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士幌線と広尾線からも蒸機が消えるというので、両線の貨物列車をかけもちで撮影した後、帯広運転区を訪れました。機関区ではありませんが車両の配置はあります。規模は小さいです。

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出迎えてくれた59683は休車状態でした。

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車庫は模型屋さん好みの木造です。
すぐ横で入換が始まったので、近くの跨線橋に上がります。
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広々とした帯広駅構内。専用線も伸びていました。
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若番の9654。逆転機が右側にあり、右運転台に改造された機関車のようです。9600形式は大正生まれながら、その使い勝手のよさと堅牢さから、最後まで活躍しました。動態保存されていた9633も今や静態保存です。乾いたブラスト音が懐かしいです。
運転区へ戻ります。
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庇付きの前照灯が特徴の79618。かつて二つ目で胆振線などで活躍しました。煙突の後ろにあった給水温め器は撤去されています。区名札が「倶」のままですが、この時点では池田機関区の所属でした。

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煙室扉中央に円形の補強版があります。また除煙板のステーには雪国で活躍した名残として、コの字形のつらら切りがついています。

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運転区で火を落としていた機関車は、全て池田機関区の所属でした。9600形式は運用範囲が広く長期間に及んだ結果、その地区ごとに改造を受け、1両1両に個性がありました。戦時中、外地へ行ったまま戻らぬ機関車もありましたし、広軌や狭軌に改造されたカマもありました。私鉄が自社発注した9600がありましたし、台湾にはアメリカ製の9600までありました。特急列車牽引などといった華々しくも輝かしい記録はほとんどありませんが、その長い歴史の中で客貨輸送や入換といった仕業を地道にこなしてきました。国鉄蒸気機関車の歴史に幕を下ろしたのが9600だったというのは、日本を縁の下で支えてきたその功労に敬意を表してのことだったように思えてなりません。

昭和50(1975)年4月2日

おまけ
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札幌駅 「からまつ」
帯広との間は往復とも「からまつ」を利用しました。しかも帰りは奮発してスハネ16ださ!
昭和50(1975)年4月3日

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