待 有為(まつ・う井)の日記、

日常身の回りのこと、思いつくこと書き残そう、

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昭和56年正月から翌々年の8月お盆までの20カ月を片山津温泉でホテル経営に関わったことがありました。社長KUさんと2人でそこに入りましたが、、その倒産したホテルは、前の女性社長、その高校生の男の子、おばぁちゃんの3人の一家もそのまま住まわせ、従業員1人残らずすべてを引継ぎいわゆる居ぬきにして従前踏襲の経営をしょうとしたものでした。


私たちの組織の会員の厚生福祉施設として保養の利用をしてもらうという考えでした。


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組織が全国の10の各地方組織に1つづつ福祉施設をもつという方針が進められ北陸がその最後のものとして、この片山津の倒産ホテル(かなり有名だった)の買収話が東京から持ち込まれたものでした。関係してあとから知るのですが、融資には県内地元I銀行東京支店がかかわるものでした。

<金沢の本店は無関係でしたが、その後I銀行は倒産し頭取が刑事責任をとわれます。公判はまだ続いている筈です。>

時代は金余りバブルの狂乱期、でも土地の投機の神話もそろそろ末期に近づいていたのですが、それに誰もがまだきづかない微妙な時期だったのです。

福祉保養施設、片山津の施設を初めとして地方の施設どれ1つとして収支の合う経営ができませんでした、みんな赤字でいきづまります。会員から非難ごうごうの声が当然沸き起こります、その後数年にしてすべてを直ちに処分することになりました。

その時はまだバブルの崩壊寸前だったのですね。東京飯田橋に持っていた会館の土地建物が高く売れて地方の営業赤字を救ってくれたのです。どうやら大きな火傷なしに収拾できたそうです。

<飯田橋の会館がなぜ高いのか、東京の連中にきいた話ですが、ただ単に「千代田区にある」というだけのことだいうのですが>ちなみに本部は1駅違いの水道橋駅から3〜4分、後楽園前(詳しくは野球場前ではなく後楽園ジム、競輪場のあるところ)です。

飯田橋の土地は、買った時は国鉄飯田橋操車場の横の荒地、境の土手は桜の名所のさみしいところでした。そんなものより水道橋がよっぽどいいと思いますが、文京区なので格下なのだそうです。


片山津のホテルも売れたのです。<私はよく知りません、耳をふさいでいたから>大阪のゴルフ場開発に関心の不動産屋さんだったそう、今度はM専務もつけた従業員居抜きでした。でも、やがてその業者も撤退し、残された廃屋に殺人事件もおきる有様となっています。


その当時の結着を私は”見切り千両”と周りの人に組織を称えて言いました。<本当に際どくバブルの崩壊をすり抜けたのだす>深みにはまり溺れ死ぬところだったのだ、大衆がものをいう民主主義が救ってくれた。とも口にしたのです。ひとごとのようにいいますが、私は組織を愛するが故のことです。

<組織の財政担当役員は責任を追及され、何かの告訴がされたとか聞きましたが、結果をふくめ詳しく知りません>


言い訳がましく誤解を恐れることですが、私がホテルに関わるのは専務として選任したMさんが、いままでの代議士地元秘書の仕事のけじめがつかないということで就任せず、社長のKUさんから、Mさんのくるまでのつなぎにとして狩り出されたのです。

肩書きは「総務部長」でした。<ここで肩書きが不満だったのかと下司の勘ぐりは止めてくだいよ>その間20カ月仕事で一生懸命でした、単身寮住まいで家庭は顧みず夜昼なしの苦労でした。

旅館組合、温泉組合、取引業者に前の会社の踏み倒した負債をどう納得させるか、どう手をうつか、そしてあらためての取引をさせるのか、当時の県知事Nさんから地元有力県議で市長さんになられたYさんに頼んでもらったことはKUさんの担当としても、

事務的なこととして会社登記の法務局、止められていた健保社保の再加入の社会保険事務所への懇請、警察との連携、手書き計理の機械化システム導入、経営コンサルトの社員教育、観光協会、夜の業界との付き合い、さらにはその実態探訪も加わり、やることは次から次数限りなく発生して体がいくつあっても足らないのでした。

その間のことを語るとすれば、自分の人生の5年10年にあたる中味のものと今でも思っていますが、語りたくありません。今までは語っていません、片山津にいたことすらも触れません。


それで、いまなぜブログでふれるのか、それは今年の正月かっての社長KUさんの家にいた時、この27年前のホテルの接待さん(私は女中さんと呼び慣れていますが)のひとりから年始の電話がかかるという信じられないことを目にするのです。

本当に驚いてしまいました。話を聞くと接待さんの何人かとは、毎年年賀状をやりとりしていたのだと、その源氏名をあげるのです。今年は年賀状を止めたので心配して電話してきたのだ〜というのです。


KUさんの人情、人柄、人徳をあらためて見直しました。そしてこの時私も自分史を語るにも避けて取れない片山津のことについて少しは触れるか〜という気にもなってきたのです。

はからずも27年前、同じ頃のロス疑惑が今頃取り沙汰されだしました。そんなこと、また”損切り”といわれ東芝がDVDからのHD撤退する、三菱電機が携帯市場から徹退する、そんな話題が関連し、私にも片山津時代を思い出させるのです。ほろ苦さとともに・・・

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