いばらき解体新書。

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△日立鉱山遺跡探訪

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   日立鉱山  ―本山選鉱場跡―   


 

 

 久々に本山選鉱場附属建屋跡(仮称)を見に行って来た。

 これは現存する鉱山施設のうちのひとつで、現在は骨組みだけを残す状態となり、その巨大な朽ちた建造物は山の斜面に今もなおひっそりと佇んでいる。道路沿いからは見えないのでこの存在自体を知らない人が多いと思うが、こんなものが道路のすぐ側の山にある。

 
 



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なんと!! 山の斜面に土台を立てている!! どうしてこうなった(笑)   

山の岸壁にそびえ立つ巨大な土台とその柱。あえて、鋭く切り立つ崖に土台を立てちまうとは! まるで自然の要害を生かした山城のような。その迫力には圧倒される。

かつて日立鉱山では山でも崖でもどこでも建てちまう。それらは山の頂上であったり崖であったり自然の地形を巧みに生かしたものが多い。








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空中にいくつもドアがあり天井に電燈がぶら下がっている。

恐らく内部は数階建てで壁や天井など仕切られて区画され、畳が無造作に積み重なっていたところからすると和室もなんかもあったのだろうか??(ー`´ー)





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空中のドア↓↓
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天井に吊り下がる照明器具↓↓
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日立鉱山が操業していた当時の写真を見てみよう。この写真は日鉱記念館に展示してあったものだ。(撮影年は不明)

矢印で示したところがこの建物の場所があるところだが、よく見みてみると四階建てであるように見える。とても大きい建物だったようだ。






↓↓↓↓

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地図


あかさわ山荘跡地の坂を登り、左側にある廃道進む。途中右側の荒地を進んでいくとこの建物がある。

日立鉱山の閉山から30年。多くの鉱山施設や建物は解体された。

今でも山にひっそりと立つこの建物は現在では日立鉱山の貴重な遺構である(ー`´ー)


↓↓↓

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<追伸>
ここにもマックスコーヒー落ちてました〜。
↓↓
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あかさわ山荘、旧本山小学校の解体工事始まる





あかさわ山荘が解体工事をしているという情報を聞き、早速見に行ってきました。

な、なんということだ!(驚)

震災の影響か、どういうわけか知らないがあかさわ山荘(廃校本山小学校)を取壊しているという。

まさか現役で営業している建物なだけに、まさか取壊すとは思わなかった〜。

これは取壊しが終わって更地になってしまうまえに見にいかねばΣヾ(゚Д゚)ノ

最期の写真の一枚を収めたい!!








という事でやってきたが、既に時は遅し。

建物の大部分は取壊されガレキになっていた・・・。

取壊す事をもっと早く知っていれば、最期の姿をカメラに収める事ができたかも知れないが残念(-д-U)




【あかさわ山荘 本山小学校正門跡】↓↓
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しかし!!


当時と変わらぬ桜の木だけはそこにあった。





【1965年(昭和40年)】↓↓
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【2007年10月】↓↓
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【現状】↓↓
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建物は無くなっても、桜の木だけは40年以上経った今も変わらぬ姿で立ちつづけている。

なんとも感慨深いものがあります。

これでまた一つ日立鉱山のゆかりの建物が消えてしまったが、この桜の木は当時を物語るものであるので伐採しないで残してほしいと思います。





さようなら本山小学校!!










あかさわ山荘(2007年撮影)↓↓
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 本山小学校の歴史    〜鉱山と市民〜

 1906(明治39)年、前年暮に開業した日立鉱山師弟の教育のために、日立尋常高等小学校(宮田)の本山分教場が創設された。翌07年改正小学校令により、それまで4年だった尋常小が6年、2年または4年だった高等小が2年または3年の就学となった。それにしたがって各小学校は就学児童の増加もあって校舎増築などの必要にせまられたわけであるが、本山文教場は、「日立鉱山尋常小学校」の独立校となり、同年5月2ヵ年の高等科を付設した。これが本山小学校の前身である。

 昭和に入ると、日立鉱山の従業員数は3000名強で安定しているが、児童数は着実に増加、1926年(昭和元年)には1297名、30年は1537名、35年1704名、戦時体制に入ると2000名以上に達したのである。
 
 1947(昭和22)年3月31日、教育基本法、学校教育法が公布され、六・三・三・四という新しい教育体制が樹立施行されることとなった。この法に基づき本山国民学校も本山小学校に、国民学校高等科は新制中学校として独立した。またこの年にはPTAも発足したのである。
 この年度の「学校要覧」をみると、児童数は1233名、教員数は22名で、校地面積は一九〇九坪であった。1クラス平均65名で、一番多いクラスは75名にも達した。例えば1年3組の担任は、今橋冴子で、男30名、女33名計63名の児童が在籍していた。この時の校長は助川長蔵であった。
 翌48年にはそのクラスは2年3組となり、児童数は男32名、女29名計61名となった。担任の教師は高橋ミチヨであった。また、この年の全校児童数1293名で、学級数21、職員数は校長を含めて23名であった。
 戦後間もない頃、学芸会が盛んで、本山劇場でクラスごとに演劇をやったりした。食糧事情の悪い時ではあったが、毎日ではなかったが学校給食があった。また、正月や山神社の祭礼時には露天がでて、子供の欲しいものが売られていて、以前の賑わいをとりもどしていた。
 本山小学校では、1963年(昭和37)から増築工事が行われ、66年に屋内体育館も含め鉄筋三階建ての設備の充実した近代校舎に生まれ変わったのである。
 一方児童数は64年に1000名を割りこみ、教育設備の充実とは反対に、本山の地域性から年々減少し、ついに73年には、児童数59名、学級数6、職員数8名となった。それから2年後の78年(昭和53年)3月20日閉校した。創立72年目の事である。 

  

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 日立鉱山遺跡探訪  〜本山劇場編〜  





今回の『日立鉱山遺跡探訪』は、かつて本山の山の中腹部にあったという幻の映画館『本山劇場』について。
  
本山劇場とはどんなものだったのでしょう??

本山劇場ができたのは大正8年。

当時、坑内夫たちには飲酒の習慣が広く根付いて「坑内稼ぎの者や精錬の人は石粉を吸うから腹の中が石の粉だらけになるのでお酒で飲み下す必要がある」と考えていたようである。また、酒の力でもってしばらく坑内稼ぎができるように、と思っていたようだ。そこで、酒に代わる文化的な趣味を提供し福利厚生に力を入れる事で健全な生活を営み荒くれ防止する狙いがあったんだとか。


「酒の為めには、病気に罹ること二倍、治療に要する日数ニ倍、能率の低下すること三割余、仕事はまづく、時間を浪費し、事故頻出続く」

要するに、酒を飲みながら仕事をしていたという事だろうか?飲酒しながら酔っ払いながら仕事するとは・・・。これが現代社会だったら即刻クビになる事は間違いないでしょう( ̄ー ̄U



さて、本山劇場の内部の様子はどうだったのでしょうか??

ここで本山劇場について書かれている「鉱山と市民」を見てみましょう。



↓↓↓
             本山劇場のこと         〜佐藤凱夫さんの聞き語り〜  
                                  『鉱山と市民 聞き語り日立鉱山の歴史』より

 大正2年8月に本山劇場は開場しました。共楽館よりも4年も前の事です。本山の山腹にあり、道路から階段が100段以上もあり息が切れましたよ。ここでは、共楽館で催した映画、演劇、歌舞伎、公演などを必ず行いました。木造3階建てで800人まで入れました。内部の一部に花道があり、1階は椅子席2、3階は畳席でした。教育映画については第二小学校の先生に一任しましたが、試写会や打ち合わせの時は第三小学校で合同でしました。夜遅くまでかかった時など、本山へ帰っていくのが大変だったですね。
 入場料は普通の5分の1くらいで、会社であとは負担していました。入場料をめぐってこんな事もありました。伊丹秀子という女浪曲師を呼んだ時のことで、彼女から強い抗議を受けたんです。入場料を鉱山側で五十銭に決めたことが原因なんです。よそでは一人2円だったんです。外で日立が五十銭にした事がばれると困るというわけです。なまじっか五十銭なんてしないで、いっそ無料の方がよいというのです。彼女の方は強行で興行をやめるとまで言い出し、何度も話し合った結果一円五十銭にする事で納得してもらいました。今度はこちら側が困ったんです。既に五十銭で宣伝していたので、急遽割引券をガリ板で印刷し、これを各家に配って、券を持参した者は五十銭で入場できるような苦肉の策をした事もありました。
 本山劇場はテレビが普及しはじまってからだんだん使われなくなってったようです。
                                       (1985年3月15日)
  


木造3階建てで収容人数は800人!!

かなりな規模の大ホールであったことが分かります。かつては映画や歌舞伎など数多くの興行が行われ東京からも有名な歌舞伎役者や歌手、芸能人が訪れていたそうです。あの山の中に一大興行を催した大劇場が!?今じゃ信じられない。

これは是非とも本山劇場跡に行ってみたい!(`・ω・´)










                          大正8年の本山劇場 ↓↓ / 日鉱記念館
イメージ 1









本山劇場跡探索


という事で行ってきました( ̄∀ ̄)

本山劇場へは県道沿いから100段ある石段を登っていくのが昔使われていた正式なルートのようだ。しかし、現在は階段入り口のところには民家が建ち並んでいるためここからでは進入できない。人の敷地を通るわけにもいかないので別のルートを考える。(ー`´ー)






下の写真で右のガードレールから登っていく。
↓↓
イメージ 2









しばらくまっすぐ行くと階段があり竹薮に突き当たってしまう。
が、獣道のようなものが道がうっすらとあるのでそこをひたすら真っ直ぐ突き進む(`・ω・´)








↓↓
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しばらくすると視界が開ける。

本山劇場へと続く石段に出たようだ。










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ここが本山劇場のあった場所・・・











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特にこれといって何か残っているわけではない。

姿や形は無いものの、しかし、劇場の土台と思われるものがハッキリ残っていた。

ゆいつ現存するこの土台部分が、かつては興行の中心である本山劇場だったという事を物語る。






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       ↓↓↓ 


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続いて、本山劇場跡の裏の方を散策してみる事にした。

本山劇場裏にはゴミ置き場のような場所があり、色々なゴミが捨ててあった。

中にはこんなものも・・・。







元祖マックスコーヒー!!! 
しかも飲み口が切り取るタイプ。
なつかし〜〜( ̄∀ ̄) 
↓↓↓
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初代サッポロビール。
なんかデザインがおかしいですね。↓↓
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三ツ矢サイダー。
これは「三ツ矢サイダー シルバー」というらしく、1971年に発売が開始されたものらしい。

↓↓
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これもまた古そうなキリンレモン。
↓↓
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これについてはあとで調べてみたら、キリンレモンのホームーページにこれと同じものがあった。。。。。。。

それがこれである。キリンレモンの歴史という事で紹介されている。



↓↓
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1973年〜1984年までがこのデザインで販売されていたようだ。

す、すごい・・・。

プレミアがつきそうな程の貴重なゴミである( ;゚Д゚)

まさしく、ここは遺跡として呼ぶにふさわしい。

まだ化石がざくざく出てくる!!

ゴミが宝に見えてくるぜ。

あまりにも珍しいので持って帰ろうとも思ったが、遺跡の現状を保存するべくそのままにしておくことにした。










これはなんだ??
何に使うものか考えてみたがサッパリ分からなかった。
不思議な形状をしている。
↓↓
イメージ 18










まだまだ面白いものがでてきそうだったが日没が近づいてきたのでこれで引き返すことにした。

さらに道が山の奥の方に続いているので気になるところであるが、謎が多い場所である。

まだ探検してみる余地はありそうだ( ̄∀ ̄)




   〜おわり〜








地図



今回探索したエリアの地図です。
↓↓
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  好評(?)日立鉱山遺跡探訪 シリーズ 





今回の日立鉱山遺跡探訪は、栄枯盛衰のはかなさがにじむ日立鉱山本山地区の寂れ具合というか、荒廃していく様子を記録したとても貴重な写真もまじえながら書こうと思います。

それではどうぞご覧ください( ̄▽ ̄)ノ







    衰退する鉱山と、本山の人口減少



今から30年前の昭和56年6月。日立鉱山は鉱量枯渇により閉山しました。

かつて日立鉱山の最盛期にには本山に1万人以上の人々が暮らしていたそうです。

しかし鉱量減少で鉱山は徐々に衰退していくと同時に人口も減少。昭和44年の本山の総人口は2766人、閉山後の平成11年にはわずか45人と減少しほとんどの人が鉱山を去っていきました



下記統計参照↓↓



本山の人口動態  (著書「日立鉱山の一生と二十世紀の轍」が日立市統計課資料をもとに作成した統計)
 
日立鉱山往時   人口約1万人以上
昭和44年       人口2766人  
昭和45年         2606人    
昭和46年         2405人   世帯数778
昭和47年         2033人      666
昭和48年         1971人      589
昭和49年         1309人      366
昭和50年         1055人      300
昭和51年          969人      290
昭和52年          919人      271
昭和53年          863人      261
昭和54年          874人      202
昭和55年          845人      252
昭和56年          945人      278
昭和57年          923人      267
昭和58年         1051人      303
昭和59年          295人      106
昭和60年          270人       97
昭和61年          250人       92
昭和62年          222人       84
昭和63年          208人       84
平成1年           195人       76
平成2年           173人       69
平成3年           153人       61
平成4年            70人       26
平成5年            63人       23
平成6年            61人       23
平成7年            57人       22
平成8年            52人       23
平成9年            51人       24
平成10年           48人       22
平成11年           45人       22
      






たくさんあったアパートからは人が消えて無人化し、やがて人の住まなくなった廃墟が目立ちその荒廃した状態はしばらくはそのままの状態で続いていたようです。

ちょうどその時です。

この荒廃したゴーストタウンが不気味で奇妙に思えたのでしょう。

本山は心霊スポットとして若者の間で噂され、いろいろな噂が出来上がりました。


『1本杉を切り倒そうとした工事関係者が謎の怪死をした。』

『もとやまキャンプ場(大角矢社宅跡)には幽霊が出る』

『あかさわ山荘には幽霊がでる』

その他色々。。。。。


廃墟となった本山中学校や鉱山アパート・鉱山病院(大雄院病院)などは若者の恰好の心霊スポットとなり、心霊番組のテレビも来る騒ぎにまで発展した。(⌒_⌒U トホホ

その当時の若者は現在は30歳なかばくらいでしょうか。

現在、鉱山の廃墟は一部を除いて全て取り壊されています。

その廃墟、自分も一度見てきたかったですがね。心霊ではなく遺跡としてヾ( ̄o ̄)

確かに、日立鉱山は歴史ある鉱山なので幽霊の出そうな場所や話なんかも少しある事は否定しませんが、しかし、少なくとも廃墟や社宅跡にはお化けはいません。

そして、鉱山跡に何回か行っていますが今のところ幽霊のようなたぐいにはお会いしていませんのでご安心ください( ̄∇ ̄U) ハッハッハッ



さて、

冒頭で、日立鉱山が閉山した後ゴーストタウンだった時代があった事をお話しましたが、実はその時に撮影された写真があります。

日立鉱山が閉山して荒廃していく様子をとらえた数少ない貴重な写真でございます。

自分はその写真がどこら辺で撮影されたものなのかさっぱり分からないのでありますが、日立の出身の方や、元鉱山出身の皆様だったらきっとお分かりいただけるでしょう。

今回特別に、廃墟のホームページ『ポンチハンター』のKUZE様から撮影写真のご提供いただきました!!

KUZE様は全国の廃墟や珍スポットなどを巡られ、その活動を自身のホームページ『ポンチハンター』で紹介しています。

その精力的な活動は廃墟界のみならず高い評価を得ています。

以前は自身のホームページ『ポンチハンター』にて日立鉱山の廃墟を数多く紹介されており、目を見張るものがありましたがなぜか公開が中止になってしまいました。

その事に関してお尋ねしたところKUZE様からは、システムのトラブルなどによるもので『日立鉱山のページも、まだ先になると思いますが復活させる予定ですので気長にお待ちください』との回答を頂きました。

その際には、当ブログの日立鉱山記事のファンの皆様にお知らせしようと思います。









では長くなりましたが、KUZE様の撮影された日立鉱山の貴重な写真の数々をご覧ください!!

撮影場所や、何の建物なのか等、詳細が分かる人は詳しく解説しコメントしたまえ( ̄▽ ̄)ノ(笑)






           廃墟になった町。本山の記録


<写真1>
イメージ 1

本山中学校のあった土台跡のようです。 











<写真2>
イメージ 2

あかさわ山荘上の上にあるコンクリートの鉱山遺構の上に立ち、かつてあった本山中学校を臨む。とても危険なので真似をしないように(笑) プロの成せる技です。 











<写真3>
イメージ 3

(編集中)    











<写真4>
イメージ 4

(編集中)    











<写真5>
イメージ 5

あかさわ山荘の上にある、日立鉱山の遺構です。<写真2>はこの上によじ登って撮影したもののようです(笑)
これはなんの構築物なのかは分かりませんがこの遺構は今でも現存しています。比較的簡単に行けるのでこれもまた後で見にいこうと思います。    










<写真6>
イメージ 6

(編集中)    













見覚えのある、馴染みのある写真はありましたでしょうか?

KUZE様の撮影されたこれらの写真は、多数掲載されていたほんの一部にすぎません。

詳しくは廃墟ホームページ『ポンチハンター』の日立鉱山廃墟のページ更新の日を待ちましょう( ̄▽ ̄)ノ







                 提供

イメージ 7








   →ポンチハンターのホームページ見に行く←   
                         ↑※他サイトへジャンプします。
今回の、『日立鉱山遺跡探訪』は一本杉の左側のガサヤブを探索してきました。

情報提供者によれば、一本杉左手に鳥居があり、弁天様(?)があるとの事です!

しかし、一本杉左手にそのような鳥居は一度も見たことがなかった・・・(ー_ー?)

なので、鳥居と弁天様があるかどうか実際に現地に行って探してみます。。。








今回探索した範囲です↓↓
イメージ 1









本山一本杉を過ぎたところを左側に鳥居はなかったものの、奥に続く階段がある事に発見しました!
奥の方へ階段を進んでみます。






イメージ 2





ここに何かがあったのだろうか? 
何かの入り口のようですが・・・



イメージ 3










そして、肝心な弁天様はどこにおられるだろうかと探していると、ちょうどこの階段右手側にとてもショッキングな光景が飛び込んできた・・・














イメージ 4





弁天さまぁぁぁぁΣヾ(゚Д゚)ノ!






なんと弁天様は、なんと弁天様は、日立閉山してから数十年の間、雨風打たれて力尽きて横たわっていました!

鉱山時代は参拝者が手を合わせたであろう励みの弁天さまは今は誰も訪れることなく忘れ去られ、その役目も終えしばし長い眠りの途につかれたようです・・・。

ここら辺は夏になれば草で覆われ、誰も訪れる事なく山へと還っていくでしょう。

めでたしめでたし




      〜おわり〜


















しかし!!

階段をさらに上がったところに弁天さまはいました





イメージ 5





ちょっと、ダイソーとか袋田の滝のお土産屋あたりで売ってそうな小さいサイズの弁天さまですが、とにかく無事でなによりですε=( ̄。 ̄;フゥ      (弁天ってこれでいいんですよね・・?)

祠が倒壊する前に脱出してきて無事だったようですね。

祠の方はというと、倒壊した後真っ二つに分解して半分は滑落して下の崖に落ちたようです。


↓↓

イメージ 6


イメージ 7








どうやら、まだ道が続いているようなので奥へ行ってみます!





イメージ 8



イメージ 9





道は途中で不明瞭になり竹やぶに突き当たり、行き止まりになってしまいました。
残念ですがここまでのようです。


イメージ 10




イメージ 16



行き止まりのところで一本だけ太い幹の木があり、目立っていました。
昔からある木でしょうか。
イメージ 11




階段から弁天様を臨む↓↓
イメージ 18




日立鉱山探索のもうひとつの楽しみ!!

それは・・

鉱山に住んでいた人が落としていった忘れ物です ( ̄m ̄*)ププ

たまに珍しいものが落ちていたりします。

かつては初代マックスコーヒーや、年代物の未開封の缶ジュース20個落ちていました。もちろん飲めませんが…

今回も色々なものが落ちていました。




なぜかよっちゃんイカのふた↓↓
イメージ 12





焼酎ワンカップ↓↓
日立鉱山は禁酒だったんじゃ?
※荒くれ防止のために禁酒会というのに強制加入させられ酒を飲んではいけないらしく、酒屋で水枕に酒を入れてもらい持ち帰り、こっそりと隠れて飲んでいたそうだ。
イメージ 13





鉱山敷地内に広く見られるなんかを入れた四角い空き缶↓↓
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電信柱?↓↓
イメージ 15








今回探索した結果↓↓
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期待していた珍しいものが落ちてません(T.T; )

今回の探索はこれで終了です。

道路挟んで何かあるようなので、草が枯れた冬にでも行ってみようと思います。

今の時期は草が生い茂っていてヘビがでるので『日立鉱山遺跡探訪』はしばらくシーズンオフです( ̄ー ̄;

お疲れ様でした。

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