まゆゆさんのピアノ生活ブログ♪

二年間放置の後、2015年4月より、頑張って復活を目指しています。

まゆゆの演奏談

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まゆゆとて、三流ではありますが、一応「ピアニスト」。
ここでは、まゆゆのコンサートの体験談をはじめ、自分の演奏にまつわるお話、またピアノの練習でふと思いついたことを綴っていきます。
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デュオリサイタル回想

とにかく、準備は大変だった。
比較的メジャーなコンサートだったので、責任感もあった。
仕事が多い日は、夜に1時間しか弾けなかった。眠気と疲労との闘いだった。
一日の練習で、コンサートの全曲を回すのは、不可能だった。
表現の組み立てを考える時間は、なかなか取れなかった。
曲の構成を見て、楽譜に印をつけるのは、真夜中だった。
魚に、頭、胴、尾がある如く、最初から最後まできちんと通して弾けるだろうか、
本当に確証が持てないまま、本番の日に向かって時が流れた。
しかし、そんな状態でも、どの部分が何故合わせにくいのか、ということのチェックは、
だいたい出来て、共演のシミュレーションができる程度にはなった。

デュオの相手は、「絹の音色」と言われるオーケストラのチェリストだった。
高音域の技術が素晴らしかった。正確な音程で、楽器が泣いていた。
ご本人も、オーケストラの仕事が忙しく、自分の練習が充分にできないらしいのだが、
それでも、ごまかす、適当に流す、ということの無い、真面目で謙虚な人だった。
合わせ稽古で、合わせにくい箇所は、何回もやってもらった。
私が、テンポが走るところは、徹底して直してくれた。
もっと稽古したかったが、時間が無く、
それでも、スタジオを延長して借りて合わせたりした。
合わせると、これまで一人で練習していた音楽とは違う流れになる。
それで、かなり楽になることもあるが、逆に大変になることもある。
最終的には、運を天に任せることになる。

当日、リハーサルの段階で、お互いとも緊張気味だった。
相手は、経験豊富とはいえ、ご本人が初めて舞台に乗せる大曲があり、
リラックスした状態とは、とても言えないリハーサルだった。
本番も、必死だった。運を天に任せて、相手を必死で聞き、必死で弾いた。
一曲一曲終わるごとに、ホッとして、二人で毎回握手をした。
もう、訳が分からないまま、コンサートは進んだ。
私が崩壊した時、相手はどんどん進んでくれた。
同じように、相手が崩壊した時は、私がどんどん進んだ。止まらせてはいけなかった。
そして、コンサートは、終わるべくして終わった。

相手は大ベテランだったが、冷静ではなかった。熱かった。
絹の音色を出す楽器が、歌い、吠え、泣いているようだった。
私のような弱小ピアニストに、本当に良くして下さった。
威厳を保つなどという態度の全く無い、本当に良い人だった。
ひたすら感謝している。


思い出すことは

数日前、正確に申しますと12月29日(土)のこと、
地元のギャラリーでの、日本歌曲のコンサートにて、
バリトン歌手の伴奏をする機会がありました。
主催者が、知人のバーテンダーをお呼びして、
カクテルをご用意する、という変わった企画付きです。
 
私の母の従妹さんも、お友達と一緒に来てくださいました。
このコンサート、昨年も、同じ主旨で、同じ演奏者によって開かれ、
その時もやはり、この二人で一緒に来てくださいました。
 
お友達は、ご主人を亡くされてから一人暮らし。
しかしその後、海馬委縮症(アルツハイマー)になってしまいました。
彼女は、とても几帳面なご性格で、
今あったこと、忘れては大変と、聞いた話はどんどんメモにとり、
もらったチラシは「美術」「音楽」など、項目に分けてファイリングなさいます。
昨年のコンサートでも、メモをとり、コンサートプログラムをきちんと保存なさいましたが、
今年、さきの母の従妹さんから、お誘いの話を受けた時には、
昨年のことが、どうしても思い出せなかった、ということです。
しかし、ファイルを見れば、きちんとそのコンサートのプログラムがあったので、
今年、そのプログラムをバッグにしっかりと入れ、
さきの従妹さんに、最寄りの駅まで迎えに来てもらったといいます。
 
ご本人、とても辛いといいます。
怖いと仰います。
その恐怖、私でさえも感じられます。
自分のことが分からなくなる恐怖。
それに押しつぶされそうな心で、夜を独りで過ごす。
ラジオの深夜放送が、心の友達のようなものだそうです。
 
母の従妹さんは、そんな彼女にいきなり「今ここ何処?」と尋ねたり、
「私たち、どうして今日一緒にいるのかわかる?」と尋ねたり。
お友達、そのくらいは分かるわよ、と怒るそうです。
でも、その日が終わるころ、昼間に何をしたかを忘れてしまい、
メモを見て思い出す…あるいは思い出さない…
それがどんなに怖いことか、想像を絶しますが、
母の従妹さんは「今わかることが大事なのよ、それでいいのよ」と。
 
そして、お二人、コンサート会場に着きます。
エレベーターに乗ります。
すると、お友達、「私、ここ来たことあるかも」と…!
 
会場に入ります。
お友達、「私、ここに来たことあるかも」と!
 
先に述べた、主催者さんに呼ばれた、若きバーテンダーさんの横顔を見たお友達、
「私、この人を見たことある!」と。
そして、嬉々としてカクテルを注文し、堪能されたとのことです。
 
一年前の同じ日に、同じ会場で行われたコンサートの記憶が、
断片的によみがえってきたとのこと、
二人で大層驚いて、喜んだといいます。
残念だったのは、演奏者のことを、どうしても思い出せなかったということ。
 
演奏中、彼女がメモをとる鉛筆の音が、ピアノの前に座る私に聞こえてきました。
帰り際、その彼女に、私は声をかけていただきました。
満面の笑みが、印象的でした。
 
来年も、また同じ主旨で、コンサートを開くことは決定しています。
また、このお友達にお会いできるでしょうか。
 
 
 
因みに、このコンサートの「主旨」は、
山田耕筰の命日である12月29日に、彼を偲ぶコンサートを開くというものです。
 
 
 

非ベテラン

単旋律楽器の演奏会では、その殆どに伴奏または共演が求められ、
その多くを、ピアノが担っているわけだが、
とくに重要な、大切な、大きなレパートリーで演奏会に臨む際には、
やはり経験豊富なピアニストと、共演するのが普通である。

経験豊富なピアニストといえども、
彼らにも必ず「初回」というものがあったはずであり、
またベテランと呼ばれる人々にも、
必ず「新人」だった時代があったはずである。
これを通らずして、経験豊富なベテランになぞ、なれるわけがないのだから。

では、どうしたら経験を得る機会に恵まれるのか、だが、
単旋律楽器のソリストもピアニストも、お互い学生であれば、
胸の貸し借りで、自分のへたくそ加減も飲んでもらって臨むことができるというもの。
しかし、やはりソリストも、より良い勉強を、より良いクオリティーでやりたいもの。
学校には、それこそ経験豊富な「伴奏助手」がおられること多い。
しかも、助手の方々から、舞台上での経験談などを含め、学ぶところも多い。
結局、学生ピアニストは、よほど積極的に室内楽のことを考えなければ、
共演の勉強の機会を失いがちである。

また、いくら積極的に室内楽に取り組んだとしても、
世の中にゴマンとある楽曲すべてを網羅することは不可能で、
「この曲をやったことがありますか」の問いに「いいえ」を連発することもある。

ピアニストが、ソリストを探して勉強の機会をつくる、というやり方もある。
ただ、なんだろう…ピアニストがソリストについていくのと、
ソリストがピアニストについていくのと、ちょっと違うのである。
どちらも同格という曲も多数あるけれども、
私の経験では、依頼した私が、ソリストに多々お願いすることで、
すっきりうまくいった感触を得たことは、あまりない。





多楽器と合わせることが殆どという、弦楽器や管楽器などの単旋律楽器の演奏者。
他人と息を合わせることに、当たり前のように慣れている。
ピアニストは、楽器や演奏方法、そして弾くべき音の音域の広さから、
どうしても独りよがりになりやすく、相手と息を合わせるのが難しい。
経験を重ねていかないと、どうしてもコツを得られない。
尤も、「合わせ」に向いているかいないか、本人の性格も左右する。
ピアノの技術を問う以前の、性格的な面においてである。

こうして、私の共演の機会は、多いかというとそうではなく、
少ないかというと、これまで私を共演者に選んでくださった方々に失礼、というところから、
皆様に想像していただけるか、と思う。
…あ、やっぱり難しいかしら。




最近、嬉しかったのは、
この曲を、あなたと一緒に演奏したいのです、と言われたこと。
その曲は、ピアニストの私は、まだ弾いたことがありません、と言っても、
それでもいいから、一緒に勉強しましょう、とソリストが言ってくれたこと。

感謝以外に、気持ちも言葉も見つからない。

実現しなかった…

忙しいのを言い訳にして、なかなか勉強が進まない自分を奮い立たせるために、
フランスの講師のマスタークラスを受けようと、準備をしていたのだが、
講師側の都合により、その日はキャンセルとなり、
別に設けられた唯一の日程は、私の職場の、夏の発表会と重なり、
私はどうしても仕事を外せなく、コースの受講はお流れとなった。
この数日、ずっと腐っていたが、次の仕事の楽譜も届き、
そちらの練習に入って、気を紛らすことはできている。
でも、思う。また「仕事」だ、と。
受講を左右するのも仕事の都合、練習のきっかけも仕事のため。
 
ひとりの音楽家として、仕事はとても大事なこと。
仕事のためだけでない、仕事と関係ない勉強を、捨てないで過ごせるようにしたいと願うのは、
贅沢であり、身の程知らずであり、一方では生活のことを考えると「不可能」でもある。
 
でも、今回のために準備した曲は、まだ温めておこう。
今冬に、もういちど、ほかのピアニストによるコースがあるから…。
(*^^*)
 

身近にクラシック

私は、ステージに出ることもあります。
何百人のお客様の前に立つことも、そんなに多くないけれども、あります。
ライトを全身に浴びて、お客様にご挨拶することもあります。
でも、自分で自分を、スターのように思ったり、
お客様と自分の間に、境界線を引いたりしたことはありません。
 
都合上、私は壇上に立つことはありますが、
私は、皆様と等身大の位置にいるつもりです。
等身大の存在にすぎないとも思っています。
ただ、自分のできる力を使って、
時に、自分の力以上の、お客様の支えに頼り、
また、時には目に見えないところから下りてくる力も借りたりして、
精いっぱい、表現芸術に携わっているつもりです。
 
父の知人から言われました。
クラシック音楽って、バーンと人前に出てくるもんかと思っていたら、
身近に感じることのできるものなんですね。
これからも、そんな内容で、またやってくれないかなぁ、と。
 
前回の催しで、私は名曲選のようなプログラムを組みました。
革命、別れの曲、雨だれ、小犬のワルツなど、そんなラインナップでした。
名曲をもって、お客様に良き時間を過ごしてもらいたい、という試みもありましたが、
お客様に親しんでもらうというよりも、私自身が名曲たる名曲に、真剣にアプローチして、
自分の知りうること、感じ得たことを、等身大でお届けしたかったに過ぎません。
 
身近に感じたのは、そんな私のことをだったのか、
それとも、知ってる曲だから身近に感じたのか、
そこらへんを尋ねてみたかったのだけれども、
 
本当は、ドイツだったら、そこらへんを尋ねるのに躊躇しないのだけれども、
やはりここは日本だし、お相手は父の知人だし、私自分もしがないピアニストだし、
ここでそんなことを尋ねるのもおこがましい、と思ったし、
何となく、なんとなく、「その節は、どうかよろしくお願いします」と言ったのでした。
 
もういちど自分に問うてみる。
親しみのあるクラシックの音楽会って、名曲をならべたものなのか、
それとも演奏者が、人前でも聴衆と同じ意識レベルで、気軽に振舞っていることなのか、
 
それとも演奏者が、自分を奢らず、等身大で頑張っていることに、
お客様が、演奏者との間に境界線を引くことなく、耳を傾けてくださったことなのか。
 
わからない。

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