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せっかく徹夜して書いたので記録のためにのせちゃいました。
あれから幾度思い起こしたことでしょう。夜空を見上げるたびに、記憶は、時空をさかのぼり、あの時見た満天の星空に行き着くのです。もう25年も前の、アフリカ、ケニアのサバンナを覆うように広がる星空に。
私たち夫婦、そして主人の母、4人の子供たちは、帰国を前に、ナイロビ日本人学校に別れを告げ、最後の国内旅行に鉄道で行くモンバサ旅行を選びました。鉄道は、夜行の寝台特急、地平線を眺めながら、様々な動物が生きるサバンナをひた走る旅でした。
余談ですが、ナイロビ駅で乗り込むとき、すこしだけ、胸が痛みました。車両はちがいましたが、列車には、七輪を持って乗り込むたくさんの現地の人たちもいました。食事を車内で煮炊きするのです。一方外国人の多い予約した個室は、快適で、食堂車では、白い詰め襟服のボーイさんが常に控え、フルコースが提供されました。その格差の大きさ。海外に出たそのころ、「国」という存在が、その国民の運命を左右することを実感していましたが、この旅でもまだまだ残る有色人種と白色人種の人種差別の現実や問題点をかいま見ることができたような気がします。
さて、ナイロビで暮らした3年間の多くの日、私と義母は、市内のナショナルパークで地平線に沈む真っ赤な美しい夕陽を眺めました。たぶん列車から見る夕陽が沈む様もドラマチックだったことでしょう。ところが、その旅での沈む夕陽の記憶は、全く残っていないのです。それは、その日見た星空が、とてもショッキングなものだったからでしょうか。
夜のとばりが降りる前から、星の瞬きは始まりました。はじめはささやかに、そして次第に輝きは増し、私は大声で家族を呼び、私たちは全員が、窓から離れられなくなりました。
列車がともす光以外に、人工の灯りの全くないサバンナの大地。漆黒の闇ははるか地平線まで続き、そこから夜空は、無数の限りない星々を抱き、立ち上がっていました。列車も、その中に在る私たちも星空と、一体になっているかのような不思議な感覚と何とも言えない懐かしさ。くっきりと光る星々のひとつひとつが、いとおしく、宇宙の中の地球と大自然、この森羅万象とわたしたちは、つながっているのだという思いがひそやかに胸中に広がっていきました。
消灯後の真夜中、ふたたび主人と並んで夜空を眺め、さらさらと涙がとめどもなく流れ続けたことが忘れられません。美しい星空でした。もう一度みたい星空です。
まばゆい日差しをかんじる時、鮮やかな色の植物に出会う時・・・ふとナイロビでの思い出にリンクしてしまう現在。ナイロビでの生活は、まだ若く海外で暮らした経験などなかった私には、日々がまるで夢のような生活でした。 4番目の子供を、赴任してまもなく出産したこと。家探し、引っ越し、ホームパーティ。 取得した車の免許。楽しかったこと、嬉しかったことはもちろん、困ったことも失敗したこともふくめて、思い出のひとつひとつが、宝石さながらに今でも輝きを失せません。そんな機会を与えて頂いたことのありがたさ。
帰国後生まれ、ケニアを知らない二人の子供も含めた子供たちとその家族で、いつかツァーを組んでもう一度ケニアを訪ねたいという夢を持ち続けています。ナイロビで暮らした3年間が、その後私たちが遭遇した人生の苦難を支える大きな礎になったことは間違いありませんから。
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