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木下昌輝『秀吉の活』は豊臣秀吉(藤吉郎)を主人公とした歴史小説である。豊臣秀吉は多くの人に描かれてきたが、本書は新たな視点を提示する。藤吉郎と義父の竹阿弥の仲は悪かったと描かれることが多い。本書も表面的には同じであるが、感動的に描かれている。秀吉の馬印の瓢箪の由来にも絡ませる。十分に書かれている歴史上の有名人でも新たな物語を書けるものと実感した。
本書では明智光秀は最初から曲者に描かれている。細川藤孝も高慢な人物に描かれている。逆に凡将と評価されがちな佐久間信盛は有能で、秀吉は活きた合戦と覚悟を教えられる。寧々は実家の木下家の関係も興味深い。寧々は木下家の縁者に必ずしも優しくなく、むしろ養家の浅野家を頼りにする傾向があった。本書を読むと、それに納得できる。
本書は就活、婚活、朝活、妊活、終活など現代人の活動に合わせて章立てしている。但し、現代感覚と言っても、昭和的な前向きサラリーマン出世街道ではない。出発点には武士に蔑まれ、父親の形見の豆を奪われた恨みや怒りがある。恨みや怒りが大きなエネルギーになることは真実である。実のところ、私は豊臣秀吉を歴史上の人物の中であまり評価していなかったが、権威に虐げられたことへの反発は共感できる。
切り口は就活や朝活であるが、秀吉は主体的というよりも、周囲に流されている。仕官する際も寄らば大樹の発想で今川家を選び、織田信長は今川に滅ぼされると思っていた。藤吉郎が織田信長についたきっかけは主体的なものではなく、他人に引っ張られたためであった。また、藤吉郎はしょうもない失敗もするし、挫折もする。前に進むだけの存在ではない。序盤は藤吉郎以上に前田利家の破天荒ぶりが面白い。藤吉郎一人の天才ぶりというよりも、寧々や小一郎らの協力が大きい。
逆に墨俣の一夜城築城は一行で済まされている(220頁)。秀吉が最も神がかっていた賤ヶ岳の合戦も互角の戦いが展開されており、秀吉の勝利は普通ならばあり得ない原因で起きた。石田三成や大谷吉継の兵站面の活躍も描かれない。豊臣政権の肝である武家関白も発案者は秀吉ではなかった。現代の就活や朝活も主体的というよりも世の中の動きに流されて行っている面があり、意外と合っている。
秀吉には信長存命中の忠勤ぶりと信長死後の割り切りの良さという相反する性質がある。この矛盾をどのように一貫性を持って描くかが作家の腕の見せどころである。本書では既に心が離れていたと描く。最初から織田信長に仕えたくて仕えた訳ではない点も、信長から距離を置いて考えることが自然に映る。
もう一つ本書の特徴を出すと槍働きや調略という純軍事面だけではなく、普段の実務を重視していることもある。「数百石の無駄をなくせば、それはつまり数百石の敵の領地を奪ったと全く同じ」との台詞がある(94頁)。これは現代の経営のリストラクチャリングに通じる。この点は現代的と言えば現代的であるが、物語に描かれなかっただけで昔から意味のある要素ではあった。
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