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※10年以上前の、ドイツ留学の思い出です。 「近現代の曲を、何か学習しましょう」 教授からの要請です。 大学院の修了試験は、リサイタルを開くことですが、 プログラムには一応約束があり、 バロック・古典・ロマン・近現代それぞれの時代から、 少なくとも1曲ずつ選んで弾かなければなりません。 入試のときは、日本人の曲…そう、武満徹の作品を用意し、 入学した当初のコンサートで披露し、ドイツ人にヒットしました。 しかしもう、修了試験でこの手を使うことはできません。 日本ではない、ヨーロッパでの勉学の結果は、やはり西洋の作品にしようと、 ごく自然に自分で決めていました。 近現代の作品といっても、実際にはロマン派の作風を踏襲した作品から、 それこそ調性破壊の作品まで、とにかく様々です。 この大学では、印象派(フォーレの後期・ドビュッシーなど)以降で構わない、ということで、 1950年以降の作品のみ、と定めたりする他の大学よりも、 この大学の規定は、比較的緩かったようです。 意外なことに、ドイツ人はスクリャービンは嫌いではありません。 ドビュッシー、ラヴェルも割と弾きます。 フォーレに限っては、殆ど聴いたことが無かったです。 実際、私のクラスで、スクリャービンのピアノソナタは大流行し、 第3、第4、第5、第9は、本当によく耳にしました。 やっぱり私も、スクリャービンにしようかなぁ、と考えます。 因みにスクリャービン、生没年は1872〜1915。 先生、スクリャービンをやります。 すると、教授のお決まりの言葉がかかります。 「皆が弾かない曲にしてね」 …ぶう〜っ。 ようし、教授がびっくりする曲にしてやる。 私が選んだのは、なんと第10ソナタでありました。 このソナタをやる、と私が言った時、教授の顔がフリーズしました。 そのときは、やったね、と思ったのですが…。 実は私は、この曲に対し、別に知識も憧れもありませんでした。 とにかく、チャレンジしてみよう、という意思のみで取り組んだのですが、 その曲が、いかに大変なものか、この時点ではまるで思いつかなかったのでした。 別名「トリル・ソナタ」。 トリル(装飾音)は虫の羽音のよう。 作曲者自身の言葉。本にもCDにもありますが、 『すべての草木や小動物は、私達の霊魂のあらわれである。 その姿は、私達の魂の動きに対応している。彼等はシンボルなのだ。』 『私の第10ソナタは、昆虫のソナタである。虫達は太陽から生まれる。彼等は太陽の接吻である。』 曲中には、輝き、光、といった発想標語が並びます。 色彩感、神秘性が、スクリャービンの作品の命。 そして、もう一方では、このような言葉も楽譜の中に…。 「法悦」「遊魂」「熱狂」「官能的快楽」「痛み」。 虫の羽音のようなトリルが、全身を震わせて嗚咽する感覚をも思い出させます。 この第10ソナタは無調ですが、最初は甘く始まり、 次第に高揚し、喘ぎ悶えていきます。 展開部は、激しい和音のトレモロで、殆ど痙攣状態。 そして最後は、放心したように、静かに終わります。 自分の身が、昆虫ほどに小さなものに投影され、 昆虫の羽ばたきが、自分の全身を狂わせるほどの感覚を呼び起こす。 …とてもじゃないが、普通じゃない。 作曲者が言わんとしているメッセージに、 作曲者の持つ、あまりに繊細すぎる世界に、どうしても追いつかず、 とにかく、ひたすら美しい世界を発見しようと、私は必死になりました。 教授からは、クライマックスの場所では 「光!閃光!」と叫ばれ、 軽やかなところでは「飛んで」と言われ、 歌うところでは「甘いレガート」が足りないと指摘されます。 とにかく、平常を保つ場面が、この曲に存在しないのです。 尤も、多くの楽曲に「平常」な場面が無いわけですが、 この曲は、本当に特殊で、絶えず五感が働きっぱなしという感じで、 一回弾き通せば、もういつもドロドロになってしまいました。 夢中になって弾いても、達成感が得られません。 そして、指使いもなかなか定まりません。 レッスンのたびに、練習のたびに、指使いを変更し、楽譜に書き込んでいきます。 そして、四分の三拍子の一小節内で、9連符、6連符、5連符が同時に現れる。 何の音の後に、どの音を、どの指で弾くのか、本当に混乱したものでした。 頭の中はハテナ印だらけのまま、門下生コンサート(一般公開)に出ました。 ドイツ人は、とにかく変わったものが好きですから、 やはりスクリャービンの第10ソナタは、ウケは良かったのでした。 しかし演奏した当人は、めちゃくちゃに体も心も酷使しながら、 やはり達成感、到達感は得られず仕舞でした。 …ああ、素直に初期の作品から勉強すればよかった…。 スクリャービンが傾倒した「神智学」。 神智学協会は、今日に至り、全国に組織が展開されていますが、 この分野は非常に難しい。霊的世界の研究です。 私の力では、全くもって纏められませんので、
何か所かのサイトに共通する説明を、一文だけご紹介します。
『心霊、および霊的世界を研究することで、人間の精神の内部に潜む「宇宙の根元と同質のもの」を掘り起こそうとするもの』 私は、この第10ソナタは、全ソナタの中で一番、 この世界の領域に入り込み、精神性、神秘性、宇宙観など、 一番色濃く描写されているものである、と思います。 ご興味のあるお方、ぜひお耳にしてください。 ちなみに、スクリャービンのソナタは、 奇数番号の作品はネガティブな心情、 偶数番号の作品はポジティブな心情を表している、とも言われています。 これもご興味のあるお方、聴き比べてみてください。 俗に「官能的」と言われるスクリャービンの作風は、 単に官能だけでない、もっと深くて複雑で、 宇宙に対し、自分を無限に小さくし、逆に自分を無限に大きくしたりして、 世に存在するもの全てを、全身で感じる、神秘の世界です。 …結局その後、私は大学院の修了試験のコンサートで、この第10ソナタを弾いたわけですが、
それ以来はご無沙汰です。 再び人前で弾く勇気がありません。 |
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まゆゆさん、すごい! 私は近現代の曲って弾いた事ありません。そんな演奏力がないからです。だからそんな機会にも恵まれず、今も自分から挑戦しようという気力もありません。だから演奏を聴くこともほとんどありません。強いて言えば最近、佐渡裕さんの影響でバーンスタインを聞いて、なかなかいいかもって思ったぐらいかな?なので、まゆゆさんがお弾きになったスクリャービンの曲もどんな曲か思い浮かばない無知な私ですが、難解な曲なのだろうということは想像がつきます。やっぱり「弾ける先生」って憧れますね。
2008/8/4(月) 午前 10:25
まゆみ先生、近現代曲は読譜は面倒でも、感性が現代人には一番近いので、案外合うかもしれません。カバレフスキーにもソナタ・ソナチネがあります。子供たちはソナチネの作品10の1が好きです。
まゆみ先生に演奏力がないとは決して思いませんが、何歳になっても「弾ける先生」であり続けることを、子供たちと約束するくらいの気持ちがあったほうが良いんだろうと感じます。頑張りましょうね〜。
実はドイツの大学の修試で、現地の子がバッハの後にバーンスタインのピアノ曲を弾いていました。「現代曲」として立派に認められていましたね。
スクリャービンは本当に難解です。神知学に傾倒していると知って初めて、その難解さの理由が見えてきた。でも神知学を理解するのは難しい。
2008/8/5(火) 午前 1:08
音楽っておくが深いですね。。。
あっ、それから私のブログにコメントをくださってた時に内緒で辺コメ書いたんですが、それでは自分しか読めないと教えてもらいました。ごめんなさい〜。実は自分のブログを音楽教室用の連絡にも使おうと思って生徒父兄の携帯にURLを送りました。なの。でこのブログをまたフルに活用しようと思いますでも変なことは書けないので、そこんとこよろしく(*^^)v
2008/8/6(水) 午前 8:30
まゆみ先生、音楽は本当に奥が深すぎて、制覇しきれない世界ですね。こんな発展途上の自分が生徒を取るに踏み切るには、相当の覚悟をしたものでした…。
Blogの件、納得了解です♪
2008/8/8(金) 午前 1:18
こんにちは♪
スクリャービンの幻想曲がいいとブログで教えて
いただき、それからスクリヤービンについて興味がわいて
きていたのでまゆゆさんからまた良いこと教えていただき
うれしく思います。
私もいつか弾いてみたいです♪
2008/8/23(土) 午後 4:34
Solfeggeさん、コメントありがとうございます。こちらからのコメントが無沙汰になってすみません。
スクリャービン、本気で弾くとなると本当に消耗しそうです。初期と後期では作風は全く違いますが、それでもマクロの世界に匹敵するような繊細さを持つ点では変わらないと思います。近いうち、演奏をアップしてくださいね♪
2008/8/24(日) 午前 1:46
はじめまして。
いいですね〜ドイツに留学ですか。本当に羨ましい限りです。
私は三十路になりましたがドイツにいまだに憧れがあっていまだに留学してみたいなんて夢見ています(笑)。しかし、その方法もわかりませんが(*_*;
2008/10/15(水) 午後 0:25
まきまきさん、コメントを有難うございました。
最近、留学斡旋業者が経営破たんしましたが、留学手順は意外とマニュアルに沿ってやれば、ことの進みは速いのです。自分でも分からないうちに、ことの成り行きのほうが先に行ってしまい、ええ〜っとなってしまうこともあります。
ドイツ人は基本的に正直者ですし、場合によっては日本人よりも親身になってくれることもあります。留学は、結果の損得関係なく、実現して得られたものはすべて尊いと感じられます。
短期留学もあります。どうか、ぜひぜひ!
2008/10/15(水) 午後 11:41
とても興味深く何度も記事読ませて頂いています
スクリャービン初心者ですが、ソナタ5番、10番に憧れています。
またブログの更新を楽しみにしています。
2016/10/5(水) 午後 7:32 [ eri ]
eriさん、コメントを有難うございました。
幾度もご覧いただき、本当に恐縮です。
今、体調の変わり目であること、仕事が多いことで、パソコンに向かう時間がなく、なかなか更新できませんが、少し体調が良くなってきたので、そろそろブログに手を入れようかと思っております。
2016/10/10(月) 午前 0:06
> mayuyu721さん
返信ありがとうございます😊
最近スクリャービンをやり始めました。初心者なので、いろいろ調べながら四苦八苦してます笑
まゆゆさんの記事がとても勉強になります!ありがとうございます!twitterなどで情報発信はされていますか?
2016/10/28(金) 午後 8:13 [ エリ ]
エリさん、コメントを有難うございます。
TwitterもFacebookもHPもやってなくて、申し訳ございません。Web上に音源はあるのですが…
気にかけてくださり、有難うございます。スクリャービンは、本当に自分の手の届かない精神世界に行ってしまったかのような気がして、なかなか理解が届かないのが本音で、そんな私の記事を読んでいただけるのは本当に恐縮、感謝です。
いろいろな解釈の演奏を聴くことができますが、個人的にソフロニツキーの演奏が素晴らしいと思います。
2016/11/1(火) 午前 1:48
こんにちは。ピアノを趣味で弾いている私ですがスクリャービン 大ファンの1人です。私は彼の曲をほぼ全曲弾いてますが、学生時代に後期の作品は神智学を学んでからと思い、実行しました。まだ理解できない点が多いですが少しは彼の曲に対する意図が理解できました。今、52歳で再度10番を弾いてます。
2019/1/9(水) 午前 8:13 [ kuw***** ]