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1、 ゆとり教育と階層化社会
この言葉は現代の日本社会で「ゆとり教育」という名の下 に行われている事実を明確に表している。 教育改革国民会議座長・江崎玲於奈氏の考えをまとめると、 1、人間にとって重要な要素は遺伝であり、人間は生まれた瞬間から平等ではない。 2、それを認めた教育こそ、個人一人ひとりの違いを認める教育である。 わたしはこの言葉にとても理不尽な気持ちになった。単純に 人権に反すると思ったからだ。この考えで教育を進めると、 労働者階級や支配者階級といった考えがはびこっていた戦前 の日本に戻ってしまうのではないか。 斎藤氏によると、江崎氏の個性云々を強調する改革メニューの 底流には「優生学」という思想があるのだという。 優生学とは二十世紀の前半、新たに勃興した遺伝学の誤った理
このことからも、こんな考えを堂々と発表する者によって教育改解と手をたずさえた人間に対して残酷かつ抑圧的な学問となり ナチス時代にあっては暴虐極まりない蛮行を引き起こした学問 である。 革が行われることにわたしは大きな不安を抱かずにはいられない。 こうした教育における不平等は、そのまま大人になってからの格 差につながる。むしろこの教育改革は、手早く言ってしまえば社 会全体の階層化を目指し進めるためのものなのだ。こうした考え の下進められていく教育改革議論は、中学校の義務教育廃止論に まで及んでいる。 斎藤氏はこれについて、どうせ使用人にしかなれない、させない 子供に教育などもっての外、余計な知恵をつけるだけ邪魔だと言 いたいのだろうかと述べている。この本を読むまで「ゆとり教育」とはすべての子供たちに“平等” にゆとりある学習を与え、精神的な豊かさも同時に育てるための 計画だと思っていた。言葉巧みに言い換えれば、この表現も当て はまるのかもしれないし、教育改革を語るとき多くの関係者はこ のような言葉を使って説明をする。だが、このように改革を進め ていったとき、どのような社会が出来上がるのか、この言葉には まったく含まれていない。 わたしもこれまではこの改革の問題点といえばただ学力低下だけに 目がいき、社会構成とか、格差とか、そんなところまで深くは考え ていなかった。
「ゆとり教育」が実際に行われ始めて数年、今目に見えて現れている のは“新しい学力観”によって制度化された内申書の重圧だ。 新学力観は個性や多様性を重んじるといいながら、先生が作った枠組 みからはみ出る子を排除する結果になっているのでは、という疑問を もつ親もいる。 「上司ならぬ教師の顔色を窺う“サラリーマン”的中学生が確実に増 えていこう。自発的に服従できる子供が、最もよい成績を取る時代が やってくる」斎藤氏のこの意見は、実情を見ても正しいといえる。「ゆとり教育」 は教育機会の平等をうたいながら、大人社会と変わらない抑圧を子供 に与え、結果今以上に格差のある社会を作るための土台作りに過ぎな い。 |

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「人間は生まれた瞬間から平等でない」士農工商を思い出しました。 私の知り合いの教師が「ゆとり教育」が始まったころ、「鉄棒の好きな子は鉄棒ばかり」「絵画の好きな子は絵ばかり」という「ゆとり教育」で良いのだろうかと疑問を抱いていました。個性を伸ばすと言うことでしょうが、のびきらない子は「落ちこぼれ」ということになりますね…。教育的指導もいるのだと思います。MAYAさんが中学時代に「ゆとり教育」が開始された頃ではないでしょうか。
2006/3/31(金) 午後 1:27 [ baz*tou*uu*970 ]
子供は生まれた時から平等に多様な教育を受けて、得意なものが伸びなかったとしても十分なやり直しのチャンスが与えられるような社会でなければならないと思います。そうじゃないと、結局行き着くのは勉強が得意で親に塾などのお金を出してもらえた子供だけが富める日本です。わたしの1つ下から「ゆとり教育」は始まりましたが、後輩の授業のレベルの低さを友達とバカにした記憶があります。子供の目にも明らかなくらい、内容のレベルはかなり低いものでした。
2006/3/31(金) 午後 7:45
労働市場における競争が、本質的には教育現場にも貫徹しています。しかし学校でこそ、「競争」ではなく、多様な価値観をもつ人との「共生」を学ばせたいものです。
2006/4/2(日) 午後 5:57
TOCKAさん:子供のいじめも、大人社会の競争、それによる格差をまねた行為だという意見もあります。「共生」、その中で社会での「競争」を学ぶのが一番だと思います。
2006/4/3(月) 午後 1:49