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こんばんは。松谷です。
実は、実は、私、国語の教師ですが、読むのが大変に遅いのです。信じられないほど遅いです。
今日、とある教え子さんが「先生の小説、1時間ほどでよめました。よみやすくて、おもしろかったで
す」といってくれました。涙がでるほど嬉しい一言です。そう、「よみやすく」かくといことが『バーバ
の夏休み』を書く時の一つのコンセプトでしたから。しかし、1時間ははやいですねー。私は作者なので
すが、いまだに、3〜5時間かかるんです。教え子の読みがいい加減だというのではありません。それほ
ど私は読むのが遅いのです。
私は学生時代、萬葉集の研究をしていました。それも学部を卒業、修士課程3年、博士課程6年(オーバ
ードクター3年を含む)という長期間学生をして、研究者を目指していました。某女子大の教壇にも立っ
ていたわけです。いわば専門家の一歩手前ぐらいでしょうか?
国文学の研究者にとって、文章を読むのが遅いというのはある意味致命的だと考えた時期があります。
真剣に悩みました。「むいてないのだろうか??」と。そこで私の恩師(師匠)のM先生に「僕は読むの
が遅いのですが、国文学者にはむいてないでしょうか?」と真面目な顔でうかがったことがあります。
その時、M先生は「読むのに人の2倍の時間がかかるなら、人の2倍机にむかえばいいだけのことではあ
りませんか?なにも、いそぐことはないでしょう。真理は逃げません。それに真理は誰が発見してもいい
のです。君があせらなくってもいいんじゃないですか」とおっしゃいました。
そうです。研究者、学者が真理を究明することを目的としているのなら、誰が真理を発見してもよろこぶ
べきことなのです。あせって、自分の功名心をむき出しにし、学位を取るために学問に向かおうとするん
ど愚の骨頂。私の人生で為すべきは真理を究明することである。焦ることはない。ゆっくりとあゆめばい
い。と、まあ、そのとき考えたのでした。
最近の生徒諸君。若い世代の人々、なにか無意味に焦ってませんか?
逆に自分にしかなせないはずの真理究明を早くも放棄している人もいるのではないですか?
どんな道でもいいから、焦らず、真理を究めるために前進していくという思いがないと世の中は廃れてい
きますね。今の日本にかけているのは、そう言う意味でのゆとりと前向きな姿勢だと思います。
「ゆとり教育」から「脱ゆとり教育」に舵をきろうとしてますが、「ゆとり教育」も「脱ゆとり教育」も
教育の本質とは少しずれた所でしかものを見られない人々が汗を流しているだけのようで、お気の毒様で
す。現場の教員も生徒諸君も親達もふりまわされて・・・気の毒なことこの上ない。
ゆっくりお茶でも飲みながら、本を読んで、明るい未来をかんがえたいものです。
ただし「真理」そのものが存在するかという本質的な点で、現代思想が混迷しているという点、世界全
体が明るい未来を思い描けないでいる時代に生きているという悲しい現実から誰もがのがれられないとい
う悲しみを背負っていること自覚しておく必要はあるでしょうが・・・
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「バーバの夏休み」今夜届き少し読ませていただきました。プロローグとエピローグを読んだのですが、すっきりしていて私好みの文章でした。特にプロローグは私のつぼにはまり何度も笑ってしまいました。(参考までに、私の年齢は48歳で男性です。愛読書は戯曲や脚本が多いです。)くどいですが、プロローグ大好きです!今後の御活躍も楽しみにしております!!
2008/1/25(金) 午前 3:44 [ 幽暗 ]
幽暗さん、コメントおよび『バーバの夏休み』購入ありがとうございます。プロローグで笑っていただけたらとても嬉しいです。出だしは、コミカルな雰囲気をもたせたかったので、読みとって頂いてありがとうございます。このごともよろしくお願いします。
2008/1/25(金) 午前 9:52 [ mat*ta*i052* ]