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ここまでで米国型経営は、日本の経営と比較した場合、極めて短期結果重視であることがわかる。こういう経営姿勢が商品やサービスにも影響を及ぼしている。今回は、米国型経営の脆弱性として、品質よりも目先の利益追求とものつくりの弱さを挙げたい。 1970年代後半に米国企業で経営戦略を実践していた三枝匡氏(現株式会社ミスミグループ CEO)は、70年代に住友と米国企業の合弁会社の代表取締役を勤めていた。彼はその時の米国の商品やサービスに関し以下のように述べている。 アメリカ人の経営スタイルは、自分の利益ばかりを主張して、短期間で非常にきつい要求をする姿勢で、私は合弁会社の日本人トップとして、日米の2つの親会社の間に挟まれて苦労しました。住友系親会社の人々は概しておとなしく紳士的で、アメリカ人がえげつなく要求してくるときには翻弄されがちでした。おそらく日米の通商交渉の場などでも、そうだったのではないかと私は推測しています。 それからアメリカ流経営における管理志向の強さ。細かい数字までチェックされ、日本の社長といっても、アメリカ本社に聞かないと何も決められない組織でした。社長らしいダイナミックな役割は回ってこなくて、本社に行けばただのミドル程度の扱い。経営者の面白さなんて、何もないと思ってね。そこらあたりでアメリカ流経営に対する私の見方は大きく変わったと思います。 これを読んでまるで今の自分の会社だ、と感じる人も多いのではないだろうか。視点が短期的で結果が優先であれば、当然数字への管理意識は高まるが、片方で商品やサービスの品質への優先順位は下がるだろう。当時、米国市場では、「ものつくり」そのものが育ちにくい土壌だったようだ。 70年代、まだ日本の経営に原初的な側面が見られた時期、日本の経済学者は米国型経営の信望者が多かった。「日本はおかしい、日本は変わらなければいけない」そういう声が学者から発せられる中、日本の現場を動かしていた経営者たちは総じて、「いや、ちょっと違うところに日本の良さがあるんだよな。」と首を縦に振らなかったようだ。 こうして、70年代日本を支配していた後進国のメンタリティーは徐々に払拭され、ジャパンアズナンバーワンの時代を迎えることとなる。
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■日本型経営
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これからの日本型経営の在り方を考えます。
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今回は米国型経営の脆弱性として組織の非継続性を考えてみたい。 これまで書いてきた高すぎる配当性向や短期リターン志向と関連性の高い脆弱性のひとつだ。 まだ、米国が繊維業や鉄鋼業といった実業で実績を上げていた1970年代に米国企業で経営戦略を実践していた三枝匡氏(現株式会社ミスミグループ CEO)は当時の米国企業の組織上の欠点を次のようにまとめている。 1.短期での社員の退職 2.グループでまとまった社員の退職 3.いい加減な引継ぎ このような環境の中で米国企業の効率性は日本より2、3割不利であったと述べている。今の米国企業でこのような慣習が改善されているかというと、決してそうでもないようだ。実際、上司と部下が複数でまとまって退職し、数か月後には全員が競合会社で働いているといったことは、今の米国企業でもよくあるケースらしい。日本から見た場合、米国は契約に厳しい国というイメージがあるが、先日のAIG破綻時のボーナス問題でも見られたように、米国企業は社員の就業管理に極めて大雑把であることがわかる。また、引継ぎがいい加減であれば、社員のスキルや情報を満足に蓄積することができず、社員が交代する度にやり直すという、極めて非効率な企業風土を持っていることがわかる。 米国の経済アナリストが書いた「ナレッジマネジメント」関連の書籍はいったい何だったのだろうか。単にIT関連商品を日本に販売するためのプロモーションだったのかもしれない。 実際に日本国内でMAを経験してみると、財務上の整理は比較的容易だが、働く現場では、「人を商品として扱う行為」に関し極めて多くの労力が必要なことがわかる。それは日本の企業が法的にも心情的にも人員をモノのように整理しにくい風土であること、ナレッジの引継ぎにも相応の努力をすることなどが要因だ。 少なくとも、米国企業が日本企業より効率的だ、と安直に評価することは危険だということがわかっていただけると思う。 米国は資本主義というルールで成立している。そして、資本主義を辞書で引くと、資本家が労働力を商品として買う、と書いてある。仮に人をモノとして扱うことが資本主義であるならば、米国企業の社員の短期流動と非効率性は極めて容易に想像される。それが企業の長期的成長性を阻害するものであるならば、米国企業が効率的、というイメージは真実ではなく、それを証明するような出来事が今、目の前で起こっているような気がする。 参考文献:伊丹敬之 |
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高すぎる配当性向はさらに新たな脆弱性を生み出します。その1つとして短期リターン志向が挙げられます。株主のが高い配当要求が結果として、短期でのリターン要求へと繋がっていきました。 企業経営において、「人と技術」、「お金」は重要な資源です。この2つの配分比率が経営の時間軸を決定します。これもとても簡単な話で、「人と技術」に資源を配分すればするほど、企業は継続的に成長していくことができます。 戦後日本経済が成長した理由は、「人と技術」に資源を配分できたからです。当時の日本での株主のステータスは極めて低く、株主総会の運営も含め経営者がその実権を握り、積極的に「人と技術」に資源を配分していました。明確な技術的目標と金銭的な余裕が、労働者の高いモチベーションを生み出したのです。経営者は銀行から円滑に資金を借りることができたので、株主は経営に口を出すことが困難な環境にあったのです。 現在、企業は株主のためか、社員のためかといったような議論がなされていますが、仮に銀行が安定的に企業に融資をすることが可能であれば、「人と技術」に資源を配分した方が企業が成長するのは明らかです。 ではなぜ米国企業は、高すぎる配当性向で 短期リターン志向なのか。それは、企業というものが元々資本家のために組織された団体だったからです。資本主義をYahoo!で辞書検索するとこう書かれています。 生産手段を資本として私有する資本家が、自己の労働力以外に売るものを持たない労働者から労働力を商品として買い、それを上回る価値を持つ商品を生産して利潤を得る経済構造。 つまり資本主義というのは資本家が主人公なわけで、米国は「資本主義でいきます」と宣言して資本主義をやっただけなのです。資本家が高い配分、短期リターンを要求するのは当然のことなんですね。資本主義では労働力は商品でしかないわけです。 では、戦後の日本の経済って何なんでしょうか?(笑) 当時、多くの米国の経済学者や経営者が、「日本はすごい、このままいくと米国企業がやられてしまう」そういう風に警鐘を鳴らしていたのも確かですし、「アジアの奇跡」と呼ばれるように多くの国家が日本の成長を予測していなかったのも確かです。 日本の成長性については追々分析するとして、引き続き米国経営の脆弱性について書いていきたいと思います。 参考文献:伊丹敬之 |
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米国経済が破綻の危機に瀕している現状において、「むやみに米国との比較において日本経済を語ってはいけない」この事を強く提唱します。むしろ今後の日本型経営を考えるときに、私たちが分析しなければならないのは、米国型経営の脆弱性です。 仮に企業の本業や日本型経営の強みが産業推進であるとして、産業での実態経済を見た場合、すでに米国経済は40年前に破綻の危機に瀕していた、と見ています。その寿命を今日まで延命させたのは、ご存知の通り金融ビジネスです。金融ビジネスそのものを否定はしませんが、昨今の投機的金融商品の流通は、米国経済の金融ビジネスモデルの限界そのものであり、日本がこれから目指す経営がそれとは一線を画する産業推進的なものであるならば、まず米国の産業が過去になぜ衰退してしまったのかを分析しておく必要があります。 しばらくそういった視点から、過去の米国産業の脆弱性について記事にしていきたいと考えています。まず米国経済の脆弱性の第一は、『高すぎる配当性向』にあると考えます。金融ビジネスでは米国の配当性向は際立っていましたが、すでに40年前米国で繊維業や鉄鋼業が中心だった時代から高すぎる配当性向に対し警鐘を鳴らしていた経済学者はたくさんいたのです。 これはとても簡単な話です。企業が長期的な成長性や競争性を維持する源は研究開発費です。未来に向け新しい商品やサービスへの投資をしなければ、企業の長期的存続は困難になります。けれども当時から米国企業は、この株主への配当性向に固執していました。おそらく米国企業の枠組みそのものが、株主に対し高い配当を提供する存在であったからです。 結果、米国企業は様々な産業において、成長のスピードを落としていくことになります。株主の短期的な利益を重視したために、長期的な研究に投資する資金が不十分で、研究開発費に潤沢な資金を割くことができた海外の企業に連敗していくことになります。 当時、米国から消えていった産業、繊維、鉄鋼、テレビ、白物家電、最後に半導体。そしてその産業を打ち負かした国家は「日本」です。 参考文献:伊丹敬之 |
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経営理念に、「顧客第一」と書いている企業が多く見られます。欧米型の資本主義に舵を取ってからこういう企業は急速に増加しました。けれども私は、この考えは経営的に誤りなのではないかと常々考えています。「顧客第一」というのは所詮マーケティング戦略の一部でしかない、というのが私の考えです。 |




