| 藤原正彦著『国家の品格』四月三日朝日新聞”きょうの論点”もふまえて考える |
日本人は改革イコール改善と勘違いしたまま、それまでの美風をかなぐり捨てた
著者は日本人を特徴付けるもので国柄というべきものだった情緒、
武士道精神がバブル崩壊後崖から突き落とされるように捨てられて
きた、という。
わたしがこの本を読んだときまず感じたことは、著者の日本古来の
精神に対する強い羨望でした。羨望、そう思わせるくらい様々な場
面で情緒や武士道への回帰がうながされているからです。それこそ
が国家の品格を復活させる術だ…と。
重要なことは押しつけよ
ものの善悪、何故人を殺してはいけないか、野に咲くスミレがなぜ
美しいか、重要なことの多くが、論理では説明できない。なぜかと
聞かれても、そうなのだからそうなのだ。世の中の大事な部分はこ
うした論理では説明できないことのほうが多い。それなのにこれま
で世界は論理に徹し、近代的合理精神に頼ってきた。日本も、その
ために荒廃しつつある。
わたしは著者の意見に「そうかもしれない」と納得する部分もある
が、そうでない部分もあった。それは、今朝の新聞で内田樹氏の意
見と重なるところがあったので取り上げる。
国家の「品格」というものがあるとすれば、それは「あの国は品格
がある」という外部からの評価にしか基礎づけられないだろう。
(中略)「品格のいい国家だ」という外部評価を得たいと日本人が望
むなら、日本人は日本がどれくらい「外から見てフェアな国か」を
まず点検すべきなのだ。
情緒や武士道精神は人の心を育てるのには欠かせないものだと思う。
その点から言えば、江戸時代の人々の心や社会は今よりもずっと純
粋で、豊かだったのかもしれない。でも今「武士道」の復活こそが
唯一、一番望まれていることかといえば、そうではない。
日本は、世界に向けても「フェア」で「信頼のおける」国でなけれ
ばならない。それが現代だ。ここで「靖国問題」をあげれば、日本
の首相が参拝することも、天皇が参拝することも、日本の「情緒」
を重んじた行為だと言えばそれで諸外国に説明が出来るだろうか。
そうじゃないから、大きな批判を受けているのではないだろうか。
「戦犯が一緒に眠っている」ことを重くとらえるか、別と考えるか
だって日本から見た考えとそうじゃないのとでは見方も大きく変わ
ってくる。
対外的に考えた時、論理は非常に重要になってくる。
惻隠の情
惻隠の情とは慈愛、誠実、正義や勇気、名誉や卑怯を憎む心などが
盛り込まれている武士道精神の中で中核をなすものであり、弱者、
敗者、虐げられたものへの思いやりであり共感と涙である。
目を外に向けた時、「情緒」「武士道」に固執した国であってはな
らない。しかし、内に向けるとそれは今とても必要とされているこ
とだと思う。政府から論理的に説明され、「良いこと」だと信じた
結果が今の日本だ。論理的に筋が通っているように聞こえることで
も、その論理が暴走していればとんでもない方向へ行ってしまう。
それが今の社会保障であり教育改革、これからの改憲じゃないだろ
うか。
ナショナリズム(国益主義)ではなくパトリオティズム(祖国愛)を
ナショナリズムは自分の国さえよければ他国はどうでもいいという、
戦争につながる危険な考え方である。祖国愛とは自分の生まれた国
の自然や文化、伝統、情緒といったものをこよなく愛する考え方。
祖国を愛する気持ちが深ければ深いほど、相手の同様の祖国愛も分
かる。
ナショナリズムはまさに米国を表している言葉だと思う。そして
日本がパトリオティズムの代名詞となれる時がくるとすれば、そ
れは「論理」も「情緒」も重んじ、国民からも外国からも日本は
「フェア」だと認められたときではないだろうか。
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