ぴよピヨの仲良しリブレ

ぴよピヨと共に、世界中に仲良しの種を蒔こう!
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「宗教・信仰」の起源を知ろう!・・・
宗教という観念体系(秩序化された妄想)や信仰という架空の絶対性への帰依の淵源を知る上で、モーリス・コーンフォース「認識論」の以下の記述はきっと役立つと思える。
 

『人間の抽象的観念の発展に一つのきわめて重要な影響をおよぼしたものは、彼らの社会的諸活動のそのものの中にある相対的な無智と無力である。これはあらゆる種類の神秘的および幻想的な抽象的観念を発展させはじめる。

社会発展のきわめて初期の段階において、人々は、彼らにごく身近で、彼らが生きて行くのに必要な様々な過程の根底にあって作用している諸原因について考えはじめる。

たとえば、人々は穀物が成長し、動物が繁殖するのを見ると、これらの過程を促進するためには彼ら自身は何をしなければならないかという事に気が付く。だが彼らは、これらの根底にあって作用している諸原因がわからず、それに気づかない。彼らはまたそれらを統御するにはきわめて不適当な手段しか持っていない。そこで彼らは、目に見えない力という概念をつくりはじめる。

たいていの原始人たちは、人間や動物や様々な事物のなかにひそんでいる秘密な力という概念をもっており、これを彼らは、感覚では知覚できないが、それにもかかわらず総ての感覚できる事物に浸透してこれを支配するあるもの、とみなしている。

こうして北米土人部族は、この力をワカンダ(WAKANDA)と呼んだ。そして彼らの長老の一人は、彼らを訪れた人類学者にその観念を説明しようとして、「ワカンダを見た者はまだ一人もない」と言った。この型の抽象的観念から、宗教や神学の抽象的観念が発展する。』

 

『たがやされた畑は、我々の感覚に与えられる実在の観念であるが、その畑の所有という観念は、直接に知覚できるどんな対象もそれに対応しない抽象的観念である。同様に、その畑の生産物は具体的な知覚できる実在である。我々は、たとえばそれを食べることができる。だがその生産物を手に入れる土地所有者の権利は知覚できない。

しかしこれらの抽象的観念は、ある現実の客観的なもの・・・すなわち、社会的生産の進化の一定の段階において打ち立てられた生産諸関係の観念的反映である。』

 

以下は私・・・

貧困などの金銭的・病気などの肉体的・人間関係などの環境的なもの・・・こうした人間が暮らす現実世界から生じる様々な苦悩を克服するための一助となる精神的解放=観念的な処置として信仰と言う処方箋が様々な宗教団体から人々に配られる。だがもちろん、こうして受け取る「良薬」なる苦痛緩和剤の正体は、マルクスが指摘したように「阿片」であるか、あるいは「プラシーボ効果」しか望めないインチキ薬なのである。

しかしもし私たちが「科学的なものの見方・考え方。科学の方法」を学んだ現代人(いや!近代人)を自認するなら「宗教や信仰」あるいはそれに類する「諸々の詐欺被害」を免れることができるはずなのである。

私たち国民は、中毒性・依存性が顕著な「阿片」や、思考力の衰弱した老人たちだけに「効果を発揮する」無意味なプラシーボの罠に落ちこまないように注意して生きてゆかなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『性つたなく不具に生まれし我が子をおもう母の愛は、全世界を睥睨する君子の仁政よりもなお神の心に近い。このことがおわかりか! このことがわからずしてあなたは宗教家の名に値しない!』
細部において間違っていたらごめんなさい。これは「邪宗門」の中の言葉です。
この高橋和巳の瞋恚の叫びを・・・権力に寄り添い金儲けと名誉欲にうつつをぬかす現代新興宗教のトップ、及び舌先三寸の為政者どもに「女性活躍社会」などとおだてられ母性喪失著しい現代の母親たちはどう受け止めるのか。
高橋和巳のこの叫びは、1、現世利益を掲げて堕落し続ける日本の新興宗教 2、国民の無思想、軽薄、の象徴であるがゆえに高い支持率を得ている腐敗政治・・・つまり「この程度の国民にはこの程度の政治で十分」という安楽椅子に寝そべっている権力者ども 3、母の愛を全身に浴びて成長すべき短い期間すら剥奪し、幼い我が子を保育園に預けて、身軽になった自身は髪と爪を染め、仕事のできる女を自認して過剰な自意識をふりまきながらキャリアを気取っている「不在の母性」、にたいする糾弾なのだ。
 
もう近々このヤフーブログも終了との事だし、冗長な私の文章はいつも嫌われているのでこの辺で打ち切るが、最後に高橋和巳の言葉を再び引用して幕を閉じる事にする。
 
『・・・残念ながら、過去の蹉跌を切断することによって現在の苟安をむさぼろうとするのが戦後を主導した日本人の態度であった。だが私は強くその態度を嫌悪する』 高橋和巳著「堕落」初版あとがき、より引用。

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自民党の体質的変貌・・・つまり宗教政党化について

「呑み込みやすい <悪> を見つけて、それと一緒に過去を切り捨ててしまうこと」

宮部みゆき 「楽園」より・・・この方法は政治の世界では極めて有効であり、危機の時代を乗り切る常套手段として繰り返し採用される。


わかりやすく食いつきやすい「悪」という標的を指し示し、政治・経済・社会に対する国民の不満と怒りのホコ先を「悪の打倒」へと誘導してやることで政権批判を回避する。

たとえば小泉政権では「抵抗勢力」という「悪」をしつらえる事で政権批判を緩和し、民営化路線つまり「巨大資本の欲求=自由化」を国民に追認させる事にも同時に成功した。


しかしこの自由化こそ労働形態の自由化、つまりアメリカの新自由主義に盲従しただけの雇用形態を呼び込み、その結果日本に「非正規・低賃金・不安定雇用」という劣悪な労働環境が定着し、今日の大問題=少子化の第一原因をつくったのであった。

つまり小泉氏の仕掛けたワナに私達国民は見事にはまり込み、大損害を被ったわけである。


そして今日、国民に受けそうな「悪」を設定するこうした巧妙な政治手腕は、小泉政権から安倍政権へと正確にバトンタッチされている。小泉政権の後継者=安倍政権では、国民が同意しそうな「悪」の設定が「抵抗勢力」から「中国・朝鮮」に変更されただけだ。


この新しい設定は、戦前〜戦中〜戦後も一貫して変わることなく底流し続けている日本国民の意識・・・アジア蔑視というやっかいな選民意識の上に座ることの心地よさを提供するだけに、極めて安直なポピュリズムに結びつきやすい危険なものだ。

日本国民が畏敬している東大でさえ、その学力レベルはアジア第7位でしかない事実と照らし合わせるだけでも「アジア蔑視」が如何に根拠のない思い上がりであるかは明らかなのに。


国民は、小泉氏の奸智を極めた詐言に乗せられて自らの首を絞めた過去を心に刻んで、アノ「抵抗勢力」よりも数段階警戒レベルを引き上げ、安倍氏のプロパガンダ攻撃を迎え撃つ覚悟を持たねば、過去の蹉跌はより大規模な被害を伴って再現されるだろう。


総裁選にまつわって今朝放送されたNHKインタビューでも、批判を嫌悪する安倍氏の性格はハッキリ示されていた。

しかし世界を見回せばすぐにわかるように・・・批判に過敏な不快反応を示すのは、独裁政権に共通しているということだ。

民主主義は、言論の自由(言論の修羅場)の中身である批判と反批判の活況と喧噪の上にしか成り立つものではない。従って言論の応酬に対する嫌悪は、民主主義への嫌悪以外のものではありえない。そして同時に、批判や論戦への嫌悪は、仮説と実証(実験)の反復によって前進し続ける科学史(その汎用としての人類史)の否定であり、それはつまり根拠なき(論証なき)崇拝対象に屈服する宗教の非論理や不毛と重なる。

こうして自民党と創価学会の蜜月および体質的同化は継続する。


大企業の政治部門として経済を牛耳る自民党。トヨタ自動車の総資産をすらすでに上回った資金力でマスコミを支配する創価学会。この両者が結びつき日本を支配し続ける事は「この世は金が総てである」という認識が真実であるということを完全に裏付けている。

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 闇世界の一隅に突き刺さる閃光、あるいは晴天の霹靂、森友事件
政府と官僚組織が共謀して情報開示を拒み続け、事実を秘匿し、国会で虚偽の証言を繰り返し、公文書を改ざんして、国民に知られると極めて不都合な、政府中枢が深く関与する不正行為を徹底的に隠し通そうと謀った一連の事態が森友事件である。この事件が示す看過できない本質は、政府がウソの情報を公表すればマスコミはそれを「最も信用できる客観的事実」として疑問符を省略したそのままを国民に伝え、国民はこのウソの「事実」を100%信用してこの「事実」の上に自らの認識を築き、この誤った認識を基にして判断・行動(主権行使・投票)を行ってしまうという点だ。
ウソで国民が操られる事、つまりウソで政権を握ることができてしまうこうした正解の出ない虚構の方程式は、何の手加減もなしに日本列島を戦前・戦中社会に雪崩れ込ませる危険なものだ。政府=軍=宗教=マスコミ、の結託から生み出された組織的なウソが、国民を「自発的な死の行進」へと誘い出した歴史の教訓を忘れてはならない。
すでに人命まで失われている今回の事件は、国民主権や民主主義の根幹を成す「国民の自由意志」を合成するための素材(判断材料)が「虚偽の事実」の流布によって簡単に歪められてしまう事を意味している。民主主義という外面を残したまま、民主主義の土台を知らぬ間にシロアリが食い尽くしてゆくようなこうした手法は安倍政権に特徴的なものとして他の分野にも使われている。例えば・・・「自由な売買・市場原理」という資本主義の自然な景色を残したまま、この「自由な売買」を逆手にとって日銀とGPIFを使った株の大量買いで株価値上げ操作に狂奔しているのはその典型といえる。
この状況は、日本の株価は日銀とGPIFによって「意図的に高値入札された、つり上げオークション価格」という演出から生み出されている捏造された数字にすぎないことを物語っている。
また、沖縄の名護市長選挙や原発問題で露骨に示されたように、米軍事基地承認・原発再稼動という政府方針をおしつけるため、大金をばらまいて本当は誰も飲みたくない苦い酒を無理やり地元民に飲み込ませた卑怯な手口にも「選挙民の自主的選択」という清めの塩が用いられる。しかし事実は、隠しようもない「買収」である。

悪徳・背任・金権・卑劣・腐敗・悪辣・二枚舌・鉄面皮・偽善・俗物・無慈悲・詐言・堕落・醜悪・厚顔、・・・
これらの汚物はすべて「自民・創価・維新、連立政権」の属性である。
この政権は「国」を守ることにはやぶさかではない。なぜなら彼らが楯に用いている「国」とは権力機関である自分たちそのものだから。ところが彼らは「国民」を守ろうなどとは露ほども思っていない。なぜなら「国家」にシンボル化された彼ら権力者の利益は「国民」の命や利益を蹂躙することの上に成り立っているのだから。
もし仮に、「自民・創価・維新、連立政権」が、本気で国民を守ろうなどという「大きな過ち」を犯せば、彼ら「国家」側の権益を守ることはできなくなってしまう。「国家」とは対極の側に居るいわば「赤の他人」にすぎない国民を守ってやるために誰が本気で自分たちの権益を放棄するだろうか? 「国家」側に、そんなお人よしは一人も居ない。森友事件等々の身内の醜態を、国民という「赤の他人」に知られまいとするのはもとより「国家の本能」によるしわざなのである。
「国家」と「国民」・・・その利益は相互に交わることの無い対抗関係にある。73年前に大日本帝国という権力体系が崩壊したおかげで、多くの国民は命と財産を救われた。もしあの時、日本の国家が延命していたとすれば、日本人の戦争犠牲者は300万人では到底おさまらず、死者・負傷者は無残に膨張し、国民の不幸はおびただしい追加メニューを強要されていたであろう。
大盛り・特盛の不幸が国民の口にねじこまれ、国家の存命と国民の死が予約される運びだった。
そして今また、外交という仕事を拒絶した「自民・創価政権」が書き上げたシナリオに沿って・・・世代交代した「鬼畜米英」からバトンタッチされた悪役をキムジョンウンが受け継ぐことで日本の新たな戦争準備が予定通り整えられて行く。国から国民を守る事の重要性とその難しさをしみじみ考えるこの頃である。

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斜陽国日本、その傷ましい現実。2018年所感・・・
「ニッポン、スゴイデスネ〜」「ニホンジン、エライデスネ〜」・・・などと外人に言わせて日本人の自信と誇りを回復させようと企画されたテレビ番組が妙に増えている。
こんな作為的な慰撫番組を放送しなければならなくなっている現実。失われた自信と自尊心をこんな番組を観ることで回復させようとしている国民の哀しい心理状態にこそ逆に、日本人の自信のなさと日本の斜陽がハッキリと読み取れてしまうのは皮肉と言う他ない。
企業・政府・マスコミはこぞって「明るい日本・希望の持てる未来」というイメージを国民に植えつけ、国への信頼と安心感を芽生えさせようと努めている。しかし彼らが描き出す虚像の日本を、私たち国民はその通りに信じていてよいはずがない。

文科省が公開している国民一人当たりのGDP59カ国中44位・・・政府の透明度24位、情報通信技術の普及26位等々、多様な項目の総合点として「日本の国際競争力、ランキング」は27位。
そして教育水準は36位となっている。確かに日本の教育レベルは劣化著しく、今や世界順位としてはほとんど比較に値しない「蚊帳の外」にはじき出されている。
アジアだけに地域を狭く限定すれば、やっと東大が7位に顔を出しているだけという惨状。日本の上位にはシンガポール・中国・香港・韓国などの一流大学が名を連ねているという具合である。
林修さんも「今の東大なんて、ぜーんぜん、たいした事はない。世界でも通用する本物の秀才は東大生の内、上位わずか数%だけ」と警鐘を鳴らしていたのが記憶に新しい。また以前、東大から米ハーバードに留学した経験のある中谷巌さんは渡米後、国際基準とローカル基準の余りの学力差と勉強量の違いに狼狽し、これが同じ先進国の大学なのかとその顕著な知的格差を痛切に思い知らされた、というような感想を著書に記されていた。
日本のテレビでは芸能人までもが高学歴を吹聴しあったり、クイズ番組などで現役東大生が自身の記憶力に慢心しているような姿をしばしば見かけるが、「掃き溜めに鶴」の居心地の良さに安住する事の醜さにも思い至るべきではないか。
島国特有の温厚さなどの良い部分はグローバル金融資本主義という荒海の浸食作用で急激に破壊されたその一方、島国特有の偏執な近視眼は消えることなく残り続ける。

もうすでに現時点では日本のGDPは中国の半分にも満たない44%しかない。
しかも日本経済は過去20年間も横ばいが続いているが、その同じ20年間に諸外国は経済規模を1,5倍から2倍に拡大している。
そして最近、政府・マスコミがさかんに宣伝している「日本企業の業績向上」とやらも、その実態は絶対量としての富は決して増加したわけではなく、政府の円安誘導策の結果、帳簿上の売上高や利益が増えただけにすぎない。
また、みずほ総研によると、日本が10年以上前に1位を誇っていた企業の改革力ともいうべき「イノベーションランキング」が2016~17年では8位に後退し、「イノベーション能力ランキング」に至っては最近21位にまで急落している。

苛烈な階級社会である資本主義という一つの時代を通過するその最終ラウンドとして、今日の世界はグローバル金融資本主義・新自由主義という破滅的な局面に突入したが、その一つの結果として、世界の上位8人の資産合計が下位36億人分の資産合計に等しいという衝撃的な不均衡が生じている。
「貧しきを愁えず、等しからざるを愁う」と感じる、人間の素朴な平等指向にそむくこの不道徳・不健全な分裂は、紙幣というシンボル的価値が交換価値としての機能を失って無意味な紙くずに変貌し、ドル体制という支柱と世界金融資本主義の大屋根が時を同じくして大音響を発し倒壊するその日までは、深刻の度合いを加速させてハサミ状にひたすら広がり続けるだろう。
当然この怨めしい貧富の分裂は日本列島にもすさまじい勢いで拡がっているわけで、金融資産(預貯金)ゼロ世帯が今や30%を超えるという不幸な事態を生み出し、2009年ですでに10%だった貧困率が最近の数字では15%超にハネあがっている。
ちなみに、日本の貧困率の高さは42か国中12位。先進国30か国中では4番目に高い貧困率だ。子供の貧困率では41か国中、悪い方から7番目!
この貧困は・・・わが国の愚かな小泉純一郎総理がアメリカ新自由主義を安易に模倣して日本に取り入れた事で、一気に拡大してしまった「非正規・低賃金・不安定雇用」が今では日本の全勤労者の40%超にも達し、その結果最近の数年間で実質賃金が4%下落し、97年以降では15%も下がっているという悲惨な状況がもたらした必然と言える。

こうした国民生活の窮状は家族構成にも異変をもたらしている。昨年末新聞が報じた「国民生活基礎調査」によると昭和60年と比較して「夫婦のみ」家庭が19%31%へ、「親と未婚の子のみ」が10%20%へ、「一人暮らし」が12%27%へ顕著な増加を示している。
安心して結婚し、希望を持って子供を生み育て、余裕を持って老父母を養う、安定・充実した経済環境が日本では急激に失われつつあるわけだ。
「恒産なくして恒心なし」であり「貧すれば鈍する」でもある。まず経済的環境が整わなければ精神の安定を求めるのは無理というものだ。これが国の斜陽、日本の危機でなくて何であろう!
政府の円安誘導や労働人口減少などが災いして、生活必需品の値上げ予告が相次いでいるという報道が年頭から流れている。こうなれば実質賃金はさらに低下するだろう。
企業向け貸出金利を抑えるという企業優遇策のとばっちりを受け、国民のわずかな預貯金に金利を払わないという日銀黒田の「ゼロ金利策」の長期化とあいまって2018年も私たち勤労国民にとってだけ!はつらい1年になりそうだ。

あえて言わせていただくが・・・強大すぎる日米の軍事力にとって北のミサイルなど何ら脅威に該当しない。(正直な麻生さんの言葉通り、北朝鮮のおかげで自民党は昨年の総選挙に大勝できたのだ。ミサイルショーは安倍政権にとって僥倖以外のものではなかった)
政府が、このミサイルによる「日本の軍事的危機」なるものをマスコミに演出させているのは、上述のような「深刻な日本の国内的経済危機」と「勤労者家計の危機」に国民自身が気付かないよう仕向けるためである。ついでに「ニセモノの外圧危機」ではなく「本当の日本の内部危機」を別の切り口からも摘出しておこう。

「信用第一・品質重視」を貫いてきた「メイドイン・ジャパン」がグローバル化と新自由主義の津波に襲われることで、企業は自己のスタンスを見失い自律神経を滅ぼした。
こうして過去に築き上げた信用は帰らぬものになってしまった。
「お金は損をしても一生懸命働けばまた取り返せることもあるが、一度失った信用は二度と取り返せない」という格言を小商人はいつも自らに言い含めているが、日本の大企業にとってこんな陳腐な戒めなど「洟も引っ掛けない」かのようだ。
それが耐震計算偽装・産地偽装・ホリエモンに象徴される粉飾決算不正経理の横行やデーター改ざん、等々、企業モラルの喪失が・・・神戸製鋼、東芝、日産、スバル、三菱自動車、三菱マテリアル、富士フィルム、東レ、三井住友建設、東洋ゴム、日立エレベーター、オリンパス、他で次々発覚し、また一方では・・・アリサンマークの引越社、和民、パナソニック、NHK、ヤマト運輸、ゼリア新薬、電通、いなげや、大和ハウス、三信建設工業、セシルマクビー等々、数多くの驕慢なブラック企業が跋扈する日本社会をつくり出して行く。
紳士ヅラした大企業のトップも一皮むけば経済ヤクザと変わらない。人間の心を持たない資本の権化にすぎないこうした黒い紳士連中が采配する大企業が日本経済の中枢を牛耳っているのである。これこそ「ミサイルショーという漫画的危機」ではなく「日本経済の腐朽という写実的危機」である。
そしてこうした黒色大企業の株価をつり上げるためだけに公金をメチャクチャにつぎ込んでいるGPIFと日銀が今やそれぞれ、一部上場企業全体の筆頭株主と2位株主におさまってしまうという、世界に類例の無い不名誉で非常識な市場操作が日本では常識になってしまった。これが「自由主義経済」だと居直るのだから、もう笑うしかない!
政府が市場に介入する「自由」! 政府が市場を操作し、官製相場をつくりだす「自由」!
公金でリートを買いまくり、不動産価格をつり上げる「自由」!
政府赤字国債と日銀印刷紙幣の直接交換を繰り返し、金利をゼロ化する「自由」!
まさに弁護の余地の無い日本経済の「腐朽と堕落」である。
そしてこんなデタラメがいつまで続けられるか、これは結末が楽しみな興行でもある。

しかもここでどうしても言っておかなければならない事は、こうした「日本の危機」が露見するのは極めてまれなことであり、そのほとんどは外部に漏洩しないまま地下潜伏化しているという慣性的事実だ。
つまり政治・経済・社会全般に慢性化している日本の腐敗・堕落・謀略・術策の大部分は、国民が到底知りえない堅固なブラックボックス内に閉ざされている。政府にとって不都合な情報のほとんどから国民は見事に疎外されている。この事は逆に言えば、テレビや新聞やパソコンなどを通じて私たち国民が知りえる範囲のものごとに本当の大切な情報は含まれておらず、国民が耳目に接するほとんどは公開されてもなんら不都合ではない秘密性の希薄な情報ばかりが流通しているに過ぎないわけだ。国民はこうした重要度の低いありきたりな情報を掬い取って、淡白な上澄み液のような思考を築いてゆく。

このように国民に知られてはならない情報の一元管理は政府にとっては非常に重要だ。重要秘密が国民側に流出することは政権にとって致命傷となる。だからこそ政府は、多くの国民や言論人・知識人の声に背を向けて「秘密保護法」を強行成立させた。
日本の「報道自由度ランキング」が、1位のノルウェーから最下位180位の北朝鮮までの中で何と72位という恥辱に甘んじなければならないのは、こうした日本政府の秘密体質の悪しき伝統が世界のジャーナリストたちに強い不信感を抱かせている証拠であろう。ちなみに72位という不名誉な日本の情報秘密主義はG7中の最悪国であることは言うまでもない。ここにも「日本の本当の危機」が民主主義を脅かしながら立ちはだかっている!
政権にとって不都合な事実は総て、「記憶が無い・記録が無い」の一言で追及を逃れる。
私たち民間人が罪を犯して警察・検察の取調べで「黙秘します・記憶が無い」と言い張っても「状況証拠」で有罪になるが、権力側の犯罪では起訴もされず、告訴さえ受理されない。「沖縄返還時の日米密約」では政府のウソを国民に知らせてくれた記者が逆に裁かれたし、ミサイル搭載艦「たちかぜ」での「自衛官イジメ自殺事件」でも自衛隊は「記録が無い」と200点以上の資料を組織ぐるみで隠し、裁判所をだましていた。もちろんこれらは氷山の一角にすぎない!

民主主義の前提、公平な選挙の前提である情報が国民に公開されず、政府側に都合の良い情報、あるいはせいぜい政府にそれほど大きなダメージを与えない程度の情報のみが公開され、国民はこうした黒塗り情報だけをたよりに「主権在民」を信じて投票所に向かう。
どのような情報が隠されているのかは不明だが、とにかく何らかの重大情報を国が隠蔽している事だけはハッキリわかった先の大戦中の「黒塗り新聞記事」「弁士演説中止!」「発行禁止」の方がまだしも正直だった。
高市総務相に「電波を止める」と脅されなくても、政府や財界に嫌われるような放送は先に自主規制してしまうのが大企業のCM料で生かされている民放のアハハ「忖度」なのです。
私たち国民は「井の中の蛙」・・・狭い井戸の中をピョンピョン跳ね回る「自由」に満足し、暗い井戸の底で目に映る範囲の情報だけを得て総ての物事を判断している。
井戸の底では日本の危機(地上の危機)を知るすべも無い・・・そしてこのこと自体も日本の危機・・・つまり自由と民主主義の崩壊を示していることは絶対に間違いない。

日本の国民が本を読まなくなり、(特に重厚な内容の本を敬遠するようになった事)パソコンやゲームに多くの時間を費やすようになってしまった事、漫画が若者文化と言われるほどにまで市民権を得てしまった事、などが大切な情報から国民を疎外し、深い思考力が表皮的感性に置き換わり、若者の保守化を招いていると私は思っているが、これを書くと長くなるので次の機会に譲りたい。

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NHK受信料契約のギマンと資本主義の欺瞞
NHK受信料強制が合法との最高裁判決が出た。
受信料契約が「契約」である以上、それは当事者双方の自由意志による合意にもとづいて結ばれるべきだと私は思うのだが、最高裁は違う認識を示した。
以前、何かの本で見かけた「契約自由の原則」とかいう文言が、つたない私の記憶には残っているのだが・・・
テレビがぜいたく品などと考えている人はこの国には多分いないはずなのに、しかも倹約して安売りの小型テレビを買ってきても、テレビを据えた瞬間からNHKへの支払い義務が課され、結構高い受信料を毎月強制徴収されることになる。
私はNHKの放送内容に関しては民放の及ばないしっかりしたモチーフが感じ取れる良質なものも散見できるので一概に「国営放送」だと全否定するつもりはないが、それにしても一日当たりの番組制作費が13億円(ちなみに朝日放送では4000万円ほどということだ)と聞けば心に波も立つ。
「受信料という金が惜しくばテレビを買うな! 買うも買わぬもお前たち消費者の自由じゃないか?」と攻められでもすると私は一瞬「そうかな・・・」とひるんでしまうかもしれないが、やはり「それはギマンだ!」と反撃したい。
それは以下の理由による。
国民の大部分をしめる私たち勤労所得者は自分の会社や工場を持っていないので、生きて行くためにはどこかの企業(資本)に雇われて働くしかない。
たしかにどの企業(資本)と雇用契約を結ぶかは私たちの自由意志(この自由意志がかなえられるかどうかは別として)なのだが、しかし何度この「自由」意志を強調されたとしても不労所得者ではない私たちは「絶対に!」どこかに雇われて働かざるを得ないのだ。生きるために! 
つまり職業選択の「自由」は建前として認められているだけで、実際には「死にたくなければ働け!」という婉曲的な「強制労働」の類語だと言えるのではないか?
NHKと契約しない自由が、テレビを買わない「自由」に狭められてしまえば、こんな「自由」は事実上ないも同然だ。
テレビを見るつつましい楽しみまで「自由」の担保にされてしまうなんて御免こうむりたい。(蛇足だが・・・非正規、低賃金、不安定雇用で貧しい暮らしを維持している私と、最高裁判事などという最高の頭脳と名誉に恵まれた方々の支払う受信料が「同じ」というのは「公平」なのだろうか?)
この社会は、不平等・不公平・不自由を覆い隠すための様々な華やいだ言葉の修飾に満ち溢れている。「あらゆる土地は所有者につながれ、そしてお金は主人を持たない」と言われる土地の私有制とお金の自由奔放性(非道徳性)が、一方の極への「金が金を生む=不労所得」の際限なき肥大化と集中、そしてこの偏向した肥大化と集中の必然的な帰趨として広範囲な貧困が対蹠的に発生する。
幸福と不幸は水と油のようにハッキリした境界線(この境界線は商品経済を貫徹する法則に由来して出来上がってしまった)で分離されている。
ある一部の人々には幸福ばかりが・・・そして他の多数の人々には不幸ばかりが舞い込む仕掛が現代社会にはたしかに存在し、それが意地悪く日々「正常」に機能しているというわけだ。この仕掛は「自由」や「平等」をポジティブに謳いあげる資本主義という経済システムの奥深くに巧妙に隠されている。
この仕掛が解明できず、様々な経済指標や数字のデーターばかりをいじくりまわして講釈しているような人たちを、経済学者と認めるわけにはいかない。
彼らは当世、政治の世界ででしゃばっている軽薄な「状況論者」と洞穴のつまらない人たちにすぎない。
「声の大きい人」ばかりが意見を通す世の中であってはならないのだが・・・

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日本の平和憲法を「占領軍憲法」「マッカーサー憲法」などと嘲罵して「自主」憲法とやらを目指している当のご本人たちが、現実の外交では「金魚のフン」と揶揄されるほど「自主」性を失って米に盲従している姿は奇怪という他ない。
何事においてもオリジナリティーのないものはダメである。
日本の外交も少しはオリジナリティーを追求すべきである。
アジア諸国を睥睨する「不沈空母」として日本列島を利用してやろうする米の軍事外交路線の尻馬に乗ってはしゃいでいる自民・創価政権の外交ベクトルを180度転換すべし!
同盟国だけがテーブルにつく「仲良し外交」は「無能外交」の同義なのだ。それと正反対に、危殆な敵対国関係の渦中に友好の架橋を築く事こそが高次元な外交手腕であり、政治の華なのだ。これが理解できないようでは政治家の資格を失う。
北朝鮮の世襲3代目と日本の世襲3代目がミサイルと制裁で馬鹿さ加減を競い合う姿ほど醜悪なものはない。
日本は過去の戦争加害を真摯に謝罪し、北朝鮮は人道に背く拉致を素直に謝罪するという正常な当たり前な関係をつくる事こそが、尊ぶべき外交努力というものではないのか?
子供じゃあるまいし、「仲良しグループ」だけでワイワイ盛り上がり、「気の合わぬ奴」とは口さえ利かぬ。これでは何の進展もない。自主憲法をいうなら、日本はまずアメリカから独立した自立国家を建設するのが前提ではあるまいか?
拉致被害者家族こそ、北朝鮮と正式な国交の樹立を日本政府に働きかけるよう圧力を加えるのが本筋だと私は思っている。家族と再会できるルートをつくる事を優先せず日米軍事同盟に北とのケンカをけしかけるような行動が事の解決に寄与するかどうかを、自分の頭で冷静に考えるべきであろう。
繰り返して言っておく。「オリジナル」と「金魚のフン」は両立しない!

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2000万の外国人を殺害し、300万の邦人を死なせた戦争はもう絶対イヤだ!
日本人は今後一切、戦争などしない! という誓いを立て、平和国家への強い意志を全世界に示したのはわずか70数年前の事ではないか。
そして戦争という大規模権力犯罪の被害者たる満身創痍の当時の国民の各々がそれぞれの苦難に満ちた戦争体験を経て衷心から渇望した平和への熱い願いの最大公約数が平和憲法に昇華したのだった。
ところがその後わずか70余年にして日本人は今、何のためらいも無く、憲法的理性、つまり時代を超える普遍性を啓示している理性を冒涜し、払拭されたはずの忌まわしい過去へ向かう国民総転向を開始しようとしている!
当時の権力人に煽られるまま「日本は神国!日本民族万歳!」と熱狂して戦争にのめりこんだあげく、1945年の夏を境に突如「アメリカは偉大なり!マッカーサー万歳!これからは民主主義の時代だ!日本の夜明けだ!」と叫んで豹変し、更にエコノミックアニマルなどと揶揄されながら「にわか成金」のパイオニアとして世界に名をとどろかせた日本人。
そして今回は又、安倍を首謀者とする新興宗教右翼政権の戦争政策および、北のミサイルショーに便乗してマスコミをフル動員した戦争宣伝にけしかけられて「平和憲法など時代に合わぬ!」と叫びながら旧時代への復古主義に心を奪われてゆく人々の群れ。
日本人とは、自己を係留すべき理念を持たぬこれほど無節操な漂流思想(状況論者)の民だったのだろうか?
同じ戦争犯罪を共有したドイツとは異なり、歴史に対する深い反省など一度もしてこなかった日本人たちは過去の蒙昧と蹉跌を今再び繰り返そうとしている。
高齢の戦争体験者たち、とりわけ海外派兵軍属たちの死滅期(自然な口封じ)を境にして日本の戦争史は国家の意向に沿ったものへと大幅に編集しなおされてゆく。こうして改ざんされた日本の近現代史の上に野蛮な未来が構築されてゆくだろう。
もうここまで来てしまえば、再度の破滅を体験し、この上ない辛酸をなめることによってしか日本人の自己批判は始まらないだろう。この国の精神状況は今まさに末期症状に陥っている。そしてこのことの自覚すらない者たちの病状こそ、まさに重篤の極みなのである。
不労所得の著しい肥大化=金融資本主義のシステム的崩壊と相前後して勃発する戦争が、人類史プログラムの予定通りに幕を開けることになる。

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牽引されて行く国民が、その行き着く最終目的地を知らされぬまま「自民・創価政権」や「維新の会」に支持を与え、自己の運命をこうした為政者たちに信託している次第は「盲人ヘビに怖じず」を地で行くような剣呑な状況であると言える。

貨物列車に押し込まれアウシュビッツという死出の旅にむかうユダヤ人たちを彷彿させる傷ましい状況が日本で生まれようとしている。私たち国民が歩む荊棘の旅は、アウシュビッツではなく「日本の経済財政破綻と、その結果としての再戦争」へ到着するだろう。
囚われの身の上に降りかかる酷い運命を悟っていた当時のユダヤ人たちに比べ、今日の大部分の日本人は自らの運命にあきれるほど鈍感であり、「安倍復古政権」に連れ込まれた貨物列車の一隅では何を錯覚しているのか楽しげに笑いざわめいている人々すら居合わせる始末である。

過去の戦時体制へと時代を遡行してゆく日本の不幸な未来を「知らない」、つまり我が国の進路を知らないということは、それを「知ってしまう」までの、消費期限の短い呑気な幸福感を味わう事を主観的には可能にする。
この危殆な時代に「楽しげに笑いざわめいている人々」・・・「極楽トンボ」とはこういう人々とその短命な幸福感を指す言葉だと言える。

政府・日銀・GPIFが一体となって仕組んだ満艦飾=「日本の演出経済」も、やがてそのメッキがハゲ落ちて、凋落する実体経済の下地が姿を現す不可避な時の刻みを停止させることはもう誰にもできない。
緻密な虚構の完成度が美学的な意味を持つ文学の世界とは異なり、経済分野に発生させた人工蜃気楼(幻視装置)は国民の人生設計を大きく狂わせる元凶だ。
経済上の数字を捏造するため市場の自由参加に仮託して国が介入し、巨額の公金を投下して相場を誘導し、また、自然な経済の動きを封印して実体と離れた虚像をつくりあげる官製経済の蔓延は、早期に剔抉すべき経済の病根(宿疾)を覆い隠す副作用を生み出しその結果、処置の遅れにより病膏肓に達する事態に至らしめる有害極まりない経済下策だと断定せざるをえない。

金融緩和で円安をつくり、財政ファイナンスで国債暴落=金利急上昇をフリーズさせ、相場操作(主催者と示し合わせた高値入札を繰り返してオークション価格を釣り上げるのと同様な手口)で株高を演出する。
目先の世論に浅はかな色目を使うためだけに実行されている「自民・創価政権」の手によるこうした演出経済の数々は、日本の実体経済と財政に大きな禍根を残す事と引き換えにサプライズされているものでしかない。
政府が狂奔する演出経済は、連続赤字決算企業が当座の延命策として銀行から追加融資を受け取る為、ペーパーカンパニーを使った三角取引や融通手形の乱発や架空売り上げの計上を常態化させるのと同レベルな「不法行為」=「粉飾経済」に匹敵する。

継続的赤字体質を脱却できぬまま、すでに大幅な債務超過に陥っている「死に体企業」がこうした手口で銀行をダマして、とりあえず今期の倒産を免れたとしても、来期の債務返済など見込めるはずもない。
この状況は、国債残高がすでに1053兆円に達し、それは国内総生産の2倍強(言うまでもなくこの対GDP比債務は世界最悪、しかもダントツの最悪国である)、税収の15年分にも相当するのに、債務削減を目指す意志も能力も現実味のある計画も政府内に一切存在せず、もうどこにも逃げ道のない閉塞状況に追い詰められた日本の破滅的実情と重なり合う。
結局この民間会社が金融機関をはじめとする多くの取引関係先をダマした「演出経済(インチキ帳簿)」は、倒産引き延ばしの日数を重ねるごとに債務額が肥大し、多くの債権企業の貸し倒れ額を漸次膨張させて関連倒産という悲劇の範囲を無駄に広げたにすぎない全方位的有害行為に他ならないものだ。

日本の演出経済・死に体財政とこうした民間企業の粉飾決算書・・・この両者の弥縫行為をまったく同列に扱うわけにはいかないが、「その場しのぎ」の下卑た眉唾経済運営が、破たんの時期を繰り延べ(先送り)させることと引き換えに破綻の規模をより巨大化させることでは共通している。
負債が未だ少ない時点で、違法な策を弄せず「正直な倒産」を心がけておけば民事調停や再生法や会社更生法で企業の復活が叶うケースもありえるのに「演出経済」という見栄っ張りな不正延命策に走ったばかりに経営陣は司法の裁きを受け、会社は多くの関係被害者の怨嗟の声に包まれながら破産による消滅(整理)の道しかなくなる。

破たんの責任と言ってもそれは一様ではない。赦される責任と赦されない責任があるのではないだろうか?
企業にとっては・・・銀行を騙すこと、取引先を騙すこと、従業員を騙すこと、消費者を騙すこと(消費者ダマシはほとんどの企業が悪びれもせず行っている。特に健康食品と美容・化粧品関係はヒドイ! 各社のテレビCMはダマシ技術の競い合いと言っても過言ではない)。そして政治にとっては・・・選挙民を騙すこと、これらは「赦されない責任」だと言える。
ウソ情報を流さず、有利な情報も不都合な情報も区別なく開示する事、つまり手の加わらないナチュラルな生の材料を提供するによって国民の判断を求める・・・これが民主主義を成り立たせている基礎ではないのか? 
民主主義は政権の圧力によっても、また政府の情報独占・情報秘匿・情報操作によっても、また権力へのチェック機能を喪失して牙が抜けたジャーナリズムの堕落によっても簡単に崩壊する。私は民主主義のこの「上品な脆弱性」を憂慮せずにはいられない。今、私たち国民の目の前で、安倍政権とその近辺に蝟集するエピゴーネンどもによって公然と取り壊されてゆく民主主義を、私は是が非でも守りたいと思う。

「事実を報じる」というのは言葉の魔術だと私は思う。
政府が発信する情報や言葉を鵜呑みにして、それをそのまま報じても「事実を報じる」ことに背いている訳ではないからだ。自民党機関紙のようなアノ「産経新聞」ですら「我々は事実をそのまま報じているのだ」と胸を張って主張するだろう。ウソを報じる時も「ウソの発表内容をゆがめることなく、そのまま正直に報じた」と言い放つ事は詭弁ではあるが通用してゆく。
「敵空母撃沈」などと真っ赤なウソを報じても、「大本営が公表した事実をそのまま」正確に報じただけだ、との遁辞が通用する。

ある「事実」の周囲にはその事実を否定する別の事実も多くの場合存在するわけだから、どの「事実」を選択しどの「事実」を捨象するかによって世界の見え方(解釈)がまるで異なってくる。
また「事実」は単独で存在しているのではなく、他の様々な「事実の系列」内の一つの部分なのであり、この系列の方向性に沿ってどのように編集され整理されているかをつかまなければ「事実」は皮相な現象にとどまり構造的で動的なものとしての理解が及ばないのである。
ジャーナリズムは権力筋から与えられた「事実」の裏側にひそむ隠された真実を探査しそれを裏付けする意欲と、真実の情報を獲得するための実務的な非公然「スパイ網」を築き上げそれを駆使できる器量がなければ潔く廃業すべし、という事だ。

41日、パソコンYAHOOニュースのトップには「社会に満足。過去最高の66%」という内閣府が公表した「世論調査」なるものが掲載されていた。私は最初、これはエイプリルフールの悪戯かと受け止めたが、どうもそうではないらしい。
信用できない政府が発表した、信用できない数字でも、世論を誘導することができてしまう。これが報道の怖さなのである。「ウソは一回言えばウソであるが、同じウソを100回言えばこのウソは事実に変る」と、どこかで聞いたように思うが、マスコミの報道はたった一度のウソでも世人をなびかせる魔術的な効果を発揮する。

「事実よりも演出」「平凡な真実よりも大風呂敷の虚偽」「静寂よりも進軍ラッパの喧噪」がサプライズ効果を生み出し世論を誘惑する。安倍晋三氏の「アベノミクス」や、橋下徹氏の「大阪都構想」や、神道を標榜する籠池氏の「教育勅語」など、さらに「国営カジノ」「東京オリンピック」「大阪万博」などを鉦や太鼓で囃し立てる尻軽なお調子者たちも皆こうした類の有象無象である。
安倍復古政権配下の文科省が「待ってました!」とばかりに籠池氏の「教育勅語」に飛びついている。一見ケンカしているような外観を呈しながらも、同類がかなでる連携はかくも見事な早業である!
籠池氏の「教育勅語」が世間の話題に浮上する事を推し量ったような文科省の対応ぶりであり、それはあたかも国家神道と復古文科省の阿吽の呼吸というべきものである。
もちろんこの思想的蜜月は偶然の出逢いから生まれたものではない。互いに先の戦争時の忌まわしい古傷を抱え、故旧の関係を結ぶ亡霊同士が70余年を隔てた今、こうして再会をはたしたのである。我が国の新戦時体制化はこうして息継ぐ暇を惜しむかのように、ぬかりなく急速度で整えられて行く。

現状の「演出経済」に愚かないっときの苟安を求め続ける近視眼の人々がいる限り、日本経済財政は破たんの坂道を加速度的に転げ落ちざるを得ない。
つまり経済の構造的な宿疾である「不労所得と勤労所得の激しい矛盾」と「社会的な富の不公正な独占と分配」にメスを入れないまま、安易な対症療法や気休めのプラシーボでお茶を濁そうとする藪医者(自民・創価政権)を私たち国民の総意で懲戒免職に追い込まない限り、すでにステージ4レベルにある重篤な患者(日本の経済・財政)は救命できないということである。

日本の経済・財政危機、それに連動する民主主義の停止と戦争ベクトルの増大。
そしてNHKの調査でも今後日本人の9人に1人が認知症を患う超高齢社会の到来。
(高齢者のお仲間入りを来年に控えている私も、最近しばしば認知症の自覚症状を疑うようになり、それを家内に訴えると「大丈夫!結婚当初からのあなたの認知症は全然進行してないわよ。今も当時と同じ。」と一笑に付され、とりあえずホッと安堵?!したわけである)
すでに40%を超える勤労者(私もその内の一人だ)を襲っている「非正規低賃金不安定雇用」の波。そして有給休暇消化率世界最悪国の正社員たちには、過酷な残業と、世界に例のない「タダ働き」=「サービス残業」の強制がつきまとう。

国民のこうした悲惨の一方で、大企業には使い道のない内部留保金が360兆円もたまり続け、更に創価学会はトヨタ自動車の時価総額を上回る10兆円の資産を築いている。
現代資本主義経済のこうした不均衡発展(不条理な格差)を世界的規模で観察すれば「地球上の上位62人の収入と下位36億人分の収入が同じ」という驚愕すべき調査結果に集約される。(36億人分の涙で62人の高笑いを呪い殺してやればいい! と私は思うのだが、およそ実現性のないこんな願望の表白ですら「共謀罪」が睨みをきかせる日本の近未来=戦時体制下では私の牢獄入りは避けられないので、こうして今の内に書いて置く)

さて我々地球人は、現下の資本主義経済=グローバル金融資本主義がもたらす不幸と不条理・不正義・不道徳・非人間性を解消するには何をどうすれば良いのか? 
今は決して「楽しげに笑いざわめいている」時代ではなく、「真剣に考える」べき時代なのだ!「何をどうすれば良いか?」、少し考えれば答えはすぐに見つかるはずだ。

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政府の忠犬。 社会的不用品化するマスコミ
軍属や家族をはぶいた純軍人だけでも4.4万人を擁する135か所もの治外法権(外国軍基地)を押し付けられているわが国土。しかもその膨大な駐留経費のほとんどを日本側が支払わされている。
こんな貧寒な隷属を強いられている日本という下位国側の安倍総理は、米国という上位国新任大統領の太鼓持ちを拝命するのは光栄の至りとでも思っているのだろうか?

隷属国側総理として安倍晋三氏は、長幼の序というべき従順謙虚で古風な道徳思想をお持ちのようだ。
「よしよし、うい奴じゃ。ほめてつかわす。」と大統領はさぞご満悦であったろう。
1945年の敗戦以来、日本の歴代総理は一貫して米国の「金魚のフン」という立場にに甘んじ、その卑賤な役回りをけなげにつとめ上げてきたわけだから、今回宗主国の奥座敷ホワイトハウスに招聘された安倍氏の興奮ぶりも尋常ではなかったはずだ。
大統領との会談では、カナダの若い首相が是々非々の健康的な主体性を示したのに比べ、三代に渡って首相を務めるという海千山千の安倍氏の意外な外交的無内容と所作の小人ぶりは一体どうしたことか。どうやらこの物足りなさは、やはり残念ながら隷属国特有の卑屈そのものであったようだ。

安倍総理という人は、国民のことはおざなりにしか考えてくれていないようだが、マスコミ報道への思い入れだけはことのほか強く、その対策には常に深謀をつくす御仁のようである。
政府が、国民に伝えてほしいと望む事実だけをマスコミは上手く伝えているか?
政府が、国民には教えたくない事実をマスコミは上手くせき止めているか?
マスコミ完全征服にかける安倍氏の執念と、報道内容へのこまごまとした関与干渉は「電波を止める!」と腹蔵なく公言恫喝した高市早苗総務大臣の言質が曇りなく裏付けしている。
今回安倍氏は、ゴルフ場で肩を並べ、相和しているかのごとき風情をマスコミに喧伝させ、両国の対等ぶりを世界に認知してもらいたかったのであろう。
しかし山積する懸案にたいする交渉らしい交渉は何もなく、マスコミ向け演出に明け暮れた時間的浪費は、内政で露呈させた安倍氏の空虚な経済政策と通底する稚拙なセレモニー性を象徴するものでしかなかった。

内容が貧困であればあるほど、哀しい人間の虚栄心は外見的個性の獲得に向い、演出にこだわろうとするようだ。そしてこの傾向はかなり広範囲な事柄に当てはまる。
非和解的な賛否の渦を世界に巻き起こしているトランプ氏に、臣下がはるばる地球の裏側から馳せ参じ「殿!助太刀に参上いたしまして御座います」の手をさしのべるくだりはやはり演劇的である。
安倍氏の熱き友情。それにこたえるしたたかな取引相手=計算高いトランプ氏の饗応。この両者のパフォーマンスがテレビに執拗に映し出され、それに好意的な解説を添えて「安倍支持」の世論を盛りあげる段取りのジャーナリズム。(マスコミは大企業のCM費で生きているのだから、大企業の政治部門である自民党を支持するのは当たり前の話だが)・・・三者ともに、なかなかしたたかではある。

日本の皆様!お忘れか?
つい数か月前の米大統領選が、ご当地では「史上最低の闘い」と酷評され、日本でも森永卓郎氏の言を借りれば「最低と最悪の争い」として過去に類例のない不名誉なドタバタ中傷劇に終始したことを。
集金力の高さに逆比例するかのごとき両候補の人格の低さに全世界は唖然としたのだった。
そして今、「最低に対して勝利した最悪の大統領」に懸命にすり寄り、シッポを振り振り忠誠と懇意を示して殿のご寵愛を受け、得意満面な自己陶酔に陥っているのが、わが日本のお道化、安倍晋三氏というわけだ。
御殿様と腹心の関係、あるいは飼い主と畜犬の忠義という「美しい関係」はこうして今後も「演出政権」の命の限りに永続するだろう。この固定した主従関係は、お殿様や飼い主が誰であろうと、つまり「最悪」の大統領であろうと少しも揺らぐものではない。
忠犬(安倍氏)が強面の飼い主(トランプ氏)にけしかけられて「ワン、ワン」と吠え立て、アジア近隣諸国に噛みつき再び凶暴な危害をくわえるのか、あるいは気ままな飼い主に足蹴にされて「キャン・・・」と一声、その場に平伏すのか・・・それは今後の成り行き次第!
だがどちらも凶事であることには違いがない。

「日本軍」と名乗ってしまっては違憲になるから「自衛隊」と言い換えて日本軍を再建し・・・「共謀罪」の反民主性・危険性が各界から指摘されると「テロ等準備罪」と改名し・・・
「神道」が先の戦争で果たした犯罪性をかんがみ「宗教」という非論理が政治に参入する危険を憲法2889条で予防しているので「公明党」という別名で抜け道をつくり・・・単なる金融緩和を「アベノミクス」と言い換え・・・「戦闘」を「武力衝突」と呼び換えて危険地帯からの撤兵を拒み・・・と、政府はこんな言葉の差し替えだけで、違法で不条理な現実の数々を国民に追認させてきた。
同様に「戦争」を「防衛」と呼びかえるだけで、247千の兵士を抱え、年間45千億円の軍事費をつぎ込む世界第4位の日本の軍事力でも、周辺国の脅威にはなっていないと国民を言いくるめる。しかしこれは明らかにウソである。

アジア近隣諸国にとって日本軍は単独でも十分脅威なのに、建国以来海外侵攻200回以上という人類史上最大最悪の凶暴な戦争国家=アメリカと軍事同盟を結び、しかも集団的自衛権の発動で日米共同軍事作戦が行われる。世界第一位と四位の国が軍事同盟を結び、しかも日本では様々な戦争法案が既に成立して準備は万端整い、あとは平和憲法を停止させて開戦を告げるのみである。
こんな恐ろしい軍事国家・軍事同盟の存在を日本の近隣諸国が「脅威ではない」などとのんきに構えていられるはずがない。北朝鮮のミサイルもこうした「脅威」に対するささやかな抗議の一つであろう。しかしこの抗議も機関銃に対する水鉄砲のようなもので、抵抗というには余りに差がありすぎる。
北朝鮮が軍事的虚勢を張らなければならないように追いつめた原因がどこにあるのかを冷静に考えてみるべきである。過去の戦争で「焼け太り」というべき経済成長を経験してきた日本は、その後の朝鮮戦争では「火事場ドロボー」の味を占め、夢の再現を今また計略しているなら、何とも不遜な恐ろしい話である。
よく考えてみれば、「焼け太り」も「火事場ドロボー」も、もし日本に平和憲法がなければ結局は「類焼・焼死」に到るしかなかったはずである。
恐らく次の戦争も、日本経済・財政の崩壊と相前後して開始されるだろう。
いつの時代にも戦争の本当の原因は経済であり、ウソの理由が防衛である。

事ここに到ってさえマスコミは真実を国民に伝える事をかたくなに拒絶し続けている。ではマスコミは私たち国民に明らかな虚偽を伝えているのか? いや、まだそこまでは至っていない。マスコミは一部の事実にはスポットライトを浴びせ、その事実に矛盾する多くの否定的な事実は、縮小して伝えるかあるいはまったく伝えずに見て見ぬふりをしているだけだ。
こうしてマスコミは彼らのクライアント=収入源(大企業と自民・創価政権)がお気に召す報道を心がけている。
だから当然・・・GPIFの株価操作や日銀の財政ファイナンスや雇用維持のために支払われている補助金などの事は詳細に報じる事を自粛しているし・・・「数年前に警備員の足を踏んだ」ことが理由で逮捕・拘留されている人・・・「街頭で政府批判の演説をした」ことが理由で逮捕起訴された組合委員長・・・マンションの郵便受けに政治的なビラを入れたことで現行犯逮捕・・・原発反対デモで駅員の足を踏んだとして逮捕起訴・・・卒業式で君が代を歌わなかったことで解雇・・・等々の事実はほとんど報じない。
法はかくのごとく極めて「柔軟」に適用される。政権のお気に召さない人物・組織にはその一言一言、一挙手一投足を違法行為化することなど朝飯前なのだ。だから政権に嫌われている人は満員電車を避ける事を私はお勧めする。乗客の足をうっかり踏んでしまえば現行犯逮捕という運命が待ち構えているからだ。

つまり日本の民主主義はこうしてすでに、あまり人目につかない部分から、こっそりとなし崩し的に無効化され侵蝕されている。
最初のとっかかりはいつもこういう風に、ごく一部の人々、ごく一部の団体に対してだけ民主主義や表現の自由は停止する。そして戦争前夜になるとこうした停止条件が一気呵成に拡散拡大し、「戦時経済・戦時体制の構築」が錦の御旗に掲げられ、「非常時」や「国家・国民の防衛」という大義に仮託された反民主主義・反自由・反人権の網目が全国民を捕える。

今、マスコミが真実を暴かない事、多くの事実を国民に伝えていない事は、数年先には「明らかな官製虚偽」を伝える伏線であることを私たち国民はすべからく認識しておかなければならない。
先の大戦でマスコミが政府広報部として、ウソを繰り返し国民に伝えていた事実を大至急おもい起こさなければならない。日本発の全般的危機は差し迫っているからだ。
マスコミは政府(大企業)や宗教の飼い犬であってはならない。また、国民の飼い犬になる必要もない。つまり誰の飼い犬であってもならないのだ。ジャーナリズムは自己を縛る一切の首輪を拒否して、自立する逞しい野犬でなければならない!
エサを継続して与える飼い主が出現すれば、飼い主・飼い犬という上下関係が固定する。この主従関係が出来上ると犬は飼い主を客観的に観察できないし飼い主に逆らえない。だから野犬の「曇りのない目」と表現的「自由」は、自分のエサは自分で探す、という厳しい環境の上にのみ獲得できる。この厳しさが嫌ならジャーナリストはやめてくれ!
従順な、良い子ぶった、優等生の、品行方正な、空気を読める、家庭的な、人当たりの良い、妥協的な、ジャーナリストなど社会的不用品なのだ。野犬は野太い声で吠えつづけ、相手かまわず咬みつけ!
 

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