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こんばんは。松谷です。
先日の朝日新聞朝刊に、国語のテストにリスニングという記事がありました。ご覧になった方も多いかと
思います。「ふーん、リスニングねー……それで??」というのが正直な感想です。
国語の教育領域は「読む」「書く」「聞く」「話す」と捉えられます。(松谷は「見る」というのもいれ
たいのですが、とりあえず直接的言語行為とは違いますので、強くは主張しません)。
ですから「聞く」のテストがあっても当然なのかもしれないのですが・・・それをテストして、どう生か
すのか?「今の子は、話を聞く能力が落ちている」と事実確認をして教育する側が嘆いておわりでは、意
味のないこと。テストとはその結果をもとに受験者に還元してするというサイクルが形成されて意味があ
るのです。よって、リスニングテストをする自治体、教育施設は、そのテストによって現れた能力を要求
している能力に引き上げる教育カリキュラムをもっていなくてはならないことになります。
現段階では「国語総合」という科目と「国語表現」という科目がそれを担うことになるのでしょうが、
「国語表現」を設置している学校はそれほど多くないでしょう。「国語総合」は5ないし6時間をあてて
いる学校が多いかと思いますが、「現代文」「古典」に割り振られるのが現状です。教育委員会は表現事
項を盛り込むことを求めますが一般的に実行されているか疑問ですし、つけ刃で力が付くと思えません。
リスニングテストの意味はどこにあるのか??と問いたい。
最近、話を聞かない生徒がふえたのはそうかも知れません。私の子供の頃とは大分違います。
しかし、子供が話を聞かなくなったのは、大人が話を聞かなくなったし、話をしなくなったからではない
でしょうか?
松谷は、知り合いにお子さんが生まれると「いないいないばー」という絵本と何かを組み合わせて送りま
す。赤ちゃんの頃から、一つのものを一緒に見て、子供によみきかせ、かたってあげてほしいと思うから
です。赤ちゃん、こどもの頃から、絵本、昔話などを聞いて理解することを通して、聞く力は育まれま
す。子供の聞く能力がおちているとすると、大人の責任は大きく、それを回復するにはとてつもない労力
がいることを覚悟すべきです。リスニングテストにその覚悟をみてとれるのか、今後をみまもりたいで
す。
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