=美声承り候=
005:声に関わるその他の器官
美声についてこれまで息や声帯について述べてきました。今回はそれ以外にも声に重要な影響を与える器官について考えてみたいと思います。先ず考えなければならないのが声の出口である口腔の問題です。口の中の容積が大きい程声の響きが増す事は、スピーカーボックスが大きい程スピーカーの性能は生かされる様に、通る声を作り上げる為の重要な条件だと云えましょう。人はこの事を本能的に持ち合わせていて、例えば遠くの人に呼び掛けるような場合、普段の会話の時よりも更に口を大きく拡げ、両手を口に当ててメガホンの様な効果を作って大声で呼び掛ける事を知っているのです。これは遠くの人に呼び掛ける為には怒鳴り声のようにただ単に大きな声を出せば良いと云うのではなく、遠くに通る音声を生み出す工夫が本能的に凝らされている事を示しています。
では遠くへ声を届かせるにはどのような知恵がはたらいているのでしょう。先ほど口の中の容積が大きい程声の響きは増すと述べましたが、口腔内部の上壁を硬口蓋、その奥を軟口蓋と呼び、更に奥には通称喉ちんこと呼ばれている口蓋垂があります。硬口蓋は硬い粘膜性の襞ですが、軟口蓋は柔らかい粘膜性の襞で覆われています。軟口蓋は口蓋汎挙筋によって引き上げられ、その奥にある口蓋垂を動かす口蓋垂筋が口蓋垂を引き上げる事によって軟口蓋が広がるのです。口蓋垂を引き上げるには驚いた時息を飲むと云う様に、急に早く息を吸い込めば反射的に口蓋垂は持ち上げられ軟口蓋も広がるようになります。
誰でもこのように驚いた時の息遣いをすれば反射的に口蓋垂は引き上げられ、軟口蓋も広がるため口腔内の容積は増え声の響きも良くなるのは間違いないのですが、残念ながら驚いた時の息遣いとは飽く迄も息を吸う時の話で、声を出す肝心の息を吐く時のものでは無い事に気付くでしょう。
ではどうすれば呼気の時に口蓋垂を引き上げる事が出来るでしょう。鏡の前で驚いた時の息遣いをしてみると表情に変化が現れます。それは眉が上がり瞳孔が開くのに気付く筈です。この反射を利用して呼気の時に眉を上げ瞳孔を開いて声を出す事が出来れば口蓋内が広がった響きの良い声が出るようになるでしょう。発声技術を学ぶ時に教師が「目の奥を開けて」とか「頭を開いて」などのイメージトレーニングを与えるのは、この口蓋汎挙筋や口蓋垂筋の動かし方のトレーニングを伝えようとしているのです。
声の響きや伝達力は口腔の響きだけではなく、鼻腔の響きも疎かにはできません。鼻腔とは鼻の中にある空洞を指しますが、その他に副鼻腔と呼ばれる鼻腔周辺にある骨の中にある空洞も声の響きに一役買っている事を忘れてはいけません。
コーラスなどで良く歌われるハミングは楽譜の表示がHumとなっているために、合唱指導者は口を噤んで口腔内を大きく拡げ[m]の発音でハミングを歌うよう指導しますが、このやり方では口を噤んで口腔内を大きく拡げているため、例え[m]の発音でも声の出口が無く、籠った音声が響くばかりで一向にハミングの音として聞き取れません。ハミングは飽く迄も鼻腔共鳴に頼らねばならないのですから、[m]ではなく[n]の発音、つまり舌先を上歯につけて呼気を全て鼻に抜くように[n]の発音で歌うべきなのです。口を噤んでいるのですから当然鼻腔から呼気は抜けるのが正論なのですが、ハミングのHumの表示がこの様な初歩的誤解を招くに至ったのでしょう。