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聖ヤコブ教会から、少し歩くと、今度はルター派の聖アグヌス教会が。
バッハはルター派で、この教会の礼拝に赴き、ここで聖餐を受けました。
え?この小さい教会が?
真ん中の建物が、聖アグヌス教会です。
ここに、バッハが通っていた?意外な感じです。
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中には、やはり見張り役の女性が来ます。
写真を撮ってもいいですか、と訊ねます。
「1.50ユーロをお支払いください。
フラッシュなしでお願いします。
建物内すべて撮影していいです」と言われます。
こちらの教会は、1699年には完成。
聖ヤコブ教会も、この聖アグヌス教会も、プロテスタントですが、ずいぶん違います。
二階に上がらせてもらいました。上に上がれば、オルガンを近くで見られます。
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オルガンですが、バッハの時代以後の製作。
よって、バッハはこのオルガンを弾いていません。
祭壇を、バルコニーから拝みます。
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その真上のステンドグラス。
先の聖ヤコブ教会とは、随分と違います。
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さて、この女性の絵。正面からは撮れませんでしたが。
かのレオポルト侯の母君です。
レオポルト侯とその父上はカルヴァン派。母上はルター派。親子で違う。
当時の結婚は、そんなもの。
後々、母上とレオポルト侯は、政策を巡ってよく対立したといいます。
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こちら、下からの撮影となって、残念ですが、
ルーカス・クラナッハ二世(1515-1586)による、最後の晩餐の絵画…
の、やはりレプリカです。
「本物はヴィッテンベルクにあります」と説明を受けましたが(と理解しましたが)、
よくパンフレットを読んだら、この絵のレプリカはデッサウにあり、
ヴィッテンベルクにあるのは、ルーカス・クラナッハ(父)の描いた同題材の絵であるとのこと。
私のドイツ語の理解力が、結構怪しくなっています。
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写真では見づらいのですが、ここに居る人々は、イエスの弟子ではありません。
プロテスタントの聖職者や貴族たちです。
かのマルティン・ルター(1483-1546)も描かれています。後列左から4人目です。
因みに、右下で背中を見せているのが、クラナッハ(二世)自身。
クラナッハ父子は、このような絵を描いていたのであります。
私がクラナッハの名前を知ったのは、留学をはじめてすぐのことで、
住所およびバス停に「ルーカス・クラナッハ通り」というのがあったからです。
訪れただけでは、バッハの足跡を感じることはできませんが、
聖ヤコブ教会との違いは、はっきりと肌で感じられます。
バッハはこのルター派の教会に。
そしてバッハが仕えていたレオポルト侯のアンハルト侯国は、カルヴァン派の聖ヤコブ教会に。
だけれども、レオポルト侯の母上はルター派。
統治を始めて間もない、若かりしレオポルト侯と母親との対立。
幼い息子を抱えて、今後の教育をルター派の学校にと考えていたバッハ。
音楽の仕事だけ考えれば、もう最高の待遇だったこの地を、自ら離れる決断をしたバッハ。
そうか、そういうことだったのか。
今日、ピアノで弾くバッハの曲の相当数は、ここケーテンで作られたものでした。
自分が、インヴェンションとシンフォニアの全曲演奏会を開くにあたり、
どうしても、このへんの知識が欲しかったので、行ってみましたが、
決して多くはない資料であっても、たくさん感じ、考える機会となりました。
ほか、市内を回って、かつての牢獄の現在の姿に大笑いし、
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ライプチヒに戻って、旧市庁舎(歴史博物館)に飛び込みました。
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今晩は。難しいドイツ語の説明を聞いて、サラリと理解できる!今の日本には稀な素晴らしい能力です。ピアニストさんでなければ、通訳ガイドに勧誘したいところです。
2015/11/9(月) 午後 8:53
とうとんさん、コメントを有難うございます。
通訳は出来ません。やはり勉強のしかたが違います。
ドイツ語ももっときちんと復習したいですが、英語も人並みできるようにしたいです。外国人との共演で、いつもドイツ語で通すこともできないので…。
2015/11/10(火) 午後 11:39