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3月31日(木)宇多津 海ほたるカフェ 開演13:00
出演:村山岳(バスバリトン)
4月1日(金)丸亀市 ピアノカフェ・ルフラン 開演未定
出演:村山岳、ミレカン、細川千津代
4月2日(土)多度津町 ひろ濱うどん 開演18:00 「共に」歌とトークコンサート
出演:村山岳
4月3日(日)多度津町 詳細未定
高松市 SMUS CAFE 開演:19:00 入場料¥500(ドリンク代込み)
(ドリンク追加は別途料金、おつまみ付き、フード無し)
4月9日(土)高松市 天満屋10階「和の心」歌と琴の調べ
開演11:30、12:30、13:30 出演:村山岳、木村園代(琴)
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Life(生活)
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詳細
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或る日本人歌手の精進
今週もレッスンに励んでいます。高校1年生から歌を本格的に始めてから、最近、やっと歌と云うものが分かってきた気がします。
先日師匠に「体も開いているし、伸縮性のある動きもしている、美しい声だし、でもその言葉の色やその言葉が表現されないと、芸術家ではなく、そこらの学生だと、世界的な大歌手は色々な言葉で歌う。けど、会話はすべて正しいわけではない。けれども歌う時のその一言一言は感じて歌っている。たけし、言葉の一つ一つが魂から、その精神から出てこないと駄目なんだ。人間と音楽は魂とその精神にエネルギーをもって力がないと死んでいるのと同じである。魂とその精神に力があると体もそのように一体となる。筋肉や体が死ぬのではなく、魂と精神に力が無い事が死んでいるんだ。病気になる事を考えると、ストレスや魂や精神の疲れからくるだろう」=中略=
そして師匠に「もしこの先、お前が歌唱法に問題があったり、うまくいかないことがあったら、それは、お前が本当にその言葉を理解していなかったり、明確に歌の情景を思い浮かべていなかったりしたときだ。結局、体が開いて、技術的に理解して、良い声であってもそんなの音楽ではない、もうお前が美しい声なのは分かった」と云われました。でも、ここからの作業は、本当に自分の無意識の問題から潜在的な問題、性格、そして明確な世界観を持つまでの追求だと思っています。
http://bella-voce05.blogzine.jp/artist/ 「クラシック道場」より
この記事を読んで私も一緒に考えさせられた。
<人間と音楽は 魂とその精神にエネルギーをもつ力がないと死んでいるのと同じだ>いかにもウイーンのドイツ音楽の真髄が見えるような気がする。 しかし、魂と精神はどう違うのだろう。概念としては理解できるが、医学的に説明できるだろうか?
魂は死後でも存在するが、精神は生前の状態を指すのだろうか?それにしても死後を考えるのは生きている人間の行為でしかない。
話すように歌えとは声楽界で良く耳にする言葉だ。「台詞は歌うが如く、歌は喋るが如し」これは舞台人の定石。しかしこれは技術論。
言葉を理解する事と、情念として音楽に言葉を練り込む事は次元の違う行為だろう。
私も現役時代にイタリア人教授に歌を聞いてもらったとき云われた事がある。「イタリア語の発音で誤りは1カ所だけだった、非常に分かりやすい、でも貴方がイタリア語を話せないは何故だろう」
フースラー教授などは「歌は人間の属性だが、言語の習得によってこの属性が阻害されている」とまで述べている。
しかし歌である以上「初めに言葉ありき」のスタンスは曲げられまい。
ネイティブランゲージと外国語の歌詞とはどのように繋がっているのだろう。この問題をつきつめていくと日本人に歌える歌は日本歌曲の選択肢しかない、と云う馬鹿げた結論に至ってしまいかねない。
詞の内容が表現できれば、極論として歌うことなく詞の朗読でも良いのか。
歌を初めて半世紀以上たった今でも、分からぬことがありすぎる。
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もう次ぎの本を書いている
「実用美声学」の最終校正が終った。覚えるほど何度も読み返したにも関わらず、変換ミス、用語ミスなどがある。自分が書いた文章を冷静に見つめる難しさを毎度のように味わうのが校正の作業だ。昔のようにやたら漢字を使うことはなくなったが、私の文章は句読点が少なく、闇雲にセンテンスが長いらしい。これも自分ではほとんど自覚症状がない。
残るはあとビデオ編集のみとなった。これは大まかなところはケリがついているので、あとは詳細の手直しだけだろう。
したがってもうすでに次の本の執筆にとりかかっている。2冊を出版してみて感じた事。それは手元に音声と映像が欲しいことだった。音楽を伝承するには音源と映像が必要なことは云うまでもないので、今回のようなYouTube掲載の本を思いついたのだが、究極のところ、文章を読んでいる途中で、すぐにでも音源や映像が引き出せるような手品があれば誠に好都合というわけだ。
そこで考えられるのが電子書籍。これなら音源、映像、アニメーション何でもござれで、一方通行ではあるが歌のレッスンとさほど変わりはなかろう。ネットやスカイプなどを利用したQ&Aのネットワークを確立すれば、へたに声楽教室へ通うよりは余程ましな実力が身に付くこと請け合いだ。こう考えただけでも身体がキーボードへ向かってしまう。
まったくどこまでやるつもりなんだろう。
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すすはらい
年末の恒例すすはらいを、私のブログでも行う事にした。
ブログは手軽に自分のホームページを作成する事ができるが、レイアウトやデザインについては全く自分の思い通りと云うわけにはいかない。つまりお仕着せの既製服のようなもので、サイズさえ合えばデザインや生地、仕立ての細部に至る注文をつけるわけにはいかない。
以前、私が自ら作ったホームページhttp://www.geocities.jp/matsuoatsuoki/「美声学ネット」のデザインに出来るだけ近づけようと試みたものが、今回リニューアルしたトップページで、限られた制約の中からなんとかそれらしい雰囲気に近づけたと思っている。
見比べて頂ければ分かるとは思うが、白を基調にしたものが基本的には好みでもあるので、どうしてもこのような雰囲気になってしまう。しかも今までのトップページは目次の最後に辿り着くまでにワンクリックでは収まらなかったところにも不満があった。ガイドの写真は従来の半分のサイズになってしまったが、むしろ目次らしさが出てすっきりと収まっているのではなかろうか。
新しい歳はどんな事が起るのやら、そしてどんな記事がアップできるのやら見当もつかぬが、今年一年息災に過ごせた事を感謝しつつ一年の締めくくりとしたい。
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DVD器材、財務省に通るかこの予算案。
実用美声学の校正も来週にはメドがたつようになってきた。いよいよ第2作目をリリースする。原稿とDVDは既にカワイ出版の手に渡っているので、こちらとしては校正の作業以外、静観している他ないのだがなにせ年金生活の隠居ゆえ、時間は有り余る程持ち合わせている。 日がなTVを見たり本を読んだりするだけでは時間を持て余してしまう、そこでまたぞろ新しく文字をしたためようと思う悪い癖が顔を出すことになるわけだ。
2作の本を刊行してみて得た事とは、声や歌について解説するには文字だけでは到底あらわせるものではない、と云うことを今更のように痛感した。
第2作目の「実用美声学」ではそれを見越してYou TubeにDVDを掲載し、本と抱き合わせる事で問題解決を計ろうとしたが、たしかに第1作の「美声学」よりは具体的となり進歩は見えるものの、本を開けば文章と映像や音声が同梱されていると云うわけにはいかない。
こうなれば今はやりの電子書籍だ!
本を書くものとして紙の上に自分が書いた文字が記してあるのを見るのが、著者として何よりの満足感を味わうことになろう。しかし21世紀に及んで書物のあり方はドラスティックな変化を遂げた。電子書籍の端末さえあれば世界中のどの図書館よりも多くの蔵書を持ち歩く事ができるし、おまけに文字に止まらず画像や音声までも同時に嗜む事ができる。これは図書館どころの騒ぎではない。映画館をそっくり持ち歩いているようなものだ。
かくして電子書籍を見据えた第3作の執筆に取り組むことを目論んだのだが、このところ各社から発表された電子書籍の端末サイズが大型化している。iPadに至ってはB5版のサイズまで拡大され動画を導入した場合、およそ18インチディスプレーのフルサイズ画面を目にすることになる。
現在私がつかっているのは21.5インチのMacディスプレーだがYouTubeの動画をフルサイズで見るには無理がある。今使っているビクターEverio GZ-HD30ホームビデオで撮った映像をこれまたフルサイズで見ると、商売ものにするには少々覚束ない。18インチディスプレーならば多少の余裕は出てくるだろうが、それにしても電子書籍端末サイズの大型化には当方もそれなりの対策をとらねばなるまい。
かくして業務用撮影器材を物色することになる。業務用だから仕方が無いと云えばそれまでだが、我々の予想をはるかに超える値段であることにたじろいでしまう。総予算、下手をすると車の1台も買えようかという値段にはどう考えても採算が合いそうにも無い。撮影器材の中古品だけはリスクがおおありなので対象外だが、量販店のネット販売をいくら嗅ぎ回ってもここに記した値段以下の旨い話はありそうにもない。
良いものを作るにはそれ相当の金がかかるものと思い知った。果たしてこの予算案、我が家の財務局の仕分けをクリアできるだろうか。
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