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美声学ブログ(松尾篤興のブログ)
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くんちゃん(半世紀ぶりの再開)
 
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およそ50年前、博多で料亭を営んでいた我が家へ、毬栗頭の小学生が出入りしていた。と云うのは、私の母親をまるで身内のように慕ってお付き合い頂いていた竹内敏子さんの可愛い一粒種だからである。
武内邦愛、以前やっていたTwitterで初めて彼が東京にいる事を知った。
当時の毬栗頭は早50年の歳月を経た立派な著作家となっている事を知った。
私がFacebookに移行してからも遣り取りは続いたが、昨夜、私の主宰するコンサートに足を運んでくれると云う。
コンサート終演後、楽屋を訪れてくれたのは毬栗頭の坊やではなく、著作家、武内邦愛氏であった、よくもまあこんなに立派になられた、と云うのが正直なところ私の思いである。
酒を酌み交わしながら50年の過去を振り返り、そのタイムロスも埋められたのではなかろうか。
半世紀にも及ぶ時間の空白も、生まれ育った博多にまつわる話の遣り取りで、昔のクンちゃんが蘇るのは、人間全く不思議な生きものとしか云いようが無い。

Facebookに想う

Facebookに想うイメージ 1
 
Twitterを始めたのが先だった、現在はTwitterを撤退してFacebookに移行している。理由は只ひとつ、実名登録でない事。
昔の日本人の意見の主張は、先ず自分の氏素性を名乗り出て、物事を申し述べたものだが、どう云うわけかこのところ意見は主張するものの、自分の氏素性を明確にしない、ハンドルネームとかニックネームなどといったスタイルが流行っているらしく、どこの馬の骨とも解らぬ人物が一見偉そうな口を利く世の中に成り果ててしまった。つまり権利は主張するが責任は負わない、戦後歪められたデモクラシーが蔓延ったままになっている。
いやしくも公の場で自分の意見を申し述べるのであれば、自分の氏素性を名乗るのが礼儀と云うものではなかろうか。
更に実名登録のFacebookにおいても、相手の顔が解っているにも関わらず、お互いの意見の齟齬が生じる事がある。
日本の言語文化は表語文字であり、読み書きによって支えられている文化と云えるだろう、欧米のような表音文字の場合、音声を主にした言語表現がなされるので学校教育の場でもスピーチと云う授業がある、この様な場所でディスカッションのあり方を十分に学ぶ事ができよう。
従って論争の場合でも、夫々の立場を認めた上での意見として戦わす事ができるが、これらの様式に慣れぬ日本に於ける論戦では、意見を通り越して個人的な怨念にまで結びついてしまう危惧がある。
論理としての整合性があれば、例えそれ以外の人間関係が良好でなかろうと、意見は意見として尊重できなければ何のための議論であり得よう。
公の場で意見を述べると云えば、Facebookを使って政治的な意見を戦わし、更には多くの賛同者を得て大規模なデモを繰り広げる、などは今時なにも珍しい話ではない。そのくらいFacebookTwitterのようなネットワークはTVをも凌ぐ情報交換としての存在を示している。
私が属しているFacebookの環境は、自分が音楽関係である事からどうしても類似の関係者ばかりが友達として浮上してくるのは止むを得まい。したがって演奏会、料理店、食べ物、趣味、衣類、などの生活関連の話題に溢れていて、やれ、どこそこのラーメンは旨いだとか、うどんの喰い方はこれが正しいだとかばかりで、現在の日本の政治や経済に関する危機感や論議は伝わってこないし、敢えて呼びかけても何の反応も起こらない。どうして日本人は自国の政治問題について口を開こうとしないのかは未だに謎ではある。
東北大震災については多くが語られているが、これらの危機管理や対応のあり方についての政治に対する問題点をなぜ指摘し弾劾しようとしないのか、これでは折角与えられた庶民の発言のチャンスを自ら放棄する事になるのではなかろうか。公の場で意見を述べる事は単なる暇つぶしではないと心得ている。
 
 

iPhone4s

iPhone4s
 
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我が家の携帯電話はDocomoのムーバと云う紀元前の製品で、この3月末日をもってサービスが打ち切られる。
私は、携帯電話はあくまでも電話であり、それ以上の機能はコンピューターに任せれば良いと思っていたが、現実はそんな甘いものではなく、携帯電話いつのまにか小型コンピューターを内蔵した電話ともカメラとも云えぬ製品に変わり果ててしまった。これもスティーブ・ジョブズのなせる業であろう。
私は7年前に大学を定年退職し、オペラも引退した現在、1年のうちの大部分を家の中で過ごす、いわゆる隠居の暮らしになってしまった。
たまに出かけると云っても、病院の定期検診、ゴルフ練習所、親しい知人との会食くらいで外出の気配がほとんど無い生活にとって携帯電話は無用の長物、電話は固定電話かSkypeで賄えるし、メールも2台のコンピューターを使えば事足りる。そのうちの1台はBookタイプのものだからWiFiを使えば外でもネットが利用出来るし、その上、現在執筆中の本は電子書籍だが、MaciBooksAuthorを使っているので、プレビューにはどうしてもiPadが必要になってくる。従って現在のようなスマートフォン購入の入る余地などはあり得ないのだが、2台あった携帯電話の1台はカミサンの所有物なので、こちらを買い替える必要が出てきた。
悪い事に家から2.3分歩いたところにSoftBankがある。カミサンがそろそろ携帯電話を買い替えると言い出したのでiPhone4s1台を購入した。
見かけは小さいが手に持つとずっしりとくる。さすがは小型コンピューターの合いの子、なかなかの面だましいである。さてこの小型コンピューターの合いの子、カミサンが最も毛嫌いするコンピューターでありますだけに、どのような格闘が待って居りますやら乞うご期待。
 

病気と病人

病気と病人

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人は病気に罹ります。病気の治療は専門家である医者に任せるでしょう。病気の事をいくら自分で思い巡らしても、素人の自分には治せません。病気になったからと云って、自分でその責任を取ろうとしても無駄な事なのです。
私は全面的に医者を信用してはいません。医者も人の子ですから誤診だってあるでしょう。でも医者の指示には全面的に従います。私よりも専門的な知識と経験があるからです。
だから病気に罹っても、病人になるかならぬか、は自分の問題だと思っています。私は散々病気に罹りましたが、病人にはならなかった。病気と解っても自分で思い悩む事で治療できるものではないと考えたからです。
入院中に思い描いた事、それは退院したら行きつけの鮨屋で冷えたビールを呑む、ただそれだけでした。



したたかな、しぶとい力 
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   したたか(強か)とは 粘り強くて他からの圧力になかなか屈しないさま。強く、しっかりしているさま。
   しぶといとは、強情で臆するところがない、困難にあってもへこたれずねばり強い。とある。
   したたかさもしぶとさも人の良い穏便な日本人の感性からすれば、少々煙たい存在の人間として映るに違いなかろうが、果たしてこれらお人好しの日本人の感性は21世紀の国際社会において通用するのだろうか。そこでしたたかなしぶとい力について少し考えてみよう。
   おおよその場合、したたかと云えばああ云えばこう云う、一筋縄ではいかぬ頑固者の代表例として語られるだろうが、逆にしたたかと云われている側から考えてみると、自分の持つ信念を曲げずに己の生き様を主張しているに過ぎなかろう。つまり味方に持てば頼もしく、敵にまわせば厄介な相手となってしまう。
    しぶといのもどちらかと云えばあまり褒め言葉にはつかわれない。少々疎ましく感じているとき、へこたれもくたばりもせず平然としている様子に対して使われたりするものだが、本人にしてみれば他人がどう思おうが、我が身に降り掛かる災難にたいして粘り強く対処するのは当然の事であり、相手を斟酌する必要もあるまい。
  こうして考えてみれば、したたかもしぶといもこちらが勝手に相手を評価しているだけの話しで、当人にとって大きなお世話としか言いようのないものだと云う事が明らかになってくる。
    日本人が好むいさぎよさや淡白なさまは、拘りのなさや未練がましさのない小気味の良いものとして好まれてきたが、敢えて云えばこのしたたかさやしぶとさは、ある意味この対極にあるものとも云えよう。諦めの良さや拘りのなさは日本人独特の美学であったのかも知れぬ。
    この流儀に則ったかどうかは知らぬが、このところ総理大臣を初め閣僚が自分の任務を放棄してまでも潔く辞任してしまう。国会が自分の思うように運営できぬ、党内に反対勢力があって傀儡政権となってしまった、両院が捻れて法案が通らない、こうしてその都度総理が辞めてしまうものだから外国の人々は日本の総理の名前や顔を覚える閑がない。またメディアに軽率な発言をしたり、献金などの処理についての正当性がなく、大臣任命後、僅か数日で辞任したり、自ら命を絶った例もあり、国家を運営して行く要職であるにもかかわらず適材適所とは云いつつ、何をもって就任するに至ったかの契機すら理解できない始末だ。
     国会議員をはじめ国家公務員は国民のために働く義務と責任があるはず。ドイツ首相アンゲラ・メルケルは首相候補に指名された第1声は「ドイツに仕えます」だった。
    我が国の内閣はその要職を私物化しているとしか思えぬ振る舞いではないか。大臣になれば選挙は一生安泰だし、1度総理になれば生涯の目的を達成した事になる。だから国家や政治は眼中にない。彼等の行動は全て自分のためのパフォーマンスであり、国民のためにやるべき仕事は自分のアイデンティティには見受けられぬ。具合が悪くなれば潔く辞めれば事は済むと考えているのだろう。
    これが今まで日本人が大切に育てて来た潔白や潔さだとすれば我々はもう一度したたかなしぶとい力について考え直さなければならない。
    外交問題では特にこのお人好しの日本人の感性が世界とのギャップを生む基となる。沖縄基地問題、米軍思い遣り予算、中国漁船衝突事件、竹島、北方領土、尖閣諸島などの領土問題、TPP、に至るまで日本の外交は国民の安全と幸せを守れるのか甚だ疑わしい。さらに言及すれば従来のような感性しか持ち合わせぬ政治家は日本にとって何の役にも立たぬどころか、むしろ国家に不利益をもたらす犯罪者でしかないのだ。
   唯一、我が国にとって明るい光が感じられるのは、先日行われた大阪ダブル選挙。若い人達の投票行動が大阪に新しい府市政の礎を作った。これらは単に大阪都構想に止まらず、水ビジネス、電力改革などの成長産業への規制緩和などが全国的な改革へと発展すれば、日本の政治家も従来のような自分の保身術さえ考えていれば良いと云うわけにはいかなくなってくるだろう。大阪の有権者が政治家を選んで自分達が考えていた政治を議員にやらせる、と云う稀にみる間接民主主義の手本のような結末を得た事ではなかろうか。これらの国民のためのイノベーションが全国的な広がりをみせる事を大いに期待したい。
           
           
           
           
 
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