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美声学ブログ(松尾篤興のブログ)
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和製デモクラシー

 和製デモクラシー

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私は1935年生まれ、昨年喜寿を迎えました。
太平洋戦争が始まったのは6歳の時、開戦直後は真珠湾攻撃で敵艦隊を殲滅した事で連日のようなパレード、提灯行列の戦勝ムードにまるでお祭りのような日々を過ごしていたのを覚えています。
生家は博多で料亭を営んでいましたので、いわゆる博多の町家造りと云うのでしょうか、二階建ての白壁造り、通りに面して格子のある窓、通りには木煉瓦が敷き詰められ、右隣には赤煉瓦の日本生命(現赤煉瓦文化館)向いは日本勧業銀行福岡支店(現みずほ銀行)左には博多の地酒、綾杉酒造の軒先の大きな杉玉は子供心に興味を引く飾りでありました。
賑やかな戦勝ムードに日が陰り始めたのは何時頃の事だったでしょう。アメリカ軍の爆撃機が日本本土に襲来するようになり、毎日のように空襲警報が発令される日が続くようになりました。
戦後になって知った事ですが、この時すでに日本の制空権は失われていたと云う事です。しかしそれでも大本営は日本軍の戦果が上がっていると発表し、国民も戦況が思わしく無いなどと考える余地すら与えられなかったのが実情でした。
やがて子供達は福岡市の外れ、六本松に疎開し、橋口町(現天神1丁目)にあった店は福岡大空襲のために焼失してしまいました。そして疎開先で聴いた玉音放送、何の事やらさっぱり分かりませんでしたが、戦争に負けた事を後で知りました。
アメリカ軍が日本を占領して子供達が最も喜んだのはアメリカのチョコレートやチューインガムが手に入るようになった事でしょう。それまで菓子は疎か、米さえも満足に食べる事は適わず、鉄道ひな菊(ぺんぺん草)を乾燥させ、粉にして焼いたパンや、さつまいもの蔓を湯がいて飢えを凌いだのです。
大人達にとって敗戦とは自分が信じていた大日本帝国の精神が全て崩れ落ち、それとは全く正反対の民主主義という思想が導入された事に対する戸惑いでした。
子供達の教育も朝礼で毎朝暗唱させられた教育勅語や修身の教科は無くなり、代わりに英語などの外国語の教科が取り入れられ、個人の権利や義務などの言葉が飛び交うようになったのも敗戦のお陰でしょう。
アメリカの食料支援で餓死寸前だった日本は息を吹き返し、戦後の復興に取り組んだのですが、肝心のデモクラシーの思想はアメリカの草案による日本国憲法に依存したままで、日本人が自分達の手で日本の民主主義を造り上げようとする姿勢や意欲はどこにも感じる事はできませんでした。
それだけではありません、アメリカ占領下の時代が続いた後、サンフランシスコ講和条約が結ばれ翌年の春、条約が発効したため、日本は独立国として世界に認められる事になったのですが、日本人の大部分が現在でも、この日を独立記念日だと記憶している人は余り見当たらないのです
なぜこんな事になってしまったのか、それは多分多くの人々が国家の独立を願う気持が薄かったのではないかと思われます。
つまり食料も憲法も平和もアメリカから与えられ、安穏と暮らせる占領下に於ける生活から独立国へ立ち上がるなどという勇ましい決断を下す必要もなかったでしょうし、戦争を起こした責任についても、極東国際軍事裁判が開かれ、何人かの被告人は処罰されたものの、国民一人一人に戦争を起こした事に対する総括はなされぬまま今日に至ってしまったのです。
今迄軍国主義の社会で過ごして来た生活が、敗戦を機に一転して個人の権利を最優先に置く民主主義へと移行するための心の準備や知識などが十分でないまま独立の日を迎えた人々は戦争の原因や善し悪しなどの整理もつかぬ間に今日まで生き長らえたため、政治に対する見る目を養わなかったのでしょう。
21世紀に入って日本の国民総生産は世界3位に上りつめました.日本人の勤勉さ就学率の高さにも因るのでしょうが、何よりも日本に繁栄を齎した原因は戦後、他国と紛争を起こさなかった事だと思います。
核兵器によって敗戦を強いられた日本人は世界で最も強力な兵器の洗礼を受けた唯一の国民であるのは紛れもない事実ですが、戦後幸いにして如何なる紛争にも巻き込まれなかったのは不安定な世界情勢が続いている現在、奇跡的幸運としか云いようがありません。
日本は世界の経済大国と云われるようになって久しいとは言え、現在、国家の台所はそれ程豊かではない事が分かってきました。歴代の内閣が赤字国債を発行し、膨大な累積赤字があるのです。
景気が右肩上がりの経済成長期では寧ろ赤字国債を発行してでもこれらを支える準備は必要だったかも知れませんが、世界的に見ても長いデフレ、不景気に見舞われている現在、安易に増税のみでこれらを解決出来るとは思えません。
世界的な不況の中で他国の紛争に巻き込まれる事はなかったものの、日本は度々大震災に見舞われました。そして平成の東日本大震災では地震、津波の災害に止まらず、福島第一原子力発電所ではメルトダウンの大事故に見舞われてしまったのは、弱り目に祟り目と云うか不運の限りと云わざるを得ません。原爆の被害に遇った国民がまたしても原発の被害を被る事になってしまったのは果たして自然災害と云えるものなのでしょうか。
戦後の日本の政治は55年体制と呼ばれたように自民党の政権が続いた事は日本の発展だけではなく、その陰の部分も作り出してしまいました。
官僚主導の政治体制、原子力発電の導入による各界の癒着、慢性的な赤字国債発行、数の論理が全ての民主主義、金権政治、言葉の置き換えによる本質の隠蔽政治、など枚挙に暇がありません。
こうなれば一党の長期政権が続く弊害が現われ始めるのも無理の無い話でしょう。それでも日本は戦後何回かの政権交代を経験したのですが、何れも短命に終っています。新しいものに対する警戒心の強い国民性が政権交代を難しいものにし、新しいものを育てようとする意欲的な考えよりは古くても安心感のあるものを選ぶとでも云うのでしょうか、寄らば大樹の陰、長いものには巻かれろ、などの諺がこれらを言い表しています。 
これらの古い諺に示されるような日本人の感性、処世術は戦前の封建的な考えを引きずっているわけで、戦後日本に導入された民主主義は呼び名や形は民主主義であっても、その中身は以前と何ら代わり映えしない物の考え方と云えるのかも知れません。名付ければ和製デモクラシーでしょうか。
ではこの和製デモクラシーは何故生まれてしまったのでしょう。その原因は偏に国民が戦争を総括出来なかった事に因るものだと云えます。
我々は何時の世も政府に騙され続けて来ました。日本は神の国だから戦争に負ける筈はない、いざと云うときは神風が吹いて我が国を勝利に導くだろう。戦後は所得倍増計画、日本列島改造論、日本郵政改革、戦後レジームからの脱却、コンクリートから人へ、日本を取り戻そう、など耳に心地よい言葉の羅列で、全て実現されていれば日本は途方もない国家になっていた筈です。
なぜこのような虚言がまかり通ったか、全ては私達一人一人が戦争をどう捉え、総括したかの作業を果たさず、民主主義の根底理念を理解しないまま現在に至ったために、政治に対する関心、権利、義務などがないまま、選挙で1票を投じるだけの儀式化した民主主義のあり方しか身に付かなかったからではないでしょうか。
政府に騙されたとしたら、その政府を罵るだけではなく、どうすれば騙されないようになるかの算段をしなければならない。その智慧を持つ事が民主主義に於ける個人の重みを感じさせる1票となりうるのです。

16代アメリカ合衆国大統領、エイブラハム・リンカーン、ゲティスバーグの演説、and that governmentof the people, by the people, for the people, shall not perish from this earth.

この言葉に言い表された理念こそが民主政治の根幹をなすものとして、私達は今こそ改めて日本の政治を見つめ直し、即席の和製デモクラシーではない、本当の意味でのデモクラシーを日本に再構築する義務があると感じるのです。

(写真は木下恵介監督作品「陸軍」に出てくる我が家の映像です。白壁に「八百重」の屋号が見てとれます。写真右の女性は主演女優の田中絹代さん。)

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