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父が直腸がんの告知を受けてから1週間たちました。
通院の日でした。 前回病院に行ったとき、最初、ドクターが2週間後に また通院してくださいと言ったのですが、なぜか急に
考えが変わったのか、再び私を診察室に呼び出して 「やっぱり1週間後にお父さん連れてきて頂戴」と いうことになりました。 私は仕事がありましたので、父と母で自転車に乗って 近所の病院へいきました。 初診ではなかったので、この日は2時間ぐらいで
父と母が帰ってきました。 「で、どうだった?」
そう言って、母から報告を受けることが多くなりました。 父の身体のことは、気になるけれど、聞きたくない・・
そんな複雑な気持ちになりました。 「明日、もっと大きなS病院に行くようにって
紹介状もらってきた」と母が言いました。 ・・・なんじゃそりゃ。
1週間前に医者のいったことと違うじゃないか。 もう高齢だから手術したら死んじゃうし、お腹にうんちが
つまって腸閉塞を起こすか起こさないかぐらいまで 経過観察と言っていたのに!? 「お父さんのお腹を触ったらね、もう皮膚の上から ウンチが詰まっているのがわかるぐらいになっているから
大きなS病院のほうが良いだろうって、先生が」 近所の医師は、腸閉塞になるまでもう少し時間がかかると
おもっていたのだろうか。 それが1週間ぐらいで、お腹がパンパンになってしまったので 方針を変更したとみた。
・・確かに、初めに病院に行ったときから点滴などを受けてから
父の顔色が少し良くなって元気になったので
食事も少しとれるようになりました。ご飯が食べられるのは
良いことだけれど、下が詰まっちゃしょうがない。。
「あんたも触ってみたほうが良いって先生いってたわ」
と母がいうのですが、「ガン」という病名も父に言ってないのに、 いきなり 「お父さん腹を触らせてよ」なんて言えないよなぁ。。 母がもらってきた紹介状は青い封筒に入っていました。
ふせんが貼ってあり、そこには ”「明日、午前9時から9時半までに行け”書いてある。 まったく医者とか病院というところは、人の予定とかを 考えないところだな・・と思った。 幸い、明日はお客さんのアポもありませんでした。
S病院は自宅から車で30分ぐらいの距離ですが 電車だとその3倍はかかりそうな場所にあります。 体力が落ちている父が電車で行くには、無理がありそうです。 朝いちばんなら、仕事への影響も少ないと判断し
明日は私が車を運転し両親をS病院まで送っていくことにしました。 |
お父さんの部屋
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病院から父の病気のことで、子の私もとうとう呼び出された
ということは、あまり良い話ではないと見当はついてました。 ただ、医師から正式に病名の説明を受けた時はさすがに ショックを受けました。 告知日を境に、生活が一変しました。
表面上は今までと変わりなく普通に暮らしていますが、 親子の関係や、人生や、生死観について、私の中で グルグルと常に答えのない思いが駆け巡り、 心に鉛の蓋のようなものがされた感じです。 告知の前までは、気楽に暮らしていたのに・・・(^^: 父は別室で点滴を受けていました。 その間に、母と私で診察室で、医師から父の病気に ついて説明を受けました。 生前の祖母も見てもらったこの医師は、手慣れた様子で 小さなメモ用紙に大腸と小腸のイラストを鉛筆で書きました。 「娘さんね、残念ですが、お父さん、直腸がんです」
大きさはこのぐらい・・・といって 医師が両手で輪を作るようにして示してくれました。 検査のデーターでは6センチ×8センチの大きなものでした。 「まだ肝臓に転移はしてないね・・」 自身も70代であるこの医師は胃腸科の専門医だけあって
今後父の身に起こるであろう症状や心配されることを 本当に丁寧に説明してくれました。 私と母は、ただ、ただ、黙って聞くほかありませんでした。
「治るんでしょうか・・?」 すると医師は、「お父さんね、相当体力が弱ってるね。 手術したら、切っただけで死んじゃうよ」 ・・・2年前祖母が亡くなってから、急に、父が 老け込んだように見えました。 いつもTVばかり見て散歩もいかず、これじゃ、体力が弱るのも 当然だと思っていました。家族が異変に気付いたのは1週間前。 晩にお酒だけ飲んで、夕食をとらなくなった日が続いたことでした。 「父は、あとどのぐらい生きられるでしょうか?」
すると医師は苦笑いをしました。 「そりゃ、わからんよ」
肩透かしを食らった感じ・・・ TVドラマのような展開を想像していた私は てっきり「あと〇ケ月ぐらい」と言われるものだと 思っていました。 すると、この医師に対して、だんだん怒りの気持ちが ムラムラと湧き上がってきました。 笑うところじゃないだろう! 余命を長く言ってしまってそれより短かったら 家族から文句が来るのが怖いから、はっきり言わないのも わかるけれど、「わからん」では家族は困るのだ。 「そうは言いましても、こちらも色々と準備が・・ 1ケ月単位の話でしょうか それとも年単位の話でしょうか」 そういって、医師に誘導尋問をかけてみました。 母は黙って心配そうな顔して私と医師のやり取りを聞いている。
すると医師は、しょうがないといった顔をして 「まぁ・・・1年持つか、持たないかぐらいかな」と言いました。
医師の治療方針は、まず手術や抗がん剤や放射線などの 治療はせず(できない)経過観察をする。 今はまだ、便がでるものの、このまま癌細胞が大きくなれば 腸閉塞が起こる。(ガンが腸管の中で大きくなりウンチがでなくなる) 本人も相当苦しむだろうから、そうしたら、すぐに 救急車を呼びなさい・・ということになりました。 待合室では父が点滴を終わって座っていました。 「迎えに来てくれたのか?」と私に父が言うので 「迎えになんか来ないよ、ものぐさしないで ちゃんと自分で乗ってきた自転車乗って帰りなさいよ」 何気に冷たくいってから、しまったと思いました。 私まで病院に来た理由を父に悟られてしまったかもしれない。 会計をすませて、父と母と私三人で病院の玄関を出ようとしたとき 看護婦さんが、私の名前を呼びました。 「・・・お子さんだけ診察室にどうぞ」 同じ医師が、椅子に座って私の顔を見ていました。
そして、言葉短くいったのです。 「さっきはお母さんもいたから、はっきり言わなかったけれど あと3か月もしたら、あなたのお父さんに、何があっても おかしくない。覚悟しておきなさい」 「3か月」という言葉より、「覚悟」という言葉のほうが 私の心にグサリと刺さりました。 「わかりました」
私はそれしか言うことができませんでした。 |
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月曜になったら絶対病院に行かせないと・・と思っていた私は
母と協力して病院嫌いの父をいかに説得するか考えていました。 案の定、朝になって母が寝室にいる父をおこしに行った際
枕元で、午前中に病院にいくことをいくら言っても 本人は聞く耳を持ちませんでした。 仕方がないので私が父を説得することに・・ 私が父の寝室を覗いたとき、父は、頭から布団をかぶり 「病院になんか行きたくない」!と必死に抵抗をしていました。 それはまるで、朝、学校に行きたがらない小さな子供のようだった。 やれやれ・・・ 枕元には市販の整腸剤の小瓶が置いてあるのが目に留まりました。 本人も以前から体の不調を感じていたのでしょう。 「ねえ、お父さん、買ってきた整腸剤ずっと飲んでるでしょ。
病院に行けば、もう少し効く整腸剤出してもらえるんじゃないの?」 「・・・・」 すると、今まで頭から布団をかぶっていた父は、急に起き上がり
リビングに行って朝ごはんを食べるために1階に下りて行きました。 それからが大変だった。 父は、気に入った服がないから着替えられないとか(?) 出かける前に保険証がないとか、色々なことを言い なかなか出かける準備が進みませんでした。 そのたびに母の文句を言う声が聞こえる。 父が病院に行きたくないので最後までグズっているようにも見えました。 結局、家を出たのが午前11時ぐらいになりました。 父と母は自転車に乗って出かけていきました。 近所の病院だから、午前中の受付に間に合うとおもいました。 2時間ぐらいたったころでしょうか。
お昼過ぎに、母が一人で帰ってきました。 「それで、お父さん、なんだって?」 「直腸がんだって・・」 「え・・・」
もう78歳になる父だから、何等かの病気であることは 覚悟していましたが、まさか「ガン」だったとは・・ 「治るの?」
「もうガンがかなり大きくて、お父さんの体力も相当落ちているから
お医者さんは手術しないって・・」
話をするうちに、母の目は、みるみる赤くなり
涙で潤んでいるように見えました。 父は病院で点滴を受けてから帰宅するとのことで 電話がかかってきたら母が迎えに行くことになっていた。 ・・・もうダメなのか
「どのぐらい持つの?」
「それがね、お医者さんが、明後日か明々後日に
お前にも病院に来てくれないかって」 子である私まで呼び出されるのだから決していい話ではないだろうと 察しはつきました。そうこうしているうちに、病院から電話が入り 母が父を迎えに行きました。 「ただいま」父のなんとなく弱弱しい声が玄関から聞こえました。
私は「お帰りなさい。」 とだけ言いました。 ガンという病名を聞いて少なからず私の心は動揺していましたが なるべく平静に装いました。 ・・・父に悟られぬように。 |
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久しぶりにブログ再開します。
今までは、自分のこと遊びのことを書いていました。
これからは、父のことを書こうと思いました。 ・・・残り少ない時間のために。 今まで病気ひとつもしたことがない父が ガンになりました。現在77歳。 3月30日、医師から末期の直腸ガンだと告知をうけました。
本人はまだ何も知らされていません。 1か月ぐらい前から、やたらとトイレに行くようになった父。
はじめは年だから、トイレが近くなったのかな・・ぐらいに思っていました。 それがだんだんひどくなり、朝も昼も深夜も15分に1度トイレに行くように。 深夜も起きて水をジャージャー流すので
母が眠れないと訴えるようになりました。
とうとう、トイレが間に合わず、下着やシーツを汚すようになってしまいました。 当然人間の排泄物なので強烈に臭います。 毎日、母が、父の汚れものの洗濯におわれるようになりました。 ただのお酒の飲みすぎで下痢ばかりしているのではなさそうでした。 「お医者さんに行ったら?」と私と母で優しく父に言ってみたのだけれど 父もプライドがあるのでしょう「どこも悪くない!」の一点張り。 しかし、とうとう母のストレスはピークに達しました。 「もういい加減にして!だったら自分で汚した下着ぐらい自分で洗いなさいよ!」 母がキレた。大声だした。 以前、祖母の介護で、ストレスのピークに達した母を見ていた私は これはいかんと思い、私は父のためというよりは母のために 父に強い口調でいいました。
「今日は土曜日だから、来週の月曜日、お医者さんに行きなさいよ」 「俺は何ともない、どこもいたくない。なんで医者に行かなきゃならないんだ!!」 父はかたくなに病院に行くことを拒否しました。 「何でもなかったら、15分に1回トイレに行って腹を下したりするものか!」
父はムっとしたままTVのほうに顔を向けたまま、私や母の顔を見ようとはしませんでした。 |
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