東武鉄道沿線を主に綴るブログ

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本当に「昔は良かった」のか?


 マナーを守れない人間が最近になって増えているのかどうかはともかく、時代によって

 傾向が違うということです。現在はコンパクトなデジタルカメラやスマートフォンの普及で、

 失敗してもフィルム代などを全く気にする必要性も無く非常に手軽になり、写真撮影への敷居が

 とても低くなりました。これで鉄道写真撮影人口が増えたと考えれば、自ずと常識から外れる

 人数も増えたと考えるようになるのが自然でしょう。「鉄子」なる言葉も鉄道趣味人口増加を

 象徴しているのでしょうか。常識から外れる個体の発生率を同等のまま据え置きにしても

 発生数は増えるわけですが、個人レベルでマナーが低下しているのかどうかは全く別の問題で、

 安易に結論は出ません。京浜東北線から209系が引退する際にも車両が半ばマニアに占拠された

 状態となり、そのカオス状態に一般客が戸惑ってしまったという事例もありますが、

 インターネットの普及などによる情報網の進化は行動力も集客力も飛躍的に増大させます。

 時代の流れとともにマナー違反の手口にも多少の差が現れ、その度に新たな制約が生じる、

 この繰り返しで現在に至っているのではないでしょうか。だから昔は許されても現在では

 許されない行為が沢山あるのです。東武鉄道の7300・7800系電車を例に挙げてみましょう。

 かつては編成中間に運転台付の車両が連結された場合、運転台の無い側の乗務員室に誰もが

 自由に出入りできたのです。つまり、勝手に乗務員室の扉から乗降するのも可能でした。
 
 詳しい事は不明ですが、走行中に乗客が転落する事故が発生したのを機に全面的に

 立入不可にするという措置がとられたらしいのです。何か問題が発生する度に新たに

 禁則事項が作られる、この繰り返しは昔から継続され、今後も止む事はないのかもしれません。

 昭和50年代に入っても全国各地で活躍していた国鉄の旧形客車は、走行中でも扉は開閉自由、

 加速度の低さも手伝って、ホームでは列車が動いている状態での乗降なんて日常茶飯事でした。

 「昔はおおらか」と言いたくなるのも分かる気がします。時代の流れとともに禁止事項が

 増えたからという理由で、「昔は良かった」という現在の若者には単なる皮肉としか

 思えない事を嘆いたところでどうにもなりません。何度も申し上げているように、

 「昔はマナーを守れていた。それに比べて近頃の若いファンは・・・」

 というのは安易な責任転嫁に過ぎず、実はマナー違反に年齢層も時代も関係無いという事です。

 逆に現代人が過去の過ちを責めた所でストレス解消以外に大きなメリットはありません。

 大事なのは、自分自身をも含めた現代に生きる人々が、肩身が狭くならないためにも、

 新たな撮影規制をこれ以上増やさないように配慮する事ではないでしょうか。

 結局、現在の方が良い事もある一方で、昔の方が良かった事もあるのは事実であり、

 それ故にどちらが良いかは各人の歩んだ人生によってそれぞれ感じ方は異なるのです。

 随分と大それた事を語ってしまいましたが、ここで終了とさせて頂きます。

本当に「昔は良かった」のか?


 結局、本当に昔より今の方がマナーが悪いのか、そんな事は簡単に答が出せません。

 それに小学生から中高年まで幅広い範囲からマナー違反者が発生するのも普遍性があります。

 一例として2007年、内房線にSLが運転された時、沿線は多くの撮影者で賑わいましたが、

 ごく一部に過ぎないとはいえ、常識から外れてしまう者が発生するのは避けられないのか。

 幾らか発生してしまった列車妨害犯の中で最も悪質だったのが60代の男という皮肉なオチ、

 線路に腹ばいになって正面から列車を狙ったらしく、自己中心が若者の特権というのは

 大きな間違いだと証明してくれました。むしろ若者に手本を見せるべき立場なのに・・・。

 60代と言えばまさにSLブームをリアルで体験している世代、鉄道雑誌のバックナンバーを

 眺めていると、1960年代後半から既に写真撮影等のマナーに関する問題が提起されていて、

 SLブームをきっかけにそれは急激に拡大、後にブルートレインブームも発生しました。

 旧形国電はそれらの後に隠れがちですが、鶴見線での72・73形さよなら運転で発生した

 様々なトラブルについての記事を読んだ事もあります。他にも京阪100年号で小学生の

 ファンが列車にはねられてしまったという事故がありますがこれは30年以上前の話です。

 当時と全く同じ行程で再びSL列車を走らせて、そこで沿線に集まるファンの行動が当時よりも

 悪質になっているのであれば、その時こそ「昔に比べて今は・・・」というセリフも

 きっと戯言ではなくなるのでしょう。とりあえず京阪100年号が運転された当時の有様を

 見れば本来とは全く違った意味で「昔は良かった」と思えてくるのではないでしょうか?(つづく)

本当に「昔は良かった」のか?


 よく聞かれる言葉の一つとして挙げられるのが「昔は良かった」。

 この考え方は「最近の若者は・・・」という言い回しにも通じるものがあります。

 鉄道趣味の世界においてもこんな趣旨の書き込み等を見かけたりするのですが、

 「昔のファンはマナーを守っていた、それに引き換え最近の若いファンは・・・」。

 果たしてこの真偽はいかなるものか。それについて結論を先に述べてしまいましょう。

 マナーを守る人もいる一方で、マナーを破る輩もいる、それは今も昔も変わらないと思います。

 自分に都合の悪い記憶は忘れ易いという脳の構造も「昔は良かった」という思考を作り出す

 要因の一つとして大いに考えられます。しかし最大の原因としては、昔は許されていた事が

 現在では許されない、だから「昔は良かった」という思考に結びつくのではないでしょうか。

 実際に昔の鉄道写真を見ていると現在では不可能なアングルで撮影されている作品の多いこと、

 かつては大都市の通勤通学路線でホームの下に降りても列車の走行を妨害しない限りは

 誰も咎めはしませんでした。駅以外の場所で線路に立ち入る場合も同様で、

 個人で電車区や車両工場等を訪問した際には、許可を得れば車両の撮影が可能でした。

 このような行動が許されていた時代を知るファンにとってまさしく「昔は良かった」のです。

 ところで、これらの行為を「不可」にしてしまったのは誰なのでしょう。

 当然のことながら「最近の若いファン」でない事はいうまでもありません。

 そして昔のファンと今のファンで優劣を簡単に決定する事はできないでしょう。(つづく)

ドラえもんで不適切な書き込み


 2012年4月24日、ニュースを見て早速調査開始。2009年にテレビアニメ化30周年企画として

 1979年放送分がDVD-BOXとして発売、その中に含まれる「一生に一度は百点を」という

 エピソードで児童向けのアニメとしては不適切な表現があったというのです。

 そこで2011年に書店向けに発売された物も含めて、該当するDVDは回収→修正版と交換、

 という措置が執り行われる事となりました。このタイトルには聞き覚えがあり、

 確か我が家にVHSテープがあったはず、と言っても無論、放送した物の録画ではなく

 1993年に発売されたソフト版です。何度も見ているはずなのにネットで調べるまで該当シーンが

 何なのか分かりませんでした。視聴時には不適切表現を確認できても後になって

 忘れてしまったのか、最初から気付かなかったのか、それすら分かりません。

 問題のシーンは、のび太がコンピューターペンシルのおかげで宿題をスムーズに

 片付けている時に発生します。のび太が勉強に使っているノートに書き込まれている

 文字が約2秒間写るのですが、様々な意味で小学校の内容とは思えない高度な分野です。

 『交流回路で消費される「精力」』

 『「交尾」回路で消費される電力』

 『負荷が「コ○ドー○ー」の時』

 適切ではないと思われる単語が3つ、VHS版の解像度でも「精力」以外は確実に読み取れます。

 しかし最も不適切な単語の最後に来る長音は何なのでしょう。小さな子供が見るアニメーションで

 これが適切かどうかなど、議論するまでもなく答は分かり切っています。それよりも問題なのは、

 どうして当該エピソードの初回放送から30年以上が経過した今頃になって騒ぎ始めたのか、

 そっちの方なのです。1993年はテレビアニメ15周年企画としてVHSソフトのレンタルも始まり、

 1979年からのエピソードを誰もが視聴できる環境が整いました。現に殆どのレンタルショップで

 扱っており、15年以上の期間に数百万人という規模で多くの子供が見ていると思われます。

 僅か2秒のシーンと言っても初回放送から30年以上、レンタル開始から15年以上もの間に誰も

 気付かないなんてそんな馬鹿な事があるはずないのです。それなのに今さら誰が何の目的で・・・。

 運悪く名うてのクレーマーの目に偶然留まってしまったと言うべきなのか。

イメージ 1

石原裕次郎二十三回忌 その8


 最後は記念品の引き換え、その様子を写真にでも残したいと思いましたが、

 あの混み具合では当選者本人だけしか入れそうにありません。したがってそれは断念、

 応募は家族全員で行い、当選は1人分だけ、自分の名前でなくとも、当選は嬉しいものです。

 右側の通路を経て、出口付近で待機します。引き換えの前に何か特殊な機械を使って

 葉書の真偽を確認するので、少し時間がかかるようでした。会場を去ったのは18時30分過ぎ、

 まだ当選者の行列は続いていました。帰りは国立競技場駅ではなく、青山一丁目駅から

 電車に乗ろうかと思いました。大江戸線利用よりは100円だけ節約、それだけでなく

 往路と異なるルートによって楽しみも増すというものです。前以て地図を確認せず、

 勘だけに頼ったので、長い曲線道路で方向感覚を失い妙に静寂なエリアを進行、

 まだ間違いには気づかず、おかしいと感じ始めたのは左手遠方に電車が見えた時でした。

 そこで裏道に入ってから反対の方角へと戻り、突き当たりの看板で右が信濃町駅、

 左が青山一丁目である事を確かめ、完全に方向感覚を取り戻しました。

 この間に同じ派出所を2度通過、しかし誰にも頼らず我々だけで進路を開拓、

 1時間近くかかって駅に到着、おかげであの周辺の地理にはすっかり詳しくなりました。

 これが当日に受け取った記念品で、写真集と「一刻者」のセットです。

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