茨城町の衣料品販売店には水戸藩士が残していった刀痕があるらしく、早速見に行ってきました!! この刀痕については話せば長くなりますが........... 今から約150年前に既にご存知の通り「桜田門外の変」という事件がありました。 その桜田門外の変の3ヶ月前・・・・ 朝廷の命令を書いた文書『勅書』。 通常ならば幕府に下るのが正式な手続きですが、それが水戸藩に伝達されました。 これはどういう事かというと、簡単に例えると・・・(ー`´ー)うーん 例えば、社長の命令が直接従業員にいきます。これはまず絶対にありえない事でしょう。しかもその命令を上司に伝えるように言われれば、その上司は不甲斐ないでしょう。部下から命令されるだとぉぉぉ!?というような感じでしょうか(笑) こうなっては上司としては肩書きだけで役立たずです。 はい。 では話は戻り、命令が直接水戸藩に下った事に幕府は怒り、水戸藩に勅書の返納を迫ります。井伊直弼たちをはじめとする幕府の偉い人たちは、返さなければ水戸藩を潰すと言ってきています。どうやら本気のようです…( ̄ー ̄U) 水戸藩内では話し合いの結果、勅書を返納すべきVS返納しないという意見で真っ二つに割れます。 水戸藩が潰されては困るので結局は『返す』という事になり、水戸城にしまってあった勅書を江戸に持って行きます。 その道中。。。。。。。 江戸へは水戸街道いわゆる国道6号を通りますが、その途中、茨城町の長岡では勅書を持って行かせまいとする武装した農兵や返納反対派の水戸藩浪士など数多くの人々が陣を構えて街道を封鎖しました。 このときに陣を構えた場所が茨城町長岡の宿屋、旅籠なのですが、どういう事情かは分かりませんがその際に水戸藩士がこの宿の柱に刀を振り回して傷をつけたそうです。 今の時代に同じ事をやったら大変な騒ぎになります。 器物損壊罪か銃刀法違反で逮捕でしょう(笑) 薬物中毒と勘違いされて精神病院に強制入院させられるかも??? まったく、宿で刀振り回して壁に傷をつけるとは店主の立場からしたら迷惑極まりない話ですね( ̄∇ ̄U) ハッハッハッ で、なんと!! 実際にその際にできた刀の傷の痕が今もあるらしいじゃないか!!Σ(゚∀゚*) これは見る価値がありそうだ。 という事でやって参りました。 茨城県東茨城郡茨城町,長岡です。すぐ隣は国道6号が通ってます。 先ほども申し上げた,勅書の返納反対派が陣を張っていた水戸藩浪士を中心とした人々たちが陣を張っていた場所。そこは『旅籠中えびす』と言い、現在は『総合衣料センター みくらや』という服屋さんになっています。 旅籠 えびす跡↓ 現在は総合衣料センター みくらや では中に入ります。 何も買う用がないのに店内に入るのは誠に恐縮です。。。。。 申し訳なさそうに店内に入り、店主に、この刀痕をインターネットで知りやってきたという事情を説明します。 店主によれば、自分以外にも刀痕を目当てで訪れる人がけっこういるそうだ。 しかし店主いわく『ちっとも銭にならないからな〜、一万円くらい置いていってもいいぞ、あはは』と話していた。 これまで数多くの人が訪れ、テレビでも放映され、有名になった。しかし儲けは無い。 店主の友人がインターネットで載せたのをきっかけに世に広まったらしく、嬉しいのか悲しいのかわかんねえな,あはは、と苦笑いをされていた。 それを聞いて、確かにと思い、差し入れの一つでも持っていけば良かったかなとちょっと後悔した(笑) では、 脱藩した水戸藩浪士の刀痕!! 様々な思いが込められている刀痕!! しかと拝見いたします!! 柱がボコボコです!(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル ↓↓ ザックリと斬れています!!!!(゚ロ゚ノ)ノ 上から振り下ろしたようです。 一体どのような思いで刀を振り下ろしたのでしょうか?? なにか強い思いが、この傷跡には込められています。 ↓↓ という事で刀痕を見てきましたが、この刀痕、後に桜田門外の変の首謀者となる高橋多一郎・金子孫二郎・関鉄之助らがつけた痕かも分かりません( ̄ー ̄U だれがつけた痕かは分かりませんがただ、脱藩水戸浪士となっています。 この付近には『水戸藩浪士の毛塚』というのもありますが由来は、江戸へ向かうとき、髪の毛を断ち切り、決意の証として屯集地付近に埋め成功を祈ったようです。 やはり、この刀痕は関鉄之助ら脱藩浪士なのか・・・。 もうちょっと、桜田門外の変の跡をたどってみようと思います。
つづく.........
★参考★水戸藩浪士の毛塚←茨城町役場のホームページへ 幕末 刀痕 弾痕 探訪記←『旅籠中夷屋に残る水戸藩士の刀痕』
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