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先日、参加していた日大のセミナーで
講師である作家の佐藤洋二郎先生が受講生にこう言った。
「この中で、外岡秀俊の『北帰行』を読んだ方はいますか?」
私は読んでいたが、挙手しそびれてしまった。
挙手した人は誰も居なかった。
「あちゃー! ああいうの、読まなきゃ駄目だよ」
先生はこう言った。
*
それほど知られていない小説かもしれないが、
これは物凄い小説である。
作者の外岡秀俊は、昭和51年、東大法学部在学中に本作を書き上げ、
河出書房の文藝賞を受賞。
その後、例外を除いて、まったく小説を書いていない。
一発屋ではなく、文字通り本作ですべて書き切ってしまったのだ。
佐藤先生はこうもおっしゃっていた。
「僕はこれを読んで、作家を辞めようと思った。
自分にはこんな重厚な文章は逆立ちしても書けない。」
その筆には、骨太で圧倒的な勢いがあり、
そして零れ落ちるかのような情感に溢れている。
純文学なので、あまりにも読みづらいのは確かである。
私も読み切るまで、かなり難儀した。
ラスト近く、
小学校時代に恋焦がれていた少女と再会するシーンのほんの一部を、抜粋する。
***ここから
私は振り返った。そこには一人の女性が立っていた。
けれどもそれは、私の知っていた、あの鮎のように清々しい少女ではなかった。
どこか媚びるようなその笑みの蔭には、
私の言葉の重みをそっと量るような醒めた眼が感じられた。
いつも何かに怯えている少女の慄えを、女の表情で押し隠そうとする構えのようにも感じられた。
由紀の唇はひんやりとして氷のように冷たかった。
何度か唇を重ねるうちに、
彼女は二三度首を横に振り、
私の胸に顔を埋めてすすり泣いた。
そのあたたかな首筋に軽く口づけすると、
ほんのりと石鹸の香りが漂って私の鼻を擽った。
髪は、日溜りの乾し草の匂いがした。
どれだけ長いあいだこの瞬間を夢に見てきたことだろう。
私の六年間は、ただこの日のために過ぎていったのだ。
けれども予期していたような歓喜はやってこなかった。
腕の中で小鳥のように慄えている人のこころがここにはないことを、
私は知っていたから。
彼女は顔を起こし、垂れていた前髪を両手で分けた。
私は両手を離さずに、由紀の潤んだ瞳をじっと凝視めた。
長い口づけだった。
そのときだけは彼女の心が私に開かれていることを、
そのほそい指先は伝えていた。
戸外に出ると雪は一層激しくなって私たちに吹きつけた。
彼女は私の手を握ると、背を向けて足早にその場を立ち去った。
私はじっとその後ろ姿を見ていた。
由紀はいきなり振り返って、十歩程離れたところに立っていた私の顔を見つめた。
「あたし、子供ができるの。母親になるのよ。・・・・・・さようなら!」
彼女はそう叫ぶと、くるりと振り返って駆け出した。
みるみるうちに小さくなっていく後ろ姿は、
闇の中に吸い込まれるように消えていった。
***ここまで
久々に少女と再会した主人公
少女は、記憶の中の少女ではなく、女になっていた。
キスしても、喜びは沸いて来ない。
何故ならば、少女はあの時の少女ではないから。
別れ際に、女は妊娠していることを告げて去る。
*
最近の文芸誌に載る新人の小説は、
敢えて難しい文体で、難解な文章をこねくり回している。
中には日本語の文法を無視し、
助詞をすべて違うものに変えてしまい、
それを売りにしている作家もいる。
そのような小説が新人賞を堂々と受賞している。
その良し悪しはここでは問うまい。
しかし、それらの小説と、この「北帰行」
どちらが我が国の国文学かと言われたら、
おのずと答えは出てくる。
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