※あとで記事の内容を差し替えるかも...... 注※ちょっとネタバレあり...... ただいま『桜田門外の変』の映画が公開中!!ですが、今回は映画に登場するキャラクターや人物像について書いてみようと思います( ̄▽ ̄)ノ 映画には主人公で関鉄之介を取り巻く様々な人物が登場します。 しかし、その中に『この人一体誰?(o゜ー゜o)?? 』っていう人知らない人なんかもけっこう登場します。 そして、自分は既に『桜田門外の変』の映画を見てきましたが、内容は言うまでもなくとても素晴らしいものでした!! でも、人物像がちょっと描ききれなかったかな〜と思いました。 やはり映画というのは大河ドラマなどの大長編とは違い上映時間が限られているため、137分という限られた短い時間では説明が不十分になってしまい、人物像を描ききれないのは仕方ない事だと思います。 そこで!! 映画本編では深く突っ込む事のできない登場人物の人物像について。その関鉄之介を取り巻く登場人物について、小説から読み取りたいと思います 映画を既に見た人も、まだ見ていない人も是非ご覧ください( ̄▽ ̄)ノ <おもな登場人物> これは、映画『桜田門外の変』から公開されている人物相関図です。ホームページやパンフレットで見れます。 ↓↓
・文政7年(1824)、『関新兵衛』の家庭、三男一女の長男として生まれる。母は天保七年(1836)に病死。 ・父新兵衛により、弘道館に入門する。 ・高橋多一郎(弘道館の親友である鮎沢伊太夫【あゆざわいだゆう】の兄)の尊王攘夷論に共鳴し、たびたび屋敷に呼ばれて親交を深める。 ・のちに「桜田門外の変」と呼ばれる井伊直弼の暗殺計画に加わる。現場の指揮を命じられ、総指揮なので襲撃には直接参加せず。
<粉こんにゃくの大量生産で成功し、付近一帯屈指の富豪となる> 粉こんにゃくは諸沢村(山形町)の中島藤左衛門が開発した画期的な方法である。秋に収穫したこんにゃくの芋を水洗いしてきざみ、乾燥して粉にする事により寒さで傷む事もなく腐敗も防げるので、俵詰めにして遠方に運ぶことが可能になった。源次衛門はこの方法を取り入れ、こんにゃくを3台の大型水車で粉にし大量販売をした。国産専売政策の向上をはかっていた水戸藩では、源次衛門の粉こんにゃく製造を大いに奨励した。 嘉永7年(1854)4月、山横目列【やまよこめ】(藩の監視にあたるとともに、各村の庄屋等の人選・訴訟・警察その他内密の公用に従事する権限を持つ役職)に任じられた。また、硝石製造掛【かかり】にもにも任命され、火薬に使用する硝石を集め粉砕し、藩に納入するようになった。 <源次衛門の人物像> 北郡の初代奉公藤田東湖は郡内を巡視した時、各村の庄屋に対する人物評を「小利口らしき男」「一クセあり」「およそ無毒」などと記し斉昭に提出していたが源次衛門については、「堅個ラシク見ユ」と評した。その人柄は高橋多一郎にも高く買われ、斉昭は後に源次衛門の離れ屋を訪れた際にその風光をめでて『清流亭』と名づけた。 <関鉄之介との関係> 源次衛門は藩にしばしば献金し、安政2年(1855)3月に郷士になり、藩士と交流することも多くなり、北郡奉行である関鉄之介との親交は深くなっていった。 農兵に選ばれる者は大別して二種あり、藩に献金するか、「有志にて気力これある」屈強な者たちであった。 ※桜岡源次衛門の屋敷跡は現在の『袋田温泉ホテル思い出浪漫館』の敷地内にあり、碑文が建っています。
<人物像> 鳥取藩主池田慶徳は斉昭の5男で、両藩士の交流は密接であった。 安達は、鳥取藩士辰三郎の長子として生まれ、藩主慶徳の参勤に随行する父と共に江戸へ行き、ペリーのアメリカ艦隊が来航した際には、警備を命じられた鳥取藩代表の一員として本牧(神奈川県横浜)の陣屋に詰めた。 その後水戸に遊学し、弘道館に入門し、関鉄之介らと知り合った。
<いのの人物像と鉄之介との関係> 鉄之介が江戸で出た折に藩の者と谷本楼に登楼し、瀧本という遊女と出会った。その夜、瀧本は初めて接した鉄之介に強い恋情をいだき、鉄之介も色は浅黒いが目鼻立ちのくっきりとした瀧本を愛らしく思った。その後、馴染みになった鉄之介は折をみては谷本楼におもむき、瀧本と激しく体を抱き合った。 半年した頃、鉄之介は、瀧本の姿を谷本楼から消えたのを知った。楼の者に聞けば、瀧本は、老齢の裕福な商人に身請けされて谷本楼から去ったという。鉄之介は落胆したが、身請けされる事は遊女にとって玉の輿といわれる程の喜びであり、遊郭を抜け出られた瀧本の幸運を祈ってやりたい気分だった。 実名『いの』との出会いはそれから一年後だった。偶然、小石川水戸藩邸近くの路上で、瀧本―『いの』と出会った。立話をしたが、身請けしてくれた老人が病死し、日本橋北槙町の兄、熊二郎の家に身を寄せてるという。いのは、今後も鉄之介に会いたいとしきりに言い、鉄之介もそれに応じてしばしば夜を共にするようになった。 やがて、かれは、いののために熊二郎を店請け(身元保証人)として北槙中橋に家を借りてやり、そこにいのを住まわせた。 鉄之介は、いのの親が大州藩関係の者である事を知り、気性がしっかりしていて立居振舞いも尋常であり、書に巧みなのも当然である、と思った。 鉄之助は、直弼襲撃日前、いのの家に立ち寄った。襲撃日には死を迎える確立は高く、もしも捕らえられれば極刑を科せられ、いずれにしても死ぬ事には変わりない。 襲撃日前の今の個人としての生活としては、いのと過ごす残された時間しかない。自分の恋い慕ういのをだくことができるのは幸いだ。彼は、しなやかないのの体を抱きしめていた。。 <いのの最期> 直弼の襲撃後、奉行所は行方をくらましている関鉄之助をいのが知っているとし――(ネタバレにより省略 映画公開終了したら追記)―――。 彼女は23歳であった。
鉄之介よりも12歳若い25歳で、18歳の折に嫁いできた。郡内を巡視途中、中原村の矢矧【やはぎ】庄左衛門の娘『ふさ』の美しさと健気【けなげ】な仕草に魅せられ、妻として家に迎え入れた。 ふさは農家の娘であったので、しきたりに従い、藩に妻帯を届ける事はしなかった。おおやけに認められた妻ではなく、妾【めかけ】に類した者になっている。 鉄之介の父、新兵衛の身の回りの世話は、『ふさ』がしていた。78歳の新兵衛はこれといった持病もなかったが、白い髪は薄れて、ちょんまげは細く、顔に深いシワが刻まれていた。新兵衛は、鉄之介が幕府に抗議行動をした際、子に対する監督不行き届の責任で役職を辞任させられたが鉄之介には何も言わず暗い目をして家にひきこもってしまった。 上記を見ていただくと人物像が見えてくると思いますが、特に、鉄之介に関わってくる関係が微妙な『いの』という人物が謎でした。 小説を見てみたら、元吉原界隈の遊女でした・・・ あ〜なるほどそこで知り合ったんですね・・・。 関鉄之助ら水戸藩士らは夜な夜な、江戸の吉原界隈に遊びに?(笑) まさか映画でこの部分を描いてくるとは( ̄ー ̄U 『いの』は、関鉄之介にとってはどういう人物だったのでしょう?? まあ、死を覚悟で直弼の暗殺に臨んでいますから、わずかなひとときながら、嫌なことはすべて忘れて事ができる身のよりどころが『いの』で、人生の最後に花を咲かせたかったのでしょう。 果たして、自分が明日死ぬというとき、何をするでしょうか? この映画には色々深く考えさせられるものが沢山あるなと思いました。。。。。。
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