|
〔前篇〕に僕は、「芭蕉という求心力が亡くなってしまうと、蕉門には造反者が相つぎ、すぐにバラバラになってしまう。何せ強烈な個性を持つ者ばかり、各人には各人の面子、というか理論があったってことだ」と書いた。
そんなふうに、芭蕉の没後門弟たちは結束することなくそれぞれがそれぞれの道を歩みはじめる。そこへと至る経緯を〔後篇〕には書いてみたい(のっけからなんだが、巻末の「おわりに」で嵐山の手にまんまと乗ってはいけない…)。
まず最初に、芭蕉は第一線で働く、職業人だったという事実がある(忘れずに述べておかなくてはならないのは、彼の弟子衆に対する責任感の強さだ)。芭蕉には彼なりの(業俳、其角言うところの「詩商人」、らしき)思わくというものがあって、そのアウトラインに沿って彼は死につながる過程を行く。僕らにできるのは、その「過程」を追うことに留まる。
その前に…。ひとつショッキングというか、「寝耳に水」的な実話の報告がある。それは…。杉風のことだが、彼は聴覚障害者(これでは分かりづらいな。嵐山の書いたまま「聾唖者」で通しておくか)であった、という指摘だ。彼は生まれつき聞くことも話すこともできなかった。このハナシ、本当かなーと思ったのだが、竹内玄玄一の『俳家奇人談・続俳家奇人談』(岩波文庫)にもそれを裏づけするコメントがあり、どうやら正しい記述だったようだ。彼はそれで幕府御用達・魚問屋、鯉屋市兵衛としての、そして俳人・杉山杉風としての起き臥しを貫いたのだから偉いものだ。ちなみにその『俳家…』だが、比較的分かり易い江戸俳人たちの行状リポートと言え、俳諧のことを学ぶたちに広く、ぜひ読んでみて欲しい本だとお薦めしたい。芭蕉の「アルバイト」、河川工事監督の件にも触れている。
閑話休題。「芭蕉の思わく」のことに話題を戻そう。芭蕉は兼ねてから大坂(今の大阪)の蕉門をどうにかしなくては、と考えていた。単純に言ってしまうと、彼は大坂が大の苦手だったのだ。それは彼が日頃毛嫌いしている西鶴の地元だったから、ということであり、また「談林派の居城」ということでもあり、どうにかかの水都を彼が自在に操ることのできる地に変えたいと息ごんでいた。そこへ持ってきて、洒堂と之道の反目、という問題が浮かび上がる。それにかこつけて、芭蕉は手を打つフリで自分の影響力を試す。これは彼の生死を賭けた最後の事業だった。
洒堂は元々、近江膳所(おうみぜぜ)の人である。大坂にコマを進めたのは、芭蕉の差し金による行動だった。之道は、言ってみれば自分のシマである大坂俳壇をおびやかす存在、と、その行為を受け取り、脅威だ、と感じた。つまり、ここで芭蕉が取ったやり口というのは、彼の「マッチポンプ」ぶりを物語っている。それ程までに、彼は「死に花咲かせたい」と願っていたのだ。果たして「死に花」は見事咲いたのか。
芭蕉は発熱・下痢を押して洒堂と之道が同席する歌仙の指導役をつとめる。これがいけなかった。と言うか、なんで門弟たちの中で芭蕉の健康状態に注意を払う人がいなかったのか、僕は理解に苦しむ。
周囲の人間には、衆道寄りの仲であったことはバレバレの芭蕉と洒堂。美濃派の支考とか惟然とか、後世に名を残す人々もまじえて半歌仙を巻く、その面倒を見るまで、洒堂への「えこひいき」は続いた。ただし最後の歌仙・「白菊の」を巻いたのは更に日を置いた後の話である。
芭蕉の説によれば、飽くまで俳諧師の面目は歌仙・連句にあり、『ほそ道』のような紀行文・エッセイの類いは、作者の死後に読まれればよい。せっかく「秋深き隣」の名吟を得たのに、ついに芭蕉は病いに倒れる。茸の食べ過ぎと言われた痢病である。之道が洒堂への当てつけがましく意味不明の句を詠んだりして句会を荒らしたのも、もう過去のこと。芭蕉と洒堂はすでに「切れて」いたようだ。
芭蕉の臨終に立ち会った門弟連(さすがに本職は医師である者が多い。洒堂も医者だが、彼は所謂「ヤブ」だった)、名前の羅列で申し訳ないが、それを掲げてこの記事のしめくくりとしよう。木節、去来、惟然、正秀、之道、伽香、支考、呑舟、丈草、乙州。其角もぎりぎりで間に合った。辞世は世に知られた「旅に病で(やんで)夢は枯野をかけ廻る」である。
お終いに。末期まで芭蕉が主張した「軽み」の句作り。結局は誰にもついてこられる(其角や去来でさえも)ことなく終わった。芭蕉の短い生涯はまさしく「月日は百代の過客にして」であり、流浪は彼の本分だったのではないか。いざ死ぬという段になって長崎への旅を諦めきれぬ芭蕉であった。一句(蕉翁「軽み」の句に「梅が香にのつと日の出る山路かな」とありけるを)、
ざ つ と 来 て 紫 陽 花 お 色 直 し か な
めいべる堂余花二
音楽:MARION "THE PROGRAM" ジョニー・マーがプロデュースのブリット・ポップ。曲も共作したりしている。良いには良いのだが、一寸冗長なのでは? ということで、一巻の終わりなのでR。また。
|
ようやく出来上がりました。言わば「専門領域」なので、つい力が入り過ぎた。2回来て下さった方、ご苦労さまでした。俺の発句は、せっかくのジューン・ブライドの句だったのに月が変わってしまい、残念。来週ちと所用ありまして、土曜日(7月11日)の更新となるかも。それでは。
2015/7/3(金) 午後 1:02 [ 吉田ツグオミa.k.a.伊丹甚左 ]