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今週の多摩カトリック教会の「福音の村」を深い感動をもって読みました。
これによると晴佐久神父が私の故郷の釜石や大槌に行って釜石新生教会でされた説教がそのまま一冊の本にまとまったと言う事です。
下をクリックして是非ご一読下さい。
出版された本の題名「恐れるな」今の日本に本当に必要な言葉です。
あの震災を一部の人たちが
「神の怒りだ」とか
「日本政府がイスラエルを支援しないからだ」とか
「偶像礼拝がひどいからその罰だ」
などというアプローチで語るのも聴いた事がありますが、ひどく悲しかったです。
因縁話みたいにとられると嫌なので今まで書きませんでしたが、ここからは私の体験談です。
震災の2時間程前、家で夫と聖餐式をしていましたが、途中で不思議な体験をしました。
その日はずっと蒸し暑かったのですが礼拝中、開け放した引き戸からフ〜ッと気持ちの良い風が
入って来ました。
その後やや唐突に嬉しい気持ちと悲しい気持ちをごちゃまぜにしたような奇妙な感覚に陥りました。
同時にしきりと最後の晩餐での主のおことば「苦しみを受ける前にあなたがたと共にこの過ぎ越しの食事をしたいと切に願っていた」が思い浮かび涙がポロポロ出るのです。何故,自分が泣くのか分かりません。おかしいなとは思いましたがあふれる感情は止める事ができません。
ひとこと付け加えると私は普段あまり感情を表に現さないタイプだし、夫はわたしを「泣かない女」
「頑固な東北人」みたいに言う程です。
その後、聖餐式が終わって(恥ずかしいので)バスルームに直行し号泣してしまいました。でも泣きながらも頭の中では「苦しみに会う前ってどういう事だろう」「もうお苦しみは無いはずでしょう?」などと考えている訳です。
あの涙は今でもはっきり理解できたわけではないのですが、震災の後,少し落ち着いてから
主なる神様のお悲しみがハワイにいる頑固な東北人にほんのちょっぴり伝わったのかな、と思っています。
その神のお悲しみは主イエスが十字架の道を歩んでいる姿を見ながら抱かれたのと同じ悲しみ、同じ痛みであったと信じます。
神は断腸の思いをもって震災をご覧になり涙を流されたに違いありません。
そして勿論、この苦しみは必ず逆転して大きな希望と喜びに繋がると信じます。
ちょうど主イエスの十字架がそうであるように。
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キリスト教
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http://www.bigwave.info/flash/hawaii.swf
逆に「不思議な良い話」には色々考えさせられるし感動します。背後に神様の愛と力を感じるためだと思います。
最近、そんな「不思議な良いお話」を聞く機会が与えられました。
またクリスチャンのブログにも、そんな記事があって、ふと思ったのです。
「見える世界と見えない世界は、やはり、どこかで繋がってるんじゃないのか?」
って。しかもそれは
「クリスチャンかどうかに関わらず?」
歌手で女優の田中好子さんの死はまだ記憶に新しいですが、死を覚悟して語った彼女の言葉を覚えておられますか?
以下はニュースの本文からの抜粋です。
死を覚悟していた田中さんは、東日本大震災の犠牲者を悼み、「私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でもその時は必ず天国で、被災された方のお役に立ちたいと思います。それが私の務めと思っています」と語った。
私にとっては、ちょっと驚きでした。
そして正直なところ色々な思いが渦巻きもしました。私の原理主義的な所だと思います、、 よくも悪くもカトリックはやはり普遍的。
説教などを聞いていると、どうも「カリカリしなさんな。最終的には皆、神様の所に帰って神様のものになるのですよ。」とお考えのふしがあります。
どうなのでしょう?
「天国は誰のものか」はまだ、考えたり祈ったりの真最中。
ま、本来は全ての人のために創られたのだとは思いますけれど。
良かったら内緒でも何でもご意見お聞かせ下さい。「不思議で良い体験」も聞きたいです(^^)
まだ、ちょっと早いかもしれないけれど私の終活の準備の準備になると思いますので。
奇しくも今日(4月21日)は彼女の1周忌。
検索している時に知りました。
主の大きな憐れみと慈しみがありますように
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自宅から半時間程の所に、ちょっとした
穴場のカトリック教会があります。
家も(聖十字教会)そうですけれどね。
これがその教会。
ここの黙想の庭は少人数で黙想をするのに
ピッタリだと思うのです。
ただし、いくぶん荒れていますので
しっかりしたリーダーがいないと
ウロウロしてしまうかもしれません。
教会の裏手はパパイヤの畑があって
黙想の庭が続いています。
手入れが行き届いていないというか
野趣豊かというか
私にはぴったりの放置具合
たくさんのジンジャーとアリカパームに囲まれて
風の音と小鳥の鳴き声だけが聞こえて来ます。
拡大クリック
十字架が壊れたり、倒れたり、、
とにかく心は主の方に向けて
歩を進めました。
あら
先日の嵐のためか、大きな木が横倒しです。
拡大クリック
真っ白な木肌。
もったいないなあ
何かに利用できないのかなと
思ってしまう貧乏性
ところが、、
拡大クリック
向こうに十字架が見えていますが
なんと、それは始めにイエス様がお倒れになった
という箇所でした。
「第3留イエス十字架の下に始めて倒れる」
そうすると無残に倒れている木が
主のお姿にも見えてきます。
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御復活に続く40日間と御昇天後の10日(ペンテコステの日まで)を足した
50日間は復活節です。
悔い改めと悲しみの40日を終え、この50日間はワクワクした気持ちで過したいものです。何しろ、40日という希有な日々、主は私たちも将来頂く事になる「復活の体」で、この地上を歩まれたのですから。
という訳でいささか鮮度が落ちますが十字架の道行きから思い起こしてみま
した。人生どんな宣告を受けても必ず15番がある事を信じて歩みたい!
では
こんな絵文字があったんだ!
第一留 イエス、死刑の宣告を受ける
第二留 イエス、十字架を担わされる
第三留 イエス、十字架の下に初めて倒れる
第四留 イエス、悲しみの聖母に出会う
第五留 キレネ人シモンがイエスの十字架を強いて背負わされる
第六留 ヴェロニカ、イエスのみ顔を拭う
第七留 イエス、再び十字架の下に倒れる
第八留 イエス、嘆き悲しむ女性たちを慰める
第九留 イエス、三度十字架の下に倒れる
第十留 イエス、衣服をはがされる
第十一留 イエス、十字架につけられる
第十二留 イエス、十字架上で息をひきとる
第十三留 イエス、十字架より下ろされる
第十四留 イエス、埋葬される 第十五留 イエス、復活される ハレル〜ヤ!
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今日、ハワイは日本より19時間遅く、イースターでした。
遅ればせながら
朝、9時から聖十字教会の聖餐式を終え、11時半からのカトリックのミサにダッシュして少し遅れて到着。普段は夕方から始まるのですがこの日は「後で皆で食事」ということで時間を繰り上げたのです。
聖堂内は復活節のスタートに相応しく白と金色を基調とした飾り付けに変わっていて爽やかでした。
今週の「聖書と典礼」です。
毎週コラムが載っているのですが、今週は岩手の熱血ドクター山浦氏でした!
カトリックの方以外にもシェアしたいので書き出してみました。
また立ち上がる!
「エリ、エリ、,レマ、サバクタニ!神様どうして俺をお見捨てなされた?
この呻き、この叫び、何でお耳に届かない?
昼は朝から日暮れるまで、夜は夕から朝開けるまで
声を嗄らして叫んでいるのに
優しいお声のひとつもかけて
この俺を黙らせて下さらぬ。」
(詩編22から)
地殻は震い、山は裂け、海は渦巻き大地を呑む。
鬼哭啾々(きこくしゅうしゅう),雪交じりの寒風がガレキの野を吹き抜け
天地を覆う腐敗臭の中、肉身の遺体を求めて、さ迷う虚ろな目。
桑田(そうでん)変じて滄海(そうかい)となり、変わり果てたふるさとの
海辺にむなしく枯れた松が一本。
絶望の呻きとも聞こえるダビデの歌はやがて力強い希望と信頼の叫びに変わる。イエスの言葉には、断末魔の苦しい息の下、ついに言葉にできなかった下の句がある。
「だが、俺は知っているぞ。救いを求めて叫ぶものを神様は見捨てない!」
壊れた崖の上、コヒドロ山(大船渡教会の建つ丘)に生き残った十字架が白く輝き、眼下の惨状を見下ろして身を寄せる一団の幼稚園児が誰に音頭をとられた訳でもないのに、いきなり叫び出した。
「津波なんかに負けないぞ!」
咽喉も裂けよと叫ぶ声にこれを聞く大人達が奮い立った。そうだ、これが気仙衆(けせんし)だ。およそ40年毎に繰り返す津波を潜って、我々はこの大地に歴史を刻んで来たのだ。津波だろうと病気だろうと人は必ず死ぬ。これがわれわれの栄光だ。うろたえるな。神様が見捨てる?何をいうか!そんなことがあってたまるか。信頼は生き死にを越える。
「この俺には、人を立ち上がらせる力がある。この俺の言う事を本気で受け止め、その身も心も委ねるものはたとえ死んでも生きるのだ!」
(ヨハネ11章25節)
目を開けてよく見よう。世界中から駆けつけた助っ人が黙々として瓦礫の山と奮闘している。自衛隊は泥だらけの遺体を掘り出している。己が事では流さぬ涙が、これを見て始めて流れた。神様は我々をおみすてになっていない。
(日本カトリック医師会 仙台支部 山浦玄嗣)
これからしばらく、さかのぼって聖週の記事を残そうと思います。
自分の記録のためという事もありまして
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