まゆゆさんのピアノ生活ブログ♪

二年間放置の後、2015年4月より、頑張って復活を目指しています。

ピアノ講師何でも言うぞ

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ピアノ講師の立場で、一人悶々と考えることを綴ります。
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おさらい会 大人編

イメージ 1

これが、何の画像ですかって?
大人の生徒さんの、おさらい会&茶話会の時のものです。
今回は、飲食可能なギャラリーを借りて行いました。
生まれて初めて、人前でピアノを弾く方々もありました。
この興奮と緊張は、経験しないと分からないものです。
緊張して、ドキドキして、手が震える、ということは、誰しも経験済みと思いますが、
手指を使うピアノ演奏で、こうなってしまうと、どういうことになるか、ご想像ください。
それを覚悟で、生徒の方々は、おさらい会に臨みました。
途中で、どうなっても、収拾がつくように、
あらかじめ、画像のブツを用意しました。少しでも、気休めになれば、と思いました。
もしもの時は、これを掲げて、もう一度、堂々と弾いてください、と。
ただし実際の本番では、私が真横についてサポートしましたので、
このブツを使ったのは、一度だけでしたが。
初めての会でも、生徒の方々は意欲が高じて、3曲4曲も用意しました。
弾く前に、一人ずつ、自己紹介をしていただきました。
色々な個人的な背景・事情が、会場で述べられます。
私の知らないこともあったりして、私も驚くことがありました。
普段のレッスンとは違って、演奏では興奮しすぎて、かなり大変そうでしたが、
聴いている方々は、温かく見守ってくださいました。
身内、お友達の皆様は、普段の生徒さん方の様子、生活、苦労と照らし合わせ、
様々な想いをされたようでした。
全員が終わって、お客様たちも興奮していました。
涙も流していました。
いろいろなおさらい会があってよい、と思います。
こういう会には、やはり子供の生徒を混ぜないほうがいいかな、と思います。
茶話会では、思いのほかお菓子が残りました。皆さん、興奮気味で語り合っていました。
ビールを飲んだのは、お客様のひとりと私だけでした。
ちなみに、私の母も弾きました。やっぱり興奮していました。

音楽大学へ進学

留学を終え、日本でピアノ講師として働きはじめたのは、ちょうど30歳の時。今から15年前である。
ピアノ講師としては、かなりスロースターターで、現在も自宅に来る生徒の人数は少ない。
音楽教室に勤めていなかったら、寂しいことになっていただろう。

この15年間で、初めてのケースだが、今年度から、
私が幼少からずっとお世話してきた生徒が、音楽大学に通うことになった。
ずっとずっと、私のもとで、おさらい会でも、マスタークラスでも、コンクールでも、楽しく弾いていた。
中学、高校時代とも、運動部のキーパーソンでもあったので、体育系の大学も考えたようだった。
ひょっとして、今でも悩んでいるかもしれない。
でも、まずは音楽の楽しさを探しに、旅に出ることにしたようだ。

音楽教室の生徒だったので、教室の教務から何回も、担当を替えるように指示が出た。
このブログでも書いたことがあるが、教室には「5年ルール」があり、5年経ったら担当を替えるのが基本である。
私も、本人に勧めたが、本人も親御さんも、それについては深く考えたがらなかった。
いろいろ揉めたが、ずっと私のクラスに留まった。
音楽大学に入れば、このクラスを出ることになる。音楽大学に進まなければ、ここに留まれる。
そんなことも考えたようであった。

結局は、前述のとおり、音楽大学に入り、私のもとを去ることになった。
最後のご挨拶には、ご両親を伴って訪ねてきたが、
もう見ていられないくらい、グズグズと泣いていた。
大人も、貰い泣きである。

当の本人は、そんなことも、今頃は忘れて、新しい友達と楽しく過ごしているだろう。
新しい関係を築くことになった、大学の教授のレッスンを、ちゃんと消化できるだろうか、という私の心配は、
たぶん本人には届かないだろうけれども、
私はここから、本人に、何らかの方向性を、在学中に作ってほしいと願っている。

また、最近、ポツリポツリと、音楽に進もうかなぁ、と口にする生徒が何人か出てきた。
あくまで「夢」の範疇ではあろうけれども、
発表会などで弾いた、先の生徒がモデルになっていることは、間違いないと思う。

この先生はモデルにはならないらしい。生徒たちには、この先生はちょっと距離が遠いらしい。

お家のピアノは

年度が変わり、生徒達には、学校での新しいお友達は出来つつある様子。
他の先生のところでピアノを習っている、というお友達が出来た、というのは、小2の生徒。
早速、そのお友達の家に、遊びに行ったという。
どんなピアノが置いてありましたか。こういうことを、私は尋ねずにいられない。
生徒は「あのね、おもちゃのピアノだった」という。
おもちゃ?
曰く、いろんなボタンがついていて、鍵盤は細くてペラペラで、数が少なかったらしい。
生徒が、そういったキーボードの類を「おもちゃ」と称してくれたのは幸いである。
話は続く。「弟がいて、その下に赤ちゃんもいて、お金がかかるから、ピアノは置けないんだって」
こういう話は、胸が痛む。しかし、話は意外な展開を見せる。
「その子のお家に、鉄棒と滑り台があるの」
え?お庭に?
「ううん、お家の中だよ。だから遊びにいくのが楽しいの」
…室内用の鉄棒と滑り台、確かに販売されている。
私は、こう言った。
「鉄棒や滑り台って、校庭や公園にあるけれども、ピアノって校庭や公園に無いじゃん。私だったら、ピアノを買いたいな」
生徒は、ほんとだあ、と言っていたが…。

確かに、室内用の鉄棒や滑り台は、ピアノ一台よりも安価だが、
もし、外で運動する心配が無い社会環境なら、子供達をできるだけ屋外で遊ばせたい。
そして、ピアノを習っている人には、せめて本物と同じ形、数の鍵盤のある、
ピアノらしさを体験できる物を、家に置いて欲しいと思う。

ところで、私の母は、戦後間もない時代に小学校に上がった。
ピアノはまだまだ珍しい物で、その村で、チェルニー40番を弾ける人が一人あり、評判だったという。
母は、音楽の授業で聞いたピアノに夢中になり、学校の音楽の先生に、手ほどきを受けるに至った。
母は、放課後や日曜日、用務員さんに学校を開けてもらっては、音楽室でピアノを練習し、
家に戻っては、火鉢のへりで、鍵盤をイメージしながら指を動かしていたという。
当時、また私の時代もそうだが、学校には住み込みの用務員さんがいた。
実際に、家にピアノが入ったのは、小6の頃だったという。
村の長屋の母子家庭に、ピアノが搬入されたので、大層な騒ぎになったという。
それをきっかけに、母はようやく、村の外の「本物のピアノの先生」に習うことになった。
物資には恵まれていなかったが、欲求が生まれ、満たそうと思う心があり、
ゆっくりではあるが、それが叶えられた。
私の母は、後から考えれば、キーボードで習う子供達より、幸せだったかもしれない。
最終的には、大学受験と、卒業演奏でピアノを弾くに至ったのである。教育大学である。
もちろん、音が多い曲は弾けない。母の卒業演奏は、バッハのイタリア協奏曲だった。

母が、こうした体験をしなければ、私は今日、ピアノを弾いていなかったと思う。

教え子だってライバル

久しぶりに、大学勤務時代に、私のクラスに在籍していた教え子が、
私の家を訪ねに来た。
無論、レッスンの為である。近々ジョイントコンサートを控えてのことである。

私の大学勤務は短い期間だったので、この教え子は、
入学から卒業までの4年間を教えた、専科で唯一の学生だった。
入学当初は、とっても気の弱い女子で、喋る声も内容も、演奏も頼りなかったが、
様々な事柄にぶつかり、悩み、泣き、考えていくうちに、急激に実力をつけはじめ、
卒業する時には、どんな形であれ、もう音楽で生きていくことに迷わない、と決めた。
大学卒業後、別の学校で2年修業し、そこでベテランの先生にしごかれ、
そこを修了した後、ご両親に呼び戻される形で、東北のご実家に戻った。
それから6年が経つ。彼女の意気込みは、まだ変わらない。

彼女は、人との繋がりを大事にする。
幼少期からお世話になった先生を「第二の母」と慕い、
ピアノ教室で働きながらも、ご実家のお店を手伝い、
新幹線と在来線を乗り継いで、遠い私の家まで、私を信じて来てくれる。
先の「ベテランの先生」は逝去されたが、先生のレッスンは全身で受け、
その勉学態度に、先生も驚いておられたのを、私は聞いたことがある。

教え子は、震災を被ったが、幸いにして生活が大きく変わることはなかった。
生活は変わらないけれども、彼女は更に考えることが増え、
結局、更に精神的に強くなった。
ピアノの演奏にも、己が出てきた。
もっと実力のある同期生もあったのだが、
それだからといって、本人の志は揺るがない。
要は、音楽で生きていくということなのである。

今後、本人も、歳を重ねていくうちに、様々な悩みを抱える筈である。
その時、この本人と私の、どちらが元気に音楽に取り組んでいるか。
彼女は、私のライバルになる。

悲しい旅立ち

音楽教室の生徒のお母様が、旅立った。
年明け間もなくのことだった。
 
4年間の長患い。
いや、長い期間だっただろうか。短かったというべきだろう。
会うたびに、最初は少しずつ、そして時を経るうちに、どんどんやつれていかれた。
最後の4か月は、自力で歩けなくなり、
障害のある息子さんは、自宅から30分歩いて、ひとりでレッスンに通うようになった。
 
いよいよという時、年の瀬に、お父様が、音楽教室のレッスンにお見えになった。
最後の入院で、2月のおさらい会の頃までは持たないでしょう、
すみませんが、今度のおさらい会は、お休みさせてください、
でも、レッスンは続けさせたいのです、妻もそれを望んでいます、
どうか引き続き…というご挨拶だった。
 
松の内も明けない、今年最初のレッスンの日の朝、
お父様より、お休みしますというメールが入った。
お母様が亡くなったのは、その2日後だった。
 
ご葬儀が済んでから、このお宅に伺った。
二人の息子さんの、知的障害のあるお兄ちゃんのほうは、相当なショックを受けたという。
弟くんは自閉症ということで、あれだけお母様から愛情を受けていても、
その出来事が、壮絶で悲しいという認識が持てないという。
生前、お母様は、もう少し頑張りたい、せめて二人の中卒までは…と常々仰っていたという。
この二人を託されたお父様の心痛、心労は、計り知れない。
 
そんな状況でも、お兄ちゃんのほうには、ずっとピアノを続けさせたいと、お父様は仰った。
お母様の危篤の連絡を受けて、お兄ちゃんは「レッスンに行ってから病院に」と言ったのを、
お父様は、流石に無理やり、病院に連れて行ったという。
他にも様々なエピソードを伺ったけれども、家計も苦しいだろう中、
ピアノは続けさせたいから、どうかよろしく、と頭を下げられ、
お兄ちゃんの中に、ピアノが大きなウエイトを占めていたことを、改めて知らされた私は、
今までしてきたことが、すべて正しい筈もないが、良かったことが多かったのかな、と思い、
そして同時に、これからの責任を痛いほど感じた。
 
私自身、幸いにして両親は健在である。
この年齢にして、それは決して当たり前のことではなく、
まれな幸運なのだということは分かっている。
この私より先に、私の生徒が、親を失ったという事実が、私の心に重くのしかかる。
何が悲しいって、心で呼べばいつでもお話できるだろうけれども、
旅立ってしまった愛しい人を、二度と見ることも、触れることもできないということだ。
 
 

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