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あなたが、「この人と話してみたいな」って思うことでしょう。 人と話してみたいな、と思うには、よほど心身が健康じゃないとそうならないでしょう、おそらく。仕事だから話さなきゃいけない、とか、本当はテレビの前でずっとナイター見ていたいんだ、と思っている状態から、ちょっとは人に関心を持って、自分に関心を持って、「話してみたいなぁ」と思う。 それが大事だと思いますよ。 愛についていろいろ言われてますけども、会社から疲れて帰ってきて子供にキャッチボールしようと言 われて、20分付き合えるのが愛ですから。 「ええい、疲れているんだ」 というところを押して、やる。 そうすると愛になるんですけど、やっぱり 「ええい、疲れている」 っていうところで、付き合わないでしょ? 帰り際に会社の人が「ちょっといいですか? お話したいんですが」と言ってくる。 「明日にしてよ、仕事時間中に」と答えれば、それは正論で、 「聞いちゃおうかなぁ」と言うためには、やっぱり少し力が要りますよね。 うーん。そういうのが大事じゃないかな、とわたしは思います。
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コテンのおしゃべ
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毎日あついですねぇ〜
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相手を変えるのは難しいです。また、気づかせるのも難しいです。 私たちが相手を変えたいと思うときは、相手が変われば自分の居心地が良くなる、少なくとも今の不快感からは逃れられるという意図があるわけですが、人は、誰かの気分を良くするために変わることはあまりありません。 それよりは、周りにいる人を変えないと自分は気分良くいられないという、今の自分自身の在り方を変えるほうが早いかもしれません。案外こっちの方が難しくて、だから誰かを変えたいと思うのでしょうね。 もちろん、変えることのできるものは変えるべきです。しかし、変えることのできないものを見極め、それを受け入れる勇気も必要です。 唯一、相手が変わるための手助けを求めてきたときだけ、あなたは、自分の責任で、自分が感じていることや思っていること伝えることができます。しかし、くれぐれも忠告などしないことです。「こうしたほうがいい」「ああしたほうがいい」と言ってわかるなら、自分に言うべきです。ただ、自分が思うこと、感じることを、自分の責任で伝えるべきです。 それよりは、相手があなたに助言を求めてきた、その勇気に注目すべきです。それこそが、何かを変える原動力だからです。
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イメージ力‥‥。しゃべるんだね、やっぱり。たくさんね。 例えば会社の社長に何が一番求められるのかというと、物語を作る能力なわけです。 子供もたくさん、身も蓋も無いような脈絡の無い物語をしゃべります。 そ れを誰かが、なるほどね、なんて聞いてあげると、物語がどんどんデカくなっていきます。 人は自分の物語の中で生きていきます。皆さんも、知らない間に自分の内側に物語を作っています。 わたしはこういう人間だ、という物語を作ります。
その物語がどんなものなのか、ということについて、見直されることが無いだけで、物語の中で生きていく。だから物語をアウトプットして、話す機会があったらすごくいいでしょうね。 イメージはどんどん膨らむと思います。 |
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もし、自分のことを知りたかったら何もしないことです。 何もしないというのもしないのです。 あなたにはもともと価値があります。 あとはそれに気がつくだけでいいんです。 本当の自分なんて言葉にだまされちゃダメです。
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「不機嫌はどうやって作られるか」不機嫌になるのは法則があります。 観察してると、なんとなく不機嫌になっているわけではなく、ある目的をもって、実に正確に不機嫌に向けてステップアップしてることに気づきます。 そして、自分の体の変化、感覚の変化もとらえられます。 まず、不機嫌になるきっかけを何個もあげてください。 そして一番ひどいのは、不機嫌を演じたその後にやってくる、さらにひどい不機嫌です。 自分が不機嫌を演じて(もちろん最初の頃は向こうからやってくるもので、 自分が招きいれてるつもりはありませんでしたが)しまったことにほとんど嫌気がさしてしまいます。 この不機嫌に陥ると簡単には元には戻れません。 もちろん、今、目の前で起きてることだけが、不機嫌の原因になっているわけではありません。 自分に対する慢性的な疑いが、不機嫌を持続させています。 自分にたいする慢性的な疑いとは 「自分は本当に愛されているもだろうか?」 「自分は役にたっているのだろうか?」 「自分はここにいてもいいのだろうか?」 「自分は本当は嫌われてるんじゃないだろうか?」 「自分はこれでいいのだろうか?」 といったものです。 元々ある「疑う」というシステムに脅かされた経験が重なって、すっかり被害者的で、受身にならざるを得なくなってしまいます。そして自分をさらに責めるクセがついてきます。 じゃぁどうすればいいのか?! どうもしないことを選ぶ。 どうにかしようとするのは、今が悪い状態だどいう前提に立ってしまうからです。 「不機嫌になったり、自分を責めたり、そんなこといいわけじゃない」 と、いうのは自分のことを他人事にしてるから、いいわけじゃないということです。 そう、他人事。もし自分が今そうしている、そういう状態にあると気づけば、 それで全て変わっていきます。 むずかしいかもしれないけど、そういうことなんです。 私達は実のところ、自分が何をしていて、どこに行こうとしてるのかよく分かってません。 それでも、システムや経験から、およそ昨日までの状態を維持ができます。 たとえ、苦痛や不機嫌であってもです。 そんなことは分かってると、思うかもしれませんが分かってる気になってるだけなんです。 自分以外の人をよくみてると、よく分かります。パターンもあります。 確かに自分がそうしてると気づくと、コミニケーションを起す対象と内容が変わります。 ちゃんと自分の不機嫌に向き合えないことに嫌気をさしてるだけなんです。 向き合えたら、自信や自尊心、自己信頼を手に入れるでしょう。 何とも向き合えないことが、無力感を招き、無力感こそが、不機嫌の極みなんです。 自分を観察していると、不機嫌は「当然」「しかたない」などちゃんと正当化されています。 不機嫌をやることは正当化されいるだけではなく、 自分を正当化するために、正当性を強調するために演じられているような気がします。 そして不機嫌は無駄なことではありません。 不機嫌は自分と向き合うチャンスだからです。 人間は目的のないことはしません。 意識的であれ、無意識であれ、自分にとって意味のあることをしています。 一人でいてなんとなく気分が重くなるときを観察してると、どんどん重くなってきます。 自分を少し投げやりになっているいる時に、もう一人の自分が 「本当の自分はそうではない」 という思い込みに満足させています。 私達は、今ここに生きている自分よりも、思い込みのありもしない自分を愛してる傾向があります。 それはまるで、ライオンに追い詰められたダチョウが頭だけ砂に突っ込んで、 体はむき出しになっているのに隠れたつもりになっているようなものです。 それは確かに自分を守っていくための一つの方法です。 しかし、同時に失われていくものもあります。 やはり、現実とのつながりであり、人との関わりなのです。 つながり、関わりが閉ざされれば、当然、それに従う症状も受け取らなければならないでしょう。
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