萬風堂夜話

野村萬斎さんの舞台やその周辺についての独り言

遠眼鏡

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7月15日 シアター・コクーン 『道元の冒険』
阿部寛、栗山千明、北村有起哉、横山めぐみ
高橋洋、大石継太、片岡サチ、池谷のぶえ、神保共子、木場勝己

 薪能シーズンの到来ということでインドア派としてはそろそろ能閑期突入でございます。篝火のもと夜風に吹かれながらの観能なら一層の風情が期待できるのでは、と思った時期もあり、一度ならず足も運びましたがどうにもご縁がないようです。
 
上空を飛び交うヘリコプターの爆音、神社の表通りを行きすぎる救急車のサイレン、雨上がりの芝生の冷たさ、篝火に集まる蛾の群、時にビールとたこ焼きの臭い、そして最大の敵である雨。まだまだ数え上げたらきりがありません。集中力のある方なら何とかしのげる事なのでしょうが、当方は一度気が散ってしまうと後々まで戻れない方なので悲しい記憶ばかり。以来、夏場は若干手持ち無沙汰でございます。
 
ということで苦手の劇中歌てんこ盛りの舞台らしいというのに、気になる役者さん見たさだけで『道元の冒険』に行ってまいりました。 

 歌は…、なんというか…、何か言えるほど生で聞いたことがありませんので…。でもなかばやけくその「表意文字ソング」のコンビネーションは個人的につぼでしたし、そもそも歌唱力がどうのという舞台ではなかったような。

主役の道元さんをはじめ少ない人数で敵味方あれだけの大人数を演じきった体力と反射神経の良さはさすがです。舞台裏を駆け抜ける足音も、こういう舞台では一種の景気づけというかエネルギーを感じさせて全く邪魔になりません。雑多で賑やかでゴタゴタ感があって、汗と息切れと突き抜けた何かが見ていて結構気持ち良いものです。客席の笑い声や手拍手まで味方につけて、なんだかとっても和やかでした。これなら本物の道元さんも文句ないでしょう。
 
劇中劇半ばあたりは道元さんの教義入門講座といった内容でなんだかお弟子になったような気分でした。わかりやすいと言えばわかりやすいですし、頷けることも多かったのですが私にはちょっと有り難すぎました。観る側の気持ちの持ちようなのだとは思いますが。 最後の最後では舞台の温度を急激に冷やして終わるあたり、好き嫌いが別れるのでしょうか。10年前ならこういう美術にはできなかっただろうと思いながら、やはり何かは上から降りてくるんだと妙に納得。期待以上に面白く拝見いたしました。

 埼玉芸術劇場 「身毒丸 復活」
 
 幕開きすぐは街灯の点る黄昏時、奥行きの深い舞台最奥から異形の者達がひたひたと進んできます。そのゆったりとした歩みを見つめていると、観ている自分が向こうの世界に向かって歩いているような妙な気分になります。これですっかり蜷川さんの世界に落ちてしまえたかと言うといささか微妙。白塗りのおどろおどろしい姿に、エンターテイメントとはちょっと異質な空気を感じて少し構えてしまいました。
 
 物語は情念ドロドロで、生理的にちょっとと言う方も少なくない気がいたします。人身売買、継子イジメ、そのはての作られた親子の近親相姦とどうにも救いも希望も全く見えません。パンフレットによると、しんとく丸の物語そのものは類似の物語を巻き込みながら、様々に変形し能や浄瑠璃、歌舞伎として面々と演じられ続けてきたもののようです。その間に救いや希望の類は何処かへ振り捨てて、ひたすら毒だけ吸収してきたのでしょうか。こういうお話が長い年月を乗り越えて今も演じられ、満員の観客に受け入れられるのはなかなかに怖い事のように思います。
 
 母を買って家に帰る場面で左右から玄関やら障子やらが現れて瞬く間に家が出来上がっていく様はとても印象的。裸電球が時計の振り子のように揺れ続ける場面、無数の蝋燭を灯した舟が輪を描いて巡り続ける冥界の場面、いずれも美しく幻惑的でございました。幕開き当初の白塗りに対する拒否感はすっかり払拭され、美しい場面はただ美しく、物語の進行とは関係ないところですっかり満足しておりました。
 
 ただ、おどろおどろしい者達が妙に可愛らしく思えてしまったのはまずかったと反省。猫娘や砂かけ婆が出てきても違和感のないような舞台、鬼太郎の世界と紙一重と思った途端に舞台が情念の悲劇に見えなくなってしまいました。途中から自分一人だけ毒が抜けてしまって主役お二人の熱演に入り込めなかったのは返す返すも残念でした。

  もう一つ藤原君は青年の身毒丸があってもとパンフレットに書いていましたが、やはりここはあくまで少年でないと毒が薄まってしまうように思います。無垢な少年が自身の中に毒の芽を育て、美しいまま自滅していく様を健全な客席から覗き見するような、そんな舞台を望むなら10年前の藤原君はまさ適役であっただろうと想像します。青年には望むべくもない無垢、やはりそれが前提の身毒丸なのでは。青年の身毒丸というのは、正直よくわかりません。毒を食らわば皿まで、どうせなら頭のてっぺんから爪先までドロドロに浸ってみたかったと言うのが正直な感想です。
 

遠眼鏡−「春琴」−

3月 1日 世田谷パブリックシアター(春琴)
随分時間がたってしまいましたが、思いつくままに。
 
 人が人形が語りかけてくる言葉の一つ一つに実があり、じっとりと湿気を含んだ物語がゆらりゆらりと輪郭を成していく。血の匂いがつきまとう粘着質の物語が猥雑にも不潔にもならず、薄闇のなかでむしろ淡々と組織だって進行していく不思議。そこには竹や畳の歪みのない直線が作り出す一種潔さとも思える清潔感が確かにありました。
 
 何枚もの美しい襖の奥の座敷のさらに幾重にも重ねられた着物の奥底にある情念を描くのに、大がかりな装置はほとんどない。三味線の音と四角に切り取られた照明を縦糸とし、灯火や畳、竹、人形を横糸に精緻で美しい舞台を織り出す手腕には心底脱帽。
 
 既に失われてしまった日本の記憶への憧れと同時に何を受け取ればいいのでしょう。パンフレットに書かれている言葉は難解で、そこから汲み取れるものはほんの僅かしかありません。自身の中にある何かに共鳴しているのは、確かにわかるのですが…。
 
 シンプルで美しく、しかも芯に力を感じる舞台はとても魅力的。演じる方々は際だってこの方がと言うことはなく、全員が複雑な舞台の最上の一人になりきっておられました。舞台を創り上げる過程を終えれば実際の舞台上で誰が主役であるかなど、時にどうでも良いことなのかも知れません。

2007年11月20日 シアターコクーン「カリギュラ」

 こういう舞台を見てしまうと、わかりもしないのに意地になって能楽堂通いを続けているのが馬鹿らしく思えてきます。



 主役のアイドル人気がとんでもないことになっているらしいとのことで、ちょっと構えた気持ちで出かけましたが、いつもと変わらぬ劇場の空気に一安心でした。でも会場入り口に当日券を持っていない人(買えなかった人?)向けのグッズ販売についてお知らせがありましたから、それだけでも相当なものかもしれません。
 席は下手のコクーンシート、あちこちのサイトさま情報で相当評価が良いようなので珍しくオペラグラス持参での観劇となりました。(感想をアップしませんでしたが、先日のオセロー観劇で持参せず猛反省したばかり)



 とにかく小栗カリギュラが素晴らしかった。あの膨大なセリフにきちんと意志を載せて2階席まで届けてくる力量に脱帽です。決してわかりやすいとは言えない内容、しかも本来の声質はどちらかと言えばくぐもりやすいと思うのに、ぴしりぴしりと実に気持ちよく伝わってきます。観ている側の言葉を受け止める間合いを知り尽くしているような心地よさに、一度もいらつくことなく難解なセリフの海を安心してついて行けました。

 テーブルの端から端まであらゆる物を蹴散らして進む場面、ラストの椅子を投げつける場面、どちらも力に充ちて迫力十分。虚構を突き抜けた恐ろしさすら感じます。

 一方で勝地シピオンと共鳴していく場面では、限りなく繊細。長谷川ケレアとのやり取りでは賢人ケレアにひけをとらぬ知性を感じさせてくれます。一体いつからこんな役者さんになってしまったのでしょう。

 演出家どののイジメとしか思えない奇抜な衣装、どうやっても舞台の緊張感や世界観を壊してしまいそうなのにそれすら物ともしませんでした。あの姿のまま観客を引っ張りきるのは大した腕力としか言いようがありません。そう思うとあの衣装も試金石をしては必要だったと思えてきます。

 長谷川ケレアも、勝地シピオンも、横田エリコンも、若村セゾニアも素晴らしい。小栗カリギュラはもとより、それぞれの役がまるであて書きされたかのようにぴったり。ビジュアルもですが、なにより声質が他の誰でもないこの配役でしか考えられないほど耳だけでも十分に楽しめる舞台になっておりました。

 長谷川ケレアは個人的には大注目でした。どこまでも健全な精神の代弁者として自身のなかのカリギュラを押さえ込んだ内圧の高い演技、抑制のきいた声と表情にやや細い体型も手伝って賢人ケレアの存在感十分でした。カリギュラの中に自身と同じ詩人の感性を見てしまう勝地シピオンが、暖かみのある声でカリギュラに語りかけるともう涙がポロポロと止まりません。頭は妙に冴え冴えとしているのに、訳もわからずポロポロと涙が止まらない。よく見えないじゃない、うっとおしいことなどと思いながら涙が出続けるという妙な状態にはまいりました。

 玉葱をかじり続けた横田エリコン、カリギュラにとことん付き合う覚悟を決めた潔さに充ちていました。月は手に入れてあげられなかったけれど。最後までカリギュラを理解できなかったのはセゾニアだったのでしょうか。女であることの壁の高さ、母性で受け止めようとすることの難しさ、一瞬与えることのできた安息は強烈な反動をともなってカリギュラを傷つけるばかり。

 舞台装置の鏡はネオンを取り入れることで新鮮さを保っていましたし、衣装の色彩や質感も妙に凝らずにシンプルで好みでございました。

 結局は演出家どのの力なのでしょう、とことん凄い方です。  

 もしかしたら若い頃には僅かながら繋がっていた実生活にはあまり役に立たない脳内回路、そこに厚くつもった埃を一気に吹き払われるような、自分の中にある物差しのそのよって立つ地盤を揺さぶられるような、とにかく素晴らしい舞台に感謝。

2007年 9月 天王州銀河劇場 (ヴェニスの商人)

こんなに後味の悪い話だったのかしら、というのが見終わった直後の正直な感想でした。

たった一人の敬虔なユダヤ教徒を、大勢のキリスト教徒がよってたかって集団リンチにしているかのよう。人種差別を考えさせるのが意図なのかもしれませんが、ただでさえセリフで責め立てられるのにさらにつばを吐きかけるシーンをあんなに繰り返す必要があったのでしょうか。あまりに多くて(数えませんでしたが、50回以上はあったのでは)もう生理的にダメでした。

市村シャーロックはさすがございました。生きて働いて信じるところを貫いて、愚かな娘を憎みきれない孤独な初老の男の存在感の確かなこと。改宗を強要された瞬間の絶望が胸に迫ります。
その他と言っては失礼ですが、シャーロック以外の皆様全員あっけないくらい明るくて軽くて卑俗で残酷。何の迷いもなく、自身の正しさを毛ほども疑わない。悩まないんですね。そうなんだと思いますが…。

言いたいことはもの凄くよく伝わったきたけれど、好きになれない舞台でございました。

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