待 有為(まつ・う井)の日記、

日常身の回りのこと、思いつくこと書き残そう、

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2008年2月14日、高岡の山峡にある、説話にいう「塩売石」を訪ねました。地図に鉛筆の印を石川県側志雄から付けだして臼ヶ峰に至り、それから先は、推定でなぞってそれらしい地を特定しました。金沢を出て倶利伽羅トンネルを抜け石動町からは能登越中の山麓の県道を走り山容を見ながら見当をつけて山間の道に分け入ると、ぴったり見つけました。県道「29号高岡羽咋線」地番は高岡市江道667の民家の隣の崖でした。

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案内板の記述を書き写していると近所の人が一人近寄って来られ話が聞けました。それが私にとっては驚きだったのですが、先ずは説明板に書かれていたのは次の通り、この話から続けます。





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{塩売石}この石は五十辺白山池の横にあったのをここに持ってきて記念碑に使ったものである。昔能登の町から塩売商人が牛に塩をのせてこの辺の人々に売りにきていた、ところがその商品は塩に白い砂を混ぜて売りつけていたため天の怒りにふれて石に変えられたという。前に出ているところは塩をはかった升であるという。


説話に書かれた塩売石とは厳密に言って異なるものとなっていたのでした。明治40年建之という日露戦役記念碑は余計な凹凸を削ぎ落としていて「手首足などはっきり認め」られず、かろうじて体の前の部分が升なのかと思われるだけでした。碑の前面は集落から出征したらしい4名の肩書き勲位氏名が刻まれ中1名は戦死者であり「南無阿弥陀仏」と刻まれた供養塔の体です。





この路の石川県の志雄側では峠の山「臼ヶ峰」は万葉の歌人であり越中守の大伴家持が国内巡行のとき、ここで有名な歌<しお路からただ越え来れば羽咋の海・・・>を詠んだのだとして、歌碑をたて、また越後に流される親鸞と佐渡へ流される法然が通ったと伝承し峰には親鸞聖人像を建てています。どうやら本当のことらしいのはこの路は、「御上使往来」といわれており、役人利用の官道であったことは間違いなさそうなことです。

さて、村の人と話ができて、土地柄が門徒の強いところだろうと勝手に判断し「親鸞聖人が通ったと言われてないですか」と聞くと、「聞いてない」という返事です、では「御上使往来」は、聞くと「それなんのこと」という答えでした。どうやら「御上使往来」の富山県側は県道29号ではないのだ、と独断しました。そのあと「能登の大工さん」って聞いたことありますか、おそる、おそる尋ねたのでした。


その人は、今度は嬉しそうにして答えてくれました。「知ってる、知ってる、能登の大工さんって誰でもいうよ、あれが能登の大工さんが建てた家だ。」と山裾にひときは大きな家を指差して、誇らしげな口ぶりなのです、予期した答えと違う風向きなのに私は戸惑うのでした。

<長くなりそうで、明日に分けます>

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