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美声学ブログ(松尾篤興のブログ)
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書庫Essay(随筆)

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消えたお年寄り=高齢者の老後

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長寿国世界一日本の屋台骨を揺るがすニュースが連日報道されている。
100歳以上のお年寄りの所在不明者がついに60名を超えた。
石原東京都知事は親を看取らぬ現代の親子関係をなじったが、100歳の祝いと称して本人に逢う事すらせず記念品のみを送りつけ、敬老の仮面をかぶっている地方自治のあり方こそ問題があるのではなかろうか。
確かに人間関係、それも親子関係が希薄になりつつある社会になってしまったことは否めない。核家族どころか親子の孤立が甚だしいのは何も現代社会の歪みとばかりは云っていられまい。人間の倫理観の低下、教育の荒廃、価値観の違いなどが戦後軍国主義から外部から強制的に与えられた民主主義への転換による生き方や総括ができぬまま、ついに歪みを生じたとも云えよう。
高齢者の路上生活者に見受けられる偽名や通称は、いかに彼らが世間を憚る境遇に追い込まれているかが伺えるのも、国家がこれらの老人にたいするセーフティネットを怠ったからに他ならない。
青少年の犯罪者に対しては更生を配慮した措置がとられているのに、世間を憚る老人への処遇は余りにも全てが自己責任として片付けられてはしないだろうか。
政府や地方自治体は介護とか敬老などと美辞麗句をならべる前に、年寄りが本当に必要としているものは何かの判断が適切に下されないかぎり、世界に誇る長寿国の道のりはほど遠いものとなろう。

(写真は日本のお婆ちゃん、北林谷栄さん)

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選挙のたびに思うこと=どこへゆくにほん
 
 参議院選挙が終わった。
 前回衆議院選挙から1年足らずの事ではあるが、いつもの事ながら日本の政党の主張はどうしてこう党利党略に偏ったネガティヴキャンペーンに終始するのだろうと思う。
 選挙であるからには先ずは当選する事が第一義だと考えるのも無理はない、そして政治とは権力闘争以外の何ものでもないと云う意見もわかる。しかし何のための党利であり、闘争であるかの明確な政治理念がないかぎり、これらの政党は国民を代表するものとして選出される筈がないのもまた真実ではなかろうか。
 自民党の中で政治的基盤を持たぬ小泉純一郎が民意を味方につけ自民党をぶっ壊すと叫んで亀井静香や平沼赳夫等を党外に追いやって選挙で大勝し長きにわたって政権を維持した。考えてみれば郵政改革の大義名分をかかげたクーデターとも云えよう。
 自民党は今回の参議院で議席を増やしたものの、派閥は消失し、党の重要人材を外部に放出し未だに世代間の軋轢を解消できぬまま野党に転落後立ち直ったとは云い難い状態が続いている。議席は増加したものの、党の得票数や無党派層の動向をみればこれらの事が読み取れるだろう。
 一方、自民党政治20年間のやりくちに業を煮やした人々の後押しで生まれた民主党政権は無血革命とも云われるドラスティックな政権交代をやってのけた。しかし政治と金の問題や普天間などの日米安保についての外交問題で鳩山政権はわずか8ヶ月で消失し、後を引き継いだ菅直人もG8の手土産のつもりか突如消費税増税を切り出し、政権支持率6割を超えたせっかくのご祝儀相場を棒に振ってしまった結果、参議院の与党割れを引き起こし、みんなの党の躍進に手を貸す始末となったのも菅政権が民意を読みきれなかったのに対し、みんなの党渡辺喜美のアマチュア的透明性が有権者の心を揺さぶった結果と云えるかもしれない。
 政権交代を行った我が国でも二大政党制の到来などとメディアは囃し立てているが、頭数だけは二大でも政治的スペクトルが代わり映えしない二大政党制で、双方とも政治難民キャンプの如き寄り合い所帯であることは否めまい。
 参議院選挙の結果のねじれ現象はさらに困難な政権運営を強いられようが、どだい一緒にくっついている方がおかしい二大政党なのだから、多少国益には反し我が国の衰退を招くことにもなりかねないが、ここらでそれぞれの身の振り方を決める、つまり政界再編を考えなければいたずらに無駄な時間を費やし、本当に解決しなければならない問題を先送りし、後世に負債をのこすことになるだろう。
 9月の民主党代表選挙が今後の政界再編にどのような影響を及ぼすかが、日本のターニングポイントとなるかもしれない。

母校めぐり(我が青春の歴史)

最近ネットなどで地図をみているとロードマップや航空写真、おまけに街並の写真までが添えられていて、あたかも現地を訪れたような気分が味わえる。そこで今回は私が通った母校巡りをしてみよう。

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福岡市立大名小学校
明治6年開校
所在地:福岡県福岡市中央区大名2丁目6−11
 
福岡の中心地、天神の西、西鉄グランドホテルの隣に位置する市立小学校で、校名「大名」は単なる地名であり旗本、大名とは全く縁もゆかりもないのだが、子供心にこの校名が大いにきにいっていたのは我ながら面映い。福岡のど真ん中に位置するために生徒数も激減し、やがて統合、廃校の憂き目にあうのではなかろうか。すでに校舎保存の話もちらほら耳にするようになった。

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西南学院中学校
大正5年開校
所在地:福岡県福岡市早良区西新6丁目2−92
 
今は学院の博物館として保存されているドージャー記念館だが、我々中学生の頃は毎朝ここで朝の礼拝がおこなわれ聖書を読み、賛美歌を歌った思い出が懐かしい。
校庭のすぐ前は博多湾の海と松林だったが、今は埋め立てられその面影もない。

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福岡県立福岡高等学校
大正6年開校
所在地:福岡市博多区堅粕1丁目29番1号
 
学年の1/3は地元九州大学に入学する、といった福岡県1.2を争う進学校だっただけに文武両道を旨とした質実剛健の学校だった。スポーツではラグビーは全国的に有名で私が在籍していた音楽部や文芸部などは部活の予算獲得に大変苦労した記憶がある。音楽部の話はこのブログにも掲載した自著「芸大中退未だ現役」のなかにも記されている。
音楽部のときの親友2人は半世紀以上経った現在も交友が続いていて、Skypeなどでの茶飲み話の相手。

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東京芸術大学
明治12年開校
所在地:東京都台東区上野公園12-8
 
この当時のはなしも上記の「芸大中退未だ現役」に収められているが、当時の上京は九州博多からの内地留学ともいえるほどの大旅行で、今考えてみるとよくもまあ1200キロをたびたび往復したものだと思う。
芸大のシンボルでもあった旧奏楽堂は今は上野公園内に移築されてしまったが、我々学生の社交場だった音楽学部学食キャッスルは未だに健在で二代目ユタカさんが腕をふるっている。5円のホットレモン片手に音楽談義に華を咲かせたのもすでに半世紀が過ぎてしまった。





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○○的なことばづかいと日本人的感性
 
最近、若者達の間で交わされるようになった言葉のひとつに「わたし的には」とか「気持ち的には」という表現がある。
以前は「私としては」とか「気持ちとしては」などと云っていた表現だが、
一体この〜的の的にはどのような意味合いが込められるようになったのだろう
そもそも中国語から発生した助詞「的」には「の」という意味が込められている。「日本的風景」は「日本の風景」であり、「日本語的表現」は「日本語の表現」と言い換えられよう。
また英語の「〜ic」などの形容詞を「的」とも訳すようになり、「scientific」「科学的」などの例がみられるようになった。これは科学という名詞ではなく形容詞であるので「科学のような」とでも云えるのかもしれない。
さらに近年では前述の「わたし的には」とか「気持ち的には」などの表現が若者言葉として定着しつつあるのを見逃すことができない。
これらの「的」のなかには、
*そのような性質をもったものの意を添える。
*文句を受けて全体を体言格とする場合。
*漢語について直接または「な」を伴って連帯修飾に使う。
*そのような性質を有する、それに近い、の意を表す。
*それに関する、それについての、その方面に関する、などの意。
また2000年の新語、流行語大賞のトップテンに選ばれた「わたし的には」は私のほう、私みたいな、などのように「〜だ」「〜です」と断定しない、若者特有のぼかし言葉ということができる。
つまり日本語の変遷ひとつとってみても昔は「武士に二言は無い」と断定していた日本人は、敗戦と同時に自己責任の自信を失い、断言することを控え、できるだけあたりさわりのない表現を編み出したといっても差し支えないのではなかろうか。「善処します」「前向きに検討します」などの日本の頭脳集団、官僚が考えだした毒にも薬にもならぬ意味不明の日本語をみても、その自信の無さと曖昧さが伺えよう。
 

65年昔のタイムカプセル、映画「陸軍」

YouTubeで遊んでいると偶然、昭和19年制作、木下恵介監督、田中絹代主演映画「陸軍」のラストシーンに遭遇した。
かねてから、この映画が私の育った福岡市橋口町で大々的なロケが行われた事は、戦後に発行された博多50年史などで目にしていたし、朧げながら記憶にも残ってはいた、またこの映画「陸軍」をいつかは購入しようと考えていた。
このロケが行われた旧橋口町は現在の昭和通りにあった街で博多のメインストリート明治通りよりも1本海側、東西にのびている通りのせいか、昔から要人の来日パレードや映画ロケに使われることが多く、現在も博多どんたくなどの練り歩くコースにもなっている。
また現在も当時の日本生命社屋が赤煉瓦文化館として保存されているが、当時としてはモダンな建築物があった側で暮らしていたせいか、生家の料亭が様々な形で被写体として残されているのは幸運というべきだろう。
いずれにしても65年ぶりの我が家との再会はすべてが懐かしく、すべてが想いで深い。
昭和は遠くなったとは云うが、私の中ではまるで昨日の事のように、はっきりと生きている。

こちらに映画「陸軍」のラストシーンが掲載されています。
http://www.youtube.com/v/ywcDZp1hI2U&hl=ja_JP&fs=1,425,344

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八百重の店名がみえる我が家。

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書名は定かではないが博多写真史に掲載されたロケ風景

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