか(普通の梅干しですが受験生には良いプレゼントかも知れません)。

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生きていると様々なことに巻き込まれ、まっとうに生きるということが意外に難しい現代。知らぬ間に身に付いた一年間の穢れを落とし、清らかな気持ちで新年を迎えるのもいいものです。


大阪の冬の風物詩のようになった中之島や御堂筋のイルミネーション。一体いつから始まったのだろうと調べてみると、中之島が2003年、御堂筋が2009年だそうです。中之島はもう10年以上もやっていたとはちょっと意外でした。

昔は府や市が主催するイベントは今ひとつ退屈なものが多かったように思うのですが(関係者の方すみません)、最近はうまく民間の力を活用しているのでしょう。冬のイルミネーションに限らず、どのイベントも観光客を呼び込める楽しいものになっているように思います。

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大阪市役所の南側「みおつくしプロムナード」は、音楽に合わせて色が変化するイルミネーション。音に反応するセンサーが仕込まれているのでしょうか、「White Christma」と「All I Want For Christmas Is You」のリズムに合わせて、街路樹に設置された小さなライトが様々な色に変わります。まるで木が踊っているかのよう。今年は9月の台風で多くの木の枝が折れたり、何本かの木は倒れて撤去されたこともあって、エンジニアの方は効果を出すのに苦労したかも知れません。。

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中央公会堂ではプロジェクションマッピングを見せてくれます。これは建物の壁面に映像を照射するもので、音楽に合わせてストーリーが展開されます。うまく建物の凹凸や窓を利用していて感心しました。

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中之島のイルミネーションはクリスマスまで、御堂筋はまだしばらく続きますが、クリスマスが終わりオフィス街の人が少なくなると、何となく寂しく見えます。街の風景は、やはりそこで活動する人がいてこそ暖かさを感じるものなのでしょう。平成最後の年末は静かに暮れようとしています。

※画像2枚目のプロジェクションマッピングと3枚目の市役所正面は昨年の写真です。
 今年はカメラを忘れまして、不覚…。
子どもの頃、映画やドラマで「大阪の中心部は空襲で焼け野原になった」というシーンを何度となく見ました。そのせいで、何となく大阪のすべてが灰燼に帰したように思っていましたが、必ずしもそうではありません。都心でも戦火を免れて昔の姿をそのまま残しているエリアはいくつかあります。天満宮の西にある菅原町はそのひとつ。ここは堂島川沿いの青物市場に隣接していたこともあり、昔ながらの乾物問屋の蔵が立ち並ぶ姿を見ることができます。菅原町のことを知らない大阪人は意外に多く、案内してあげると「こんなところがあるなんて知らなかった」と驚かれることもしばしば。基本的には住宅街なので、たしかに用事がなければ足を踏み入れるところではないかも知れませんが。

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菅原町は数年前に「蔵の町」の顕彰碑が設置されるなど、町の「ブランディング」がなされています。中には江戸時代から残っている蔵もあるそうですが、リノベーションされて別の用途で現役の蔵もいくつか。ひときわ目を引くきれいな蔵は乾物会社のもの。この会社は付近にモダンな本社ビルを持っていますが、倉庫と並んで違和感のないシックなデザインにしています。事業を継続しつつ美観も残しているというところに経営者の方のセンスを感じます。

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ほかには、蔵の中を改造して飲食店にしたり、ステージを作ってイベントスペースにしているところもあります。中に入ってみると外から見た印象よりも天井が高く、その柱や梁の力強さに圧倒されます。日本の土蔵は内部の温度が変わらないと聞きますが、壁に厚みがあるので音楽を楽しむのに向いているかも知れません。蔵の中ではコンサートもたびたび行われているようです。

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道路に石畳が残っているのは、その前に家屋があった名残でしょう。おそらく家屋の玄関先で、建物が取り壊された後、あえて残したのではないでしょうか。よく見ると、側溝の石も石畳と同じような古さ。明治時代くらいのものでしょうか。石のすり減り具合と色の褪せ方がなんともいい味を出しています。

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そういえば、70年代のヒット曲「神田川」を作詞した喜多條忠さんの実家はこの付近の乾物問屋さんで、弟さんがお店を継いでいると聞いたことがあります。蔵があるかどうかは分かりませんが、今度探してみましょうか。



さて、広島藩蔵屋敷跡に建設される新しい美術館の名前は「大阪中之島美術館」に決定しました。一般公募だったようですが、駅ビルによくある奇妙な洋風造語にならなくて一安心(でもこんな名前なら公募しなくても良かったのでは…)。とにもかくにも、東洋陶磁美術館、国立国際美術館に続き中之島の国公立美術館は3つ目。そんなにたくさんの美術館が必要なのか?の議論もありますが(フェスティバルタワー・ウエストに民営の香雪美術館もありますし)、中之島を文化の香り豊かなエリアにする計画には大賛成です。

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こちらもコンペで選ばれた建物の完成イメージを見ると、黒い直方体の未来的な外観です。道を挟んで向かい側のクラシックな石作りのダイビルとの対比が面白そう。館内は大きな吹き抜けを設け、展示室にはモディリアニや佐伯祐三の作品など市所蔵の美術品が並ぶそうです。面白いのは、広島藩蔵屋敷の舟入があったあたりが駐車場になること。江戸時代は堂島川から船が入ってきた場所に今度は来館者の車が入ってくる、舟入の堀をなぞるかのような駐車スペースの取り方は偶然ではないと思われます。

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そういえば、関電ビル前の「四季の丘」にちょっと気になるものがあります。美術館の予定地に向かって歩道橋らしきものが突き出しているのです。今は草が生い茂っており、展望台にしては立ち入れないようになっているし、植物の研究をする一種のプランターではないかなどと思っていました。しかし、美術館の完成イメージをよく見ると、関電ビルのほうから遊歩道が延びて美術館の正面につながっているではないですか。そうか、これは美術館ができたときに歩道橋をつなぐための準備だったのかと合点がいきました。大阪市の記録を見ると、美術館の建設が決定したのも四季の丘が造成されたのも2013年(平成25年)と、符合します。もし美術館建設が何かの事情で中止になったりしたら、この「出っ張り」は不思議な遺構として残ったのでしょうか。そんなことを想像しながら、美術館ができて最初に見に行くときはその歩道橋を渡って行こうと思ったのでした。


超高層ビルが立ち並び、往時とはすっかり風景が変わってしまった中之島に、いまだに広大な更地があります。それは、国立国際美術館の北側、関電ビルと大阪大学中之島センターにはさまれたスペース。ここは江戸時代に広島藩の蔵屋敷があった場所で、もう何年も発掘調査がなされていましたが、2021年の完成を目指して新しい美術館が建設されることが決まっています。スケジュール表を見ると、年内には工事着工の模様。この「何もない」風景が見られるのも今のうちなので、急いで写真に収めました。

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江戸時代の大坂には米市場があり、各藩は売りさばく年貢米を貯蔵する蔵屋敷を持っていました。広島藩は豊かな藩であったとされ、石高は42万6000石。これは全国でも上位10藩に入ります。広島の米は質も良く、一種のブランド米として流通していたということですが、Wikipediaによると「米相場を巧みに利用し、自藩の米のみならず他藩の米を安く仕入れ相場を見極めて売りさばき巨利を得て、『芸侯の商売上手』と江戸時代中期の学者・海保青陵より評された」とあります。

広島藩の蔵屋敷は、中之島にあった蔵屋敷の中でも最大級の規模。詳細な絵図面が残っており、堂島川から船が直接敷地内に入れるように舟入という専用の堀を作っていたことも分かっています。舟入を持っていた蔵屋敷はいくつかありますが、舟入の大きさも広島藩がもっとも大きかったようです。大坂城のそばにある大阪歴史博物館には、舟入も含めた広島藩の蔵屋敷を隅々まで再現したジオラマ模型が展示されています。舟入の堀の中に赤い鳥居が立っているのが印象的で、これはまさに厳島神社の分社とのこと。大坂に駐在していた広島藩の人々は、この鳥居を見て故郷を思っていたのかも知れません。また、ジオラマには前回のブログで取り上げた「蛸の松」も再現されているのですが、絵図に残っている形とは似ても似つかない「ただの松」。建物が精密なだけに、蛸の松だけがちょっと残念です。

(つづく)

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