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東京スタジアムがあった頃からのパリーグファンです。私がアップした動画や共有されている動画を紹介していきたいです。

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普通 上野発長岡行き

 私が車を運転していたころは冬になるとマイカーの屋根にスキー板を載せている車をよく見かけました。そして、休日が終わる時間帯に車で走っているとスキー場から帰ってきた車が屋根やトランクに雪を積もらせたまま走行している姿も見かけました。
 また、当時の上野駅でもスキー板を担いでスキー場へ向かうグループや屋根に雪を積もらせて入線してくる列車もありました。
 先週の大雪で気が付いたのは、雪が降った日以外で屋根に雪を積もらせた車や列車を見なくなったことです。車の場合はスキーをやる人が少なったこと及び列車の場合は在来線の長距離列車がなくなったことではないかと思います。

 雪と長距離列車で思い出したことがあります。それは学生時代に学校から帰宅するために上野駅から乗った長岡行きの列車です。夜間の授業が終わり上野駅に着くころが、この列車の発車時刻だったためよく乗りました。車輌は通勤電車の近郊型だったような気がします。乗り込むと発車前の停車駅案内のアナウンスが車内に流れました。詳しい時刻は忘れましたが、上野を午後10時過ぎに発車して長岡へ到着する時刻が午前4時を過ぎていたことを記憶しています。このアナウンスを聞くたびに「このままずっと乗っていれば新潟の長岡まで行けるのかあ」と思い幾度となく終着駅まで乗っていようと思いましたが実行できませんでした。

 夏休みに南相馬へ行くときは特急ではなく急行でした。甲子園に早実の応援に行ったときも寝台急行『銀河』でした。在来線ではまだ急行や普通が長距離で頑張っていた時代です。
 寝台急行という言葉にロマンを感じてしまいました。上野から東北方面や東京駅から関西、九州方面へ寝台急行や普通列車を復活して廉価で日本中を周れる切符が発売されて学生、高齢者、訪日外人が乗り込んで連日満員になって発車することを妄想してしまいました。

 曲名は成長してから知りましたが『ワシントン広場の夜は更けて』を聴くと小学校へ入学する前に一日中、家でお絵かきをしていたころが目に浮かびます。当時、我が家は父がラジオを聴きながら仕事をしていました。いろいろな曲がラジオから流れていたと思います。しかし、なぜか『ワシントン広場の夜は更けて』の旋律が幼い私の頭から離れませんでした。
 一日中ラジオが流れる環境で育った私は小学校高学年になると自分のラジオが欲しくなりました。しかしトランジスタラジオは高価で手が届きません。
 貯金しようと思っても、そのころから無計画な人生を送っていたのでお金など貯まりません。そんなときにプラ模屋でゲルマニウムラジオを発見したのです。たしかプラ模型一つ買うのを我慢すれば買える程度の金額でした。「これなら買えるぞ!」と衝動買いで手に入れました。ゲルマニウムラジオは乾電池は必要ありません。本体から出ているコードを金属に巻きつければイヤホンから放送が聞こえます。ただ、構造が簡単なのでチューニングに苦労しました。アンテナを上下しても場所によっては雑音だらけで放送を受信できません。そして運よく受信できても私の部屋ではNHKとTBSだけしか聞こえませんでした。それでも夜寝る前に新聞のラジオ欄で夜10時以降の番組名を確認して枕元にゲルマニウムラジオを置いて聴きました。今でも『生活アラカルト』という番組名を覚えていますが内容はぜんぜん覚えていません。けれども大人の世界へ踏み込んでいったような気持ちで聴いていた記憶はあります。
 父のラジオからはじまった私のラジオ人生はゲルマニウムラジオからポケットトランジスタラジオ、そしてラジカセへと進化していきました。今ではスマホのアプリ『ラジコ』で聴いています。このアプリで聴くとAM放送でもクリアに聴くことができます。いつもクリアな音で聴くことができるとゲルマニウムやトランジスタの雑音混じりの音声が懐かしくなります。

 最近心配なことがあります。それは民放ラジオ放送自体の衰退です。朝から昼にかけての放送はスポンサーがついていますが夜から深夜にかけてはCMが放送局の告知のみになってしまう時間帯が目立つのです。広告の統計でもネットは伸びているがラジオは低迷しているようです。近未来では人工知能がアナウンサーの代りになると言われています。私はラジオから人工知能の声は聴きたくないです。
 ニッポン放送の垣花さん、上柳さんやTBSの伊集院さんなど個性的な人々の放送が聴けるラジオは『ラジコ』により聴取者が増えてラジオ放送が元気になることを祈っています。
 昭和44年の話です。私の父は自営業をしていました。父が配達に行くときに乗っていたのは原付の代名詞ともいえるスーパーカブです。そのスーパーカブの車体が見えなくなるくらいに荷物を括り付けて走っていたのです。子供ながらに「あんなに一杯積み込んで、よく事故をしないなあ」と感心していたものです。
 東京の交通量が急激に増えるとともに事故も増加した時期だったので、さすがに父もスーパーカブで大量の荷物を配達することに限界を感じて自動車を購入する決心をしました。
 「車を買ったぞ」と言った父の言葉を聞いて私は歓喜したのです。「憧れのマイカーが我が家にくるぞ!これでドライブにも行ける!」と思ってワクワクしました。
 そして、その日の夜に我が家にやってきたマイカーはスバルサンバーの中古車でした。中古車とはいえ予想以上にくたびれた箱型の車体。室内へ入ると鉄板を成形したままのダッシュボードやヘッドライトの裏側のお椀やハンドルの支柱も丸出しです。 当然カーラジオなんて付いていません。内装またはインテリアという雰囲気は一切ありませんでした。「こんな車買ったんだ・・・」私の喜びは落胆に変わりました。
 その時に「おい、霞が関ビル見に行くぞ!」と父が言い出し、届いたばかりのボロサンバーに家族全員が乗り込み夜のドライブに出かけました。すると、ついさっきまで落胆していた私も、マイカーから見える車窓に感激してサンバーを受け入れることができました。

 ホンダがNボックスの新車をだしました。最近の軽自動車の性能向上は素晴らしいと思います。Nボックスには乗ったことがありませんが知人のタントに乗ったときは内装や乗り心地が普通車のように感じたのです。タントのシートに座ったら、昔のボロサンバーを思い出し、技術の進歩と時の流れを実感しました。
 私は現在、車の運転をやめていますが新車の広告が出るたびに「いい車だなあ、運転したいなあ」と思います。車種の関係で日産とマツダの車しか運転しませんでしたが「H」のエンブレムがフロントグリルに輝くホンダの車を運転してみたいと思っています。




 「京成電車を運転していた私」のタイトルを見てこの写真を見た方は「釣られたかあ」と思うかもしれません。けれども私にとっては輝かしい体験だったのです。
 このミニ京成電車は谷津遊園にあったものです。そして先頭の運転席に写っているのが私です。この運転席にはハンドルがあり動かすことができたので運転手になった気分になれました。そのため子供たちは運転席目指して激しい順番争いをした記憶があります。どうしても運転席に座りたくて父に無理を言って何度も並び続けました。 生まれつきグズでのろまな私ですが運転席争奪戦に見事勝利した私の功績を残すために父が撮ってくれたものです。

 私が子供のころは、王子駅から電車に乗って出かけることを「省線に乗っていくよ」と言う大人がいました。そのころの京浜東北線はチョコレート色の旧型が、まだ走っていました。しかし、我が家最大のお出かけイベントだった谷津遊園に行くときに町屋から乗った京成電車は華やかなツートンカラーで車体の横についているKDKの文字がとてもかっこよく見えました。夏になると谷津遊園や京成電車のことを思い出します。

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 梅雨らしく、いつ雨が降るか分からない天気が続いています。家で飼っている犬が思うように散歩することができないので欲求不満ぎみです。言葉を話せないので体全身で、ふてくされた態度を強調しています。名前を呼んでも「話しかけんじゃねえよ!」と言われているようです。しかし、少しでも散歩へ連れて行く仕草をすると、いきなり飛び上がりぴょんぴょん跳ねまわり抱きついてきてぺろぺろ舐めまわされます。こいつは、なんて分かりやすい性格なんだと感心してしまいます。
 犬ほどではないけれど私も散歩や乗り物に乗ることが大好きです。遠くへ行きたいなあと思って、どんよりした空を眺めていたら昭和50年代後半にスクーターブームがあり、そのころ私は原付スクーターで走り回っていたことを思い出しました。当時は雑誌を買うと「また新しいスクーターの広告がでているぞ」と思わせるほど、いろいろな名前のスクーターが発売されました。タクト、リード、ベルーガ、アクティブ、ジョグ、DJ1〜その他たくさん
 私は当時、原付のなかでは最も高性能だと思ってホンダ・リードを買いました。
 早速、環七付近を走り回るとリードの実力が発揮されたのです。当時は大きな交差点で停止すると車の列の前に多数の原付バイクが停止して青信号を待ちました。青に変わると同時に競馬のゲートのように一斉に原付バイクが先を争いました。私のリードは後方待機してゴール前で馬群を抜き去る差し馬のように先頭へ躍り出ました。運動会の徒競走ではビリばっかりだった私は初めて先頭にたつ喜びを知ったのです。
 しかし、それは長くは続きません。後発の高性能スクーターに抜かれて、先頭にたつことはできなくなりました。そこで私は先頭争いを諦め、走りを楽しむことにしました。房総半島や茨城・筑波方面は毎週のように行きました。福島を往復した時は、さすがに原付の限界を感じて中型バイクに乗りたくなりました。

 時が流れてマイカーを所有した私は、バイク時代のように走り回りました。そこで気が付いたことは車の運転席にいると前を走る原付バイクが「危険」に見えたことです。私は原付で走り回っていたけど、きっとまわりの車から「危険」と思われていただろうなあと感じました。でも原付スクーターは手軽で便利な乗り物でした。

 ホンダ・リードの懐かしいCM動画を見つけました。


'82-91 スクーターCM集 vol.3 HONDA

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