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美声学ブログ(松尾篤興のブログ)
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次期衆議院選挙のための有権者心得(電力マフィアとの決別)

野田内閣が発足しましたね。
野党だけではなく身内からも辞めろコールを浴びた菅内閣が総辞職をしたので、小沢、反小沢入り乱れての代表選はまるでお祭り騒ぎと云おうか百花繚乱と云おうか適任者不在と云おうか、とにかく賑やかなものでした。
見事、選出の栄誉を獲得した野田佳彦はノーサイドを宣言し、小沢派に気配りした竹に木を繋いだような当たり障りのない、泥鰌内閣を立ち上げ、平身低頭の船出を果たしましたが、いくら腰が低いとは云え、表敬訪問の経団連米倉会長にまで挨拶をするとは夢にも思いませんでした。まさか法人税増税(実は実質2%の減税)のシナリオの打ち合わせのためではなかったのでしょうね。
増税と云えば財務省時代からの増税論者で通っている野田佳彦の独壇場ですが、所信表明ではやはり初めに復興増税ありきでした。想定外、未曾有(官僚の好きな言葉ですが)の国難に対する国民の理解を求めたつもりでしょうが、増税というのは政策でも何でもない、金が足りないから金をくれ、と云うのは小学生でも出来る発想なのです。
災害にあった地方を復興させるためには、何が必要で何をしなければならないかを説くのが政策というものでしょう。予算がないから税金を徴収すれば、一時はそれで賄えるかもしれない、しかし増税すれば世の中の景気は冷え込みかねないし、そうなれば後々税金を徴収しようにも思うように金は集まらなくなるのは子供でも解る理屈ではありませんか。
地域の復興は増税して得た金をばらまくだけではなく、それ以前に農業、医学、電力など参入の難しい産業に対する規制緩和が施されてこそ、経済活性化の見通しが立つのではないでしょうか。とりわけ問題になるのが電力事業に対する各界の癒着振りで、原発事故以降、規制緩和の目玉である発送電分離は一つの流行語になってしまいましたが、単に掛け声ばかりで一向にその具体的な法案が提出されないのは理解に苦しむばかりです。
従来、日本の政治改革の槍玉に上がったのが公務員制度改革でした。民主党が掲げたマニフェストは見事、国民の賛同を呼び政権交代を果たしたのは記憶に新しい事でしょう。しかし残念な事にこれらの改革は日の目を見ずに終息を迎えようとしています。公務員制度改革の本丸である天下りの問題などが未だに横行している陰には官僚と電力会社の癒着があるからに他なりません。そして天下りを断ち切れないのは政治家にも電力会社との癒着が数多く見受けられるからでしょう。自民党の先生がたは財界経由で、民主党の方達は労連を通して、選挙の票を確かなものにするにはどうしても電力会社の力が必要なのです。
政官だけではありません、電力なしには商売が出来ぬ財界、財界と大のお友達である金融業界、東大を初めとする御用学者、電力会社が独占企業であるにもかかわらず高額な広告費を懐に入れているテレビ業界、果ては福島原発のような大事故を起こしても捜査をしようとしない検察。すべてが電力会社との金まみれの癒着の構造のせいなのです。
こう考えてくると日本という国は電力会社という巨大なマフィアによって動かされていると云う事実が浮かび上がってくるのではないでしょうか。
世の中すべて金しだいさ、とうそぶくのが下町のいなせなお兄さんならまだしも、それが巨大な電力マフィアが陰で日本を操っているとすれば、だれだって日本を捨てて海外移住を考えざるを得ないでしょう。何しろ政界、財界、官僚、学会、報道、検察、どちらをむいても電力のデの字でも批判すればたちまち痛い目にあう、電力マフィアの手下達が手ぐすね引いて待ち構えているのですから。
これらを是正するのが政治だとは思いますが、現状ではとうていおぼつかない状態なのが見えてきます。日本は政権交代をして2大政党の姿が見えてきたなどと云われていますが、よく見ると自民党にも民主党にもそれぞれ保守的な人と革新的な党員がいて、アメリカやイギリスの2大政党とは少々勝手が違い、むしろ4つの政党が存在すると考えた方が良いのかもしれません。例えば原発の問題ひとつ取り上げてみても各党それぞれ推進派、反対派がいて、党内が一致したイデオロギーであるとは考え難いからなのです。
年に一度は新しくなる我が国の総理ですが、次期衆議院選挙は2年後の20139月に迫っています。今回の野田総理が任期満了までもつ、もたないは別として、いやでも2年後には選挙で投票する権利が生じ、我々が唯一、直接国政に携わる機会が待っているのです。
そこで提案ですが、幸い今の選挙は小選挙区制になっています。従って衆議院だから政党を基準にして投票してきた今までの基準を全て白紙に戻し、人物本位の衆議院選挙投票に考え方を改めては如何でしょう。
では投票基準となるものは何か。それは電力マフィアに侵されているか、否かを基準に投票するのです。投票する側も今までのように政党のマニフェストのような絵に描いた餅に惑わされる事なく、自分でしっかりと下調べをした上で投票する人物本位の投票行動こそが、今後の日本再生にかける動機となりえましょう。
なぜなら独占企業である電力会社の、体の良い半強制的な電力料金に上乗せされた利益のおこぼれによって、如何なる政党の電力族議員も電力会社との金まみれの癒着が、このような電力マフィア国家の隆盛を助長したのですから。
しかし絶望的な展望ばかりではありません。なかにはきっと電力マフィアとは縁もゆかりもない人物が目にとまるはずです。これらの人達を選出する事によって新しい日本の政治のあり方が芽生えてくる事でしょう。
云う迄もありますまい。我々が政治に関わる機会は選挙しかありえない。ですから、この千載一遇のチャンスを何とか生かして、後に続く子供達のためにも、より良い日本の政治形態をつくる糸口にしたいものです。
 
 
 
 
管内閣「減原発」の工程表、発送電分離を検討2011.7.29.朝日新聞より)
イメージ 1東京電力福島第一原発の事故を踏まえ、新たなエネルギー政策を検討する菅内閣の「エネルギー環境会議」(議長玄葉光一郎国家戦略相)の中間整理案が明らかになった。「原発への依存度を下げていく」として「減原発」の方向を示し、2050年ごろまでの工程表を策定する方針を明記。電力会社による地域独占体制の見直しや、電力会社から送電部門を切り離す「発送電分離」の検討も掲げている。29日の同会議でまとめ、公表する方針だ。菅直人首相は将来の「脱原発」を目指す考えを表明してきたが、内閣として原発を減らす方向性を打ち出すのは初めてとなる。中間整理案は「原発への依存度低減のシナリオを描く」とし、現行のエネルギー基本計画を根本的に見直す姿勢を提起。従来の推進政策の前提となってきた原発の安全性や発電コストを徹底的に検証することを掲げている。使用済み核燃料を再処理して使う「核燃料サイクル」など日本のエネルギー政策の根幹部分も検証の対象に含めた。
自民党の谷垣禎一総裁は19日の会見で、菅直人首相が電力会社から送電部門を切り離す「発送電分離」を検討する考えを示したことについて「自民党政権の時にもかなり議論した。メリットもデメリットもあり、なかなか難しい問題だ」と語った。
 
今井一氏の提案「原発国民投票」イメージ 1

 画期的な国民投票で、ベルルスコーニをはじめ誰も文句をつけられない主権者の明瞭な意思が示されました。イタリア市民はこの国民投票で人類史に記すべき1ページを刻みました。

憲法改正の是非を主権者に問う国民投票法は、2010年5月18日に施行されました(2007年5月公布)が、これは憲法改正のための手続き法であって、安保や原発といった一般的な案件に関する国民投票を想定してはいません。この憲法改正についての国民投票のように、投票結果に法的拘束力がある国民投票をやるのであれば、憲法の改正が必要です。

なぜなら、憲法第41条には「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。」と明記されているからです。イタリアやスイスのように法的拘束力のある国民投票にするためには、まず憲法を改正して、国会だけではなく国民投票でも法律の制定、改正、廃止ができると明記しなくてはならないわけです。
そうなると、国民投票の実現までにはかなりの時間がかかってしまうでしょう。しかし、スウェーデンのように投票結果に法的拘束力を持たせない「諮問型」の国民投票であればそのためのルール(国民投票法)を作ればすぐにでも実施が可能です。

スウェーデンの例で説明しましょう。スウェーデンでは、1979年のスリーマイル島の原発事故の翌年、議会と政府の呼びかけで、原子力政策に関する国民投票が行われました。このときは、あらかじめ各政党間で「投票結果を最大限尊重する」という申し合わせがされて、結果に法的拘束力はないけれど、「主権者の意思」として優先的に施策に反映させる、ということになっていました。
日本で国民投票をやるとしたら、このやり方を倣うのがいいでしょう。国会と政府が国民投票の結果を尊重する、あるいは参考にする、という取り決めを事前にしておくという形です。もし実現すれば日本で最初の国民投票になるのに、その結果を政治家たちが簡単に反故にできるはずがない。いくらなんでも国民は怒るでしょう。そんなことをしたら、その政治家は当選できないどころか、立候補もできなくなるんじゃないでしょうか。
実は、これまで日本では400件以上の住民投票が行われていますが、この場合もその結果に首長や議会が「従わなくてはならない」と住民投票条例に定めていたものは一つもありません。「尊重して行う」と記してあるのです。でも、結果を反故にされたのは、私が知っている限りでは2件だけです。

 一つは宮崎県小林市の産廃処理施設建設問題。投票では反対派が多数を占めましたが、建設を中止させるには民間企業に莫大な賠償金を支払わなくてはならないということで、中止にはならなかった。これは、建設を進めていたのが行政ではなく私企業だからということで、仕方なかったという部分があります。
 そしてもう一つは沖縄県名護市の、米軍ヘリポート基地建設をめぐる住民投票。これも反対多数の結果が出たものの、市長が突然辞任して、「国の安全保障にかかわることだから」と、強引に建設の方向へ押し切られることになった。でも、これにしても住民投票をやったからこそいまだに基地は完成していないという言い方もできるわけです。
だから、法的拘束力はなくても反故にされる可能性は非常に少ないし、相当な効果はあるということです。
 私は、そこは1人1票でいいと思います。『通販生活』に日米安保を国民投票にかけ「賛成」が多かった都道府県順に基地を引き受けるべしという記事を書いたんですが、日米安保条約についての世論調査で「賛成」が7割を占めるのは、基地はうちの町には来ないという安心感があるから。でも原発の場合は基地とは大きく違う、ということが今回の事故ではっきりしましたよね。実際に今、福島で起きた原発事故により首都圏がこれだけ影響を受けているわけですから。
つまり、自分の町に原発はなくてもひとたび原発事故が起これば、遠く離れて暮らしている自分のところにも影響が及ぶということ。みんなそれも考えた上で決断することになるでしょう。むしろ、原発のある地域の人が、原発がなくなったら交付金がなくなるから、と原発を残すほうに票を入れる可能性もあるし、地方が反対しても大都市は賛成、なんていう単純なことには、決してならないと思います。
加えて言うと、名護市のヘリ基地をめぐる住民投票のときも、「お金は西海岸に落ちる、ヘリコプターは東海岸に落ちる」なんていうことがよく言われていました。基地の建設予定地になっている名護市東部の辺野古は、人口は名護市全体のわずか約2%。ほとんどの人は、住宅地や商業施設が集中する西側に住んでいるからです。こんな状況で住民投票をやっても、さらに「押し付け」の構図が強まるだけじゃないか、と。
ところが、住民投票の際、投票区ごとの結果を見てみたら、辺野古などの東側のほうが「基地建設に賛成」が多かった。多数の人が基地を受け入れなければお金が来ない、と考えたんですね。一方で、西側に住む人たちのほうが、「自分たちは交付金を使い、ヘリコプターは辺野古に落ちる、そんなことには耐えられない」という判断をしたわけです。

石原(都知事)を選んだ人々に賢明な国民投票が為せるはずがない──そういう声はよく聞きますが、では石原以上にひどいかもしれないベルルスコーニを選んだイタリア市民は愚かな国民投票をやりましたか? 選挙と国民投票は本質的に違うものなんです。
私はこれまで住民投票の現場にも度々取材に行きましたが、みなさんものすごく勉強されますし、集会を重ね、議論も積み重ねて、いろんなことを実によく考えています。いざ「原発の是非を決める国民投票をやろう」ということになれば、みんな真剣になるはずです。
原発に関する住民投票はこれまで、新潟県の刈羽村、同巻町、三重県の海山町(現紀北町)の3カ所で行われていますが、いずれも原発反対派が圧勝してますが、その前あるいは後の首長選挙や議員選挙では、原発推進派が勝っています。なぜこのようなねじれた結果になるか、と言えばそれは通常の間接民主制の選挙では、経済政策とか景気対策とか、別のところに争点が持っていかれてごまかされてしまうからです。
「脱原発」派が本当に「脱原発」を進めたいのであれば、直接投票に持ち込まないと難しいのではないでしょうか。それは過去の事例が証明しています。

先ほども触れたように、諮問型の国民投票であれば憲法改正は不要ですから、国民投票のためのルール――「原発」国民投票法の制定が必要になります。
そうです。そして、そのときに大事なのは、国会議員に「作ってください」とお願いするのではなく、市民が自分たちの手で草案を作るということ。主権行使のためのルールですから、主権者である我々の手で作って、国会に「このとおりにやりなさい」と持ち込むべきだということです。
そのために今、<みんなで決めよう「原発」国民投票>という市民グループを立ち上げて、市民案の作成など、国民投票の実現に向けた活動を進めています。

一番困難なのはこの法律を作らせることです。しかし実は、2007年の憲法改正国民投票法制定に至る議論の中で、現与党である民主党は、自民党・公明党が出した併合修正案に反対する最大の理由として、「対象が憲法改正に限定されていること」を挙げていたんです。
そして最終的には、次の四つについて国民投票の対象を拡大すべきだ、という案を提示しました。(1)憲法改正の対象となりうる問題 (2)統治機構に関する問題 (3)生命倫理に関する問題 (4)その他国民投票の対象とするにふさわしい問題として別に法律で定める問題 の4点です。(2)は例えば日米安保、(3)は脳死や臓器移植や死刑について、そして(4)は簡単に言えばそれ以外で重要な問題、ということですよね。
この(4)にかけるテーマとして、原発以上にふさわしい問題はないですよ。しかも今、民主党は与党で国会でも多数派を占めている。それなのに、これだけ主張していたことにぴったりのテーマについて、行政府として、あるいは立法府で多数を占める勢力として国民に提案しないのはおかしい。

私は、原発を今後どうするかというのは、この国をどうするかそのものと言っていいほど大事な問題だと考えています。広瀬隆さんが1986年に出した『東京に原発を!』という本の解説で、野坂昭如さんが「原子力発電を論じることは国家そのものを論じると言ってよく、しかもこれほど国家の体質をあからさまに浮き彫りにする存在はほかにない」と言っていますが、そのとおりだと思います。原発を残すのか、なくしていくのかということは、間違いなく憲法改正にも匹敵する問題です。
その憲法改正については、憲法96条で「国民投票で決める」と定められています。であれば、原発についてもそうあるべきだと思う。国会だけで決めることではなく、国民に「どうしたらいいのか」を問う、そうしないと、今後また何か問題が起きたときにも「私が決めたんじゃないのに、なぜ責任を負わなくてはならないのか」ということになってしまう。

例えば、今後も原発を維持するのだとしたら、また原発事故が起きたときに、住んでいる土地が汚染されてしまった人たちはそこを出て行かなくてはならないし、それ以外の人たちも被害者への補償は税金で負担しなくてはならない。逆に、原発をなくすとしたら、さまざまな部分で節電への努力などが必要。そのどちらになっても、自分たちで決めたんだから責任を持って自分たちでやっていくんだ、ということにしないとダメだと思うんです。政府や議会が勝手に決めて国民に協力を求めるんじゃなくて、主権者が自分たちで決めて、自分たちが責任を取るということです。
先ほども申しましたが、原発のことを争点にして賛否を決める国政選挙なんか現状ではあり得ません。共産・社民を除いて現職議員のほとんどは、原発推進か容認だろうし、自民党と民主党が小選挙区で争うのに、「脱原発」、「原発推進」を公約として明示するとは思えない。両方とも「原発容認」ですよ。きっと「危険な原発は認めませんが、世界一安全な原発を推進します」なんて、インチキ公約を出すにきまってます。そんな選挙でどうやって原発の問題に決着をつけるのか。つけられるわけがありません。だから選挙は選挙でやって、原発は原発で国民投票にかけるべきです。それは例えば日米安保の問題も同じ。自民党も民主党も日米安保に賛成で、辺野古への普天間基地移転に賛成。そんな状況で、どうやって選挙で国民が現行安保の是非を「選べる」のかということです。

そうです。そして、日米安保や死刑制度など、さまざまな「大事な問題」の中で、とにかく今、優先順位が高いのが原発だということ。神戸大学の石橋克彦名誉教授なども「近いうちにまた大きな震災が起こる可能性が非常に高い」と言っています。だからまずは原発の問題について決着をつけて、それから次の問題を考えようということです。
一度国民投票をやって、主権者が「自分たちで選択できる」実感を得たら、そこが突破口になって「だったらほかの問題も自分たちで決めよう」となるんじゃないかと私は思っています。大事なことは自分たちで決める」ことの意味を見出し、主権者としての自覚を強めることです。
 
マガジン9 より転載    
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パンドーラの箱を開けた総理(経済産業省大臣官房付 古賀茂明氏の告発)
 
菅総理が脱原発政策をぶち上げた。
岡田幹事長は、総理個人の思いを述べたに過ぎない、と述べ、共産党の市田忠義書記局長は、それ自体は前向きのもの、と評価し、社民党党首福島瑞穂氏は、首相の英断を歓迎したい、と語り、自民党の石破茂政調会長は、単なるポピュリズム、と批判し、公明党の山口那津男代表は、首相続投への足掛り、と云い、みんなの党の渡辺喜美氏は、政権浮揚の思い付き、と断じた。
人は立場によってこれほど評価の差が生まれるものだ、国民の7割以上が今や原発は不要だと叫んでいるにも関わらず、与野党のこれらのコメントを聞いていると、その人、その党の立場、しがらみさえも見えてくる。
1956年元総理中曽根康弘、読売新聞社社主正力松太郎などによって原子力委員会が設置されてからというもの、日本の電力会社は2008年までに55基の原子力発電所を設置し3基の建設中、11基の計画中のものを含めると69基の原子力発電所を保有する世界第2位の原子力発電大国となってしまった。
我が国の電気料金は、経費と利潤を合算したものに対して一定の比率によって算出される、といった法律に保護された電力会社は膨大な発電施設、送電施設を有する独占企業として政治、経済、金融、学会、報道、果ては芸能、スポーツの各界に至るまで絶大なる影響力をもたらし、日本の全てを牛耳るマンモス企業に成長した。
経費が掛かれば掛かるほどより高い電気料金を徴収できる法律をつくってしまったばかりに民間企業とはいえ、発電と送電の一体化などによって、他の企業の参入を困難なものにした独占企業が誕生したわけだが、今やこの怪物はとてつもない成長を遂げ、我が物顔に大手を振って日本中をのし歩いている始末で、誰もこの怪物の首に鈴をつけようとはしない。
企業にとって電力はなくてはならぬもの、その企業や労働団体が選挙を支えているし、資金が欲しい御用学者は電力会社のイエスマンであり、広告料でなりたつTVや報道関係はこの横暴振りを見て見ぬ振りを決め込んでいる。
長いものには巻かれろとはこのことか、誰一人として物事の本質である電力会社の絶大な権力がもたらした世の中の歪みである事をとらえようとはせず、 現在のような世の中になったのは政治のせいだったり、官僚の権力であったり、はたまたこれらを選出した国民の無能さなどに向けられ、一向に物事の本質を正そうと云う所まで論議は進まない。
    ドイツのメルケル政権は6日、国内に17基ある原子力発電所を2022年までにすべて閉鎖し、風力などの再生可能エネルギーを中心とした電力への転換を目指す政策を閣議決定した。東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて、他国に先駆けて、脱原発政策を正式に決めた(朝日新聞)
    原発再開の是非を問うイタリアの国民投票は14日朝までに開票がすべて終了し、原発反対派の票が9割以上を占めて圧勝した。東京電力福島第一原発事故後に欧州で広がる反原発世論の強さが示された(朝日新聞)
スイス政府は25日、国内に5基ある原子力発電所を、寿命を迎える2034年までに廃炉とし、改修や新規建設はしないとの国家目標を決めた。福島原発事故後、ドイツに続き「脱原発」政策にかじを切った(朝日新聞)
これらは日本の福島原発事故後の世界原発保有国の流れである。世界の国々が今回の福島原発事故を受けて、急遽、脱原発へ舵取りを修正したかが伺える。しかし当の日本となると、世論は今や7割以上脱原発への意見が集約されているにも拘らず、政治、経済、金融、学会、報道にいたる各分野で遅々として脱原発の動きが進まないのは、国民にとって誠に理解し難い現象と云わざるを得ない。
   先日テレビ朝日のモーニングバードに出演した経済産業省大臣官房付、古賀茂明氏が菅総理の脱原発政策についてのコメントがあったが、まさに現在の政治を経済産業省の裏から見た現実味のある意見としての重みが感じられる。
   ここに及んでこれからの日本は、脱原発問題としての論議に止まらず、政治、経済、金融、学会、報道の各界に巨大な影響力を持つ電力会社のあり方、つまり原子力による電力生産の問題だけではなく、送電、配電などの仕組みが我が国の電力会社と各界の力関係やもたれ合いの根源である事を鋭く指摘した古賀茂明氏の話に耳を傾けるべきであり、更に言及すれば電力会社こそが日本に於いて従来引き起こされてきた電力会社と各界のもたれ合い、癒着からくる国民生活へのしわよせ、圧迫を招いてきた元凶である事に気付かなければならぬ。
脱原発政策をぶち上げてパンドーラの箱を開けてしまった菅総理は果たして自分の思惑通り事を進められるだろうか。






 


 
京都、大原、野むら山荘  http://www.nomura-sansou.com/

和歌山の法事の帰り、十数年ぶりに親友、同志社女子大名誉教授尾崎寔さんを訪ねて京都を訪問した。
知子夫人の紹介で大原にある野むら山荘の暖簾をくぐる。
7月梅雨明け寸前の猛暑日というのに大原の山中は冷房不要の涼しさ。
久しぶりに自然の涼と静けさを味わった贅沢な休日となった。



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