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先日、大阪高裁がC型肝炎に関する薬害訴訟に関して、原告団と国に対し和解勧告を出しました。その和解案を見て、原告団は失望した旨を表明し、拒否の姿勢をはっきりと示されました。
「人間の命の重みに差はないのに、期間で線引きをするというのはとうてい納得はいかない。患者全員の救済を求める」という主旨の反対理由が公表されていたように思います。
この「人間の命の重みに差はない」ということを根本にした批判をうけると、返す言葉はすくないでしょう。国としても慎重な態度をとり、歯切れもわるくなります。
マスコミ各紙、テレビなども当然、国の態度に注目しています。原告の立場に立った論調が多いのももっともなことだと同感致します。
しかし、へそ曲がりの松谷は、いつも逆のことを考えるのです。「なぜ高裁はこのような和解案を出したのか??」と。
司法には詳しくありませんので、全くの的はずれかも知れませんが、おそらく、より多数の方の救済をめざすのであれば、妥協案のような形でしか司法は提案できなかっただろうと思うのです。
C型肝炎は、その感染経路等特定するのが難しいらしい。とすれば、C型肝炎のかたが次々と訴訟を起こしはじめた時、司法は、当然因果関係の認定から検討して行くことになるのでしょうが、それには莫大な時間がかかります。全てが薬害ではないでしょうから、その区別をつけて行かなくてはいけません。それも一審で結審せず、二審、最高裁までいけば、十数年、もっとかかるかもしれません。とすれば、全ての患者を救おうと、正義をとおして裁判を続けると、逆に多くの方が救われない現実にぶち当たるかも知れません。多数を救うはずが、多数を救えない現実に直面する可能性があります。
難しいのです。
原告は、福田総理の政治判断を待っています。世論を見極め、先例をつくるリスク(この場合、先例とは法に等しい重みを持ちます)、財政上の問題、自民党に対する支持者の動向などなど、そう簡単に結論をだして動くとは思えません。
「多数者の救済」という現実的問題と「命の重み」という正論の対決は、司法判断にゆだねられる性質のものではないのかもしれません。
いわばこの国がどういうことを信念に持っている国かということだと思うのです。その点、政治判断を迫る原告の手法はもっとも相応しい方法だと思います。
この訴訟、注目しなくてはいけない大きな問題だと思います。
日本がどのような国か??
私ならどうするか??この問題はこれからも続くでしょうし、私も取り上げていきたいと思います。
もうすこし先に私の意見を述べたいと思います。
ただ、感情的に原告に同情的であるという世間の風潮からは、一歩、引いて考えたいというのが私の立場です。しかし、国に好意的な訳ではありませんのでその点は誤解のありませんように。
この問題での次のアップをおまちください。
難しい問題で歯切れの悪い、12月16日の松谷でした。
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