★松谷龍馬(まつたに たつま)のページ★

ご訪問ありがとうございます。気軽にコメントしていって下さい。

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全16ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]

雨ぽつり

 ふと気が付けば

      雨ぽつり
 
 ダウンジャケットをはじく音
 
      こんなにも濡れていたんだね

 遠くにうかぶ幻影を

      それとしって手をのばす

 立ち上がる歩き出す走り出す

      大地を潤すおまえは

 なぜに心をつらなかないか

      なぜに心をあらってくれぬか

 さよならという言葉に雨ぽつり

      雨ぽつりと暮れてゆく



                      2007年12月22日(土) 松谷龍馬 

愛の連鎖がテーマです

こんにちは。松谷です。

今日は、『バーバの夏休み』で描きたかったテーマについて少し書かせて頂きます。

一言でいえば、「愛の連鎖」ということです。

さて、「愛」とはなんでしょう?

 この抽象的な言葉は非常に難しいですね。例えば、子供を厳しくしかり突き放すこと、逆に一緒に涙を流しだきしめること、これらの行為は相手(子供や友人、恋人)を思えばこそできることです。しかし、そこに信頼関係がなければ、唯の虐待であり、過保護でしかありません。

 信頼関係を築くもっとも基本の部分に「家族」があると思うのですが、最近はその「家族」という基本集団が機能していない場合が多々見られるように思うのです。子供は漠然と孤独でいらだち、心がきしんできます。「愛」に飢えているのですがそのこと自体に気づかずにいることもあります。「愛」は突如として生まれるものではありません、親から子へ子から孫へと「愛し」「愛される」という関係、いわば「愛の連鎖」のなかで大きくはぐくまれそれが他者へもむかうものだと思うのです。

 この小説では、主人公の奈々子が親からの愛情不足になんとなく寂しいさを抱いています。
 祖母のバーバことよねは末期ガンで余命幾ばくも無いことを知り、奈々子のもとをおとずれます。
 そこでさまざまな料理を教え、一緒に作るのです。ここで私が「料理」という行為を選んだのは、愛情を端的にしめす家庭的な行為であると考えたからです。奈々子もバーバの為に愛情をこめてスープをつくり、それがバーバの口にする最後の食となるのです・・・

 バーバの登場により、奈々子の家庭教師通先生の人生も浮彫になってきます。通の歩んだそれまでの道から、奈々子は家族というものをより深く考えていくことになります。
 結末では、バーバは死を迎えます。奈々子はその死を目の前にして、愛を受け継ぎ、その愛をされに伝えていくことや自分を社会的な存在としての自覚するのです。

 これらのことを具体的なエピソードを展開しながら述べています。この作品では小説が得意とするメタファー(比喩的、象徴的技法)はほとんど用いていません。淡々と歯切れよく述べることに徹しました。
 素朴な表現ですが、それが味となると計算しました。この計算はそれなりに成功しているように思いますが、読んで下さる方にはどううつるでしょうか。物足りなく感じられる方も居られるかも知れません。

 本文中に引用した茨木のりこさんの詩や辰巳芳子さんの御著書がテーマをいっそうくっきりと浮かび上がらせる効果をはたしています。

 奈々子の日常から描きはじめたためその部分が長く、主題への展開が少々遅いと感じられるかも知れませんが、軽いタッチですのでスッと読めると思います。

 「愛」ということをすこし自分をはぐくんでくれている存在との関係でもう一度とらえてみませんか、子供は愛されて将来に夢を抱く存在であって欲しいと思いませんか、ということを訴えたかったのです。

 どれほど成功しているか、ご一読いただければ幸甚に思います。 2007年12月20日
                                         松谷 龍馬

いただきますという

   君の笑顔を
 
 ごちそうさまと 

   僕はいただきます

 ピーマンにふくれっ面をみせていた君が
 
   にんじんとけんかしていた君が
 
 みんな心の支えであると
 
   その体で知ってくれたことを
 
 世界の父母は大地と空と太陽に
  
  感謝しつつ

 深呼吸をしながらふと明日の空の黒い雲に
 
  雷雨の訪れを感じ複雑な笑顔を君にかえす
 
 君の知らぬところで爪を研いでいる

  大いなる悪意に負けないように

 今日もピーマンとにんじんを食卓にならべよう

  それが僕にかせられた数少ない大人の使命だから
 
 
                         2007年12月20日 松谷龍馬




  
   

     (二)
 秋萩も色づくころ。さきは寝床から松虫の鳴き声に耳をすませていた。時折、山の麓が響くほど一際高く、鹿が鳴き声をあげる。紅葉を踏み分けるその音が聞こえてきそうで、さきは思わず衣の袖を握りしめた。深まる夜の闇に、寝床は草葉でもないのに白露が置くごとくであった。ふと気づけば東の空はもう淡い赤に色着き始めている。小平が、京の市に出向いて三日目の朝を迎えようとしていた。
 小平が商いで市に出かける場合、翌日に帰ってくるのが常で、小平がそれより遅くなることは希であった。たとえ遅れても二日日目の昼過ぎには帰るのが通例であった。それだけに、三日目の夜、さきに秋の夜の独り寝はこたえた。

 小平が無事帰宅したのは、三日目があけようとするころであったろうか。
 小平の顔には、明らかに疲労の色がうかがえた。さきは、いつもより明るく装って、

「おかえりなさいませ、今、朝餉の支度を……」

 小平はその言葉を遮って、

「さき、すまぬ、疲れておるので今日はこのままやすませておくれ。商いは、思い通りにはこんだからのう」

 と乾いた微笑みを浮かべた。

「はい」

 と、さきはひきさがるしかなかった。
 さきには、小平の様子が少し変わったように感じられた。次の日、以前にも増して小平は無口になり、肩を落としてボーと遠くを眺めて考え事をする時間が多くなった。そして何より木を細工する小槌の音に魂が籠もっていない。さきは途絶え途絶えに聞こえる小槌の音を聞きつつやきもきしていた。

「どうかなさいましたか」

 と聞いても、

「なんでもないんじゃ」

 と乾いた笑いをうかべて、軽くいなされるのが落ちである。京で何かあったに違いない。果たして何が、あったのか。小平にはさきに言い出せないでいるうしろめたさがどこかにあり、さきには隠し事をする小平の真意をつかめぬもどかしさがあった。このわずかな心のすれ違いが二人の仲を少しずつ疎遠なものにしていった。このままでは二人の仲はどうなってしまうであろう、さきは移りゆく紅葉に目をやり、溜息をついた。小平に何があったのか、どうしても知りたかったさきは、そこで一計を案じて小平の反応を見ることにした。

     (一)
 今は昔、藤原頼通は宇治の別業を喜捨し、天台僧明尊を開山とし平等院と号した。次いでその地に鳳凰堂を建立、定朝作の丈六阿弥陀如来座像を安置したという。

 そのころの話である。

 京の西の方、嵐山の麓、嵯峨野の辺りに、静かに暮らす仲睦まじい夫婦がおった。小平とさきである。
 小平は、野山に分け入っては、竹だの木材だのを持ち帰り、それを細工して日用品と成し、市で商うことを生業としていた。さきはさきで住まいの裏方にある猫の額ほどの畑での野良仕事に精を出すといった塩梅で、「豊かさ」とはほど遠い、その日暮らしの生活であった。さきは、野良仕事をしている時、家の方から聞こえてくる小槌の音を聞いて心弾ませ、小平はさきの謡う労働歌を聞いてそれに合わせるかのように小槌を振るった。
 二人はともに無口であったが、それでいて小槌の音一つ、歌の一節でその日の体調から機嫌までなんとなく伝えあえるそういう年月の過ごし方をそれまでしてきたのだった。
 小平とさきにとっての「世の中」は、これがすべてであり、小平もさきも、それに疑問を挟む余地など、これまでは、これっぽちもなかったのである。

全16ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
mat*ta*i052*
mat*ta*i052*
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事