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昭和49年(1974年)11月9日 ――― 21年前の今日東京湾内中ノ瀬航路において 日本船籍のLPGタンカー第十雄洋丸とリベリア船籍の貨物船パシフィックアレス号の 衝突火災事故が起きました……… 日本海洋社は横浜海上保安部から緊急出動要請を受けて ドライケミカル消化剤を装備した大安丸(下徳辺芳秀船長)・大成丸(池津登吉船長)が 現場へ急行し消火活動を行いましたw しかし第十雄洋丸は炎上を続け爆発の危険性を含みながら横須賀方面へ漂流を始めました…… 三管本部は第十雄洋丸を東京湾中央に曳航することを決断! 連絡を受けた大安丸がまだ火の手の上がっていない船尾に接舷し 船長自ら外板に手を触れ熱くないことを確認すると直ちに2名の乗組員がステップを駆け上がり 甲板上の繋船柱に曳索を繋いだんですw しかし巡視船「まつうら」と曳航を開始したものの一度曳索が切断してしまいました… 危険が迫る中今度は大安・大成両船から4名の乗組員が駆け上がり再度曳索を繋ぐことに成功w 第十雄洋丸を富津沖5浬水深10米の浅瀬に座礁させることに成功しましたw その後の11月19日日本海洋社・海洋興業・深田サルベージ3社が三管本部で協議の末 曳船により第十雄洋丸を離洲させて東京湾外に曳き出すことが決議されたのです! 翌20日海洋社より大安丸(下徳辺芳秀船長)・桂二号(平原信彦船長)がこの作業にあたりましたw また衣笠・海洋・永代・楓・霧島・榊・三笠・桂・欅・金剛各船は行方不明者及び遺体の捜索 並びに遺族・遺留品の運搬・警戒・通船等の作業に従事し おりおん1号は第十雄洋丸乗組員15名を救助しました! この我が国初のLPGタンカー事故では第十雄洋丸で38名の乗組員のうち5名が死亡 パシフィックアレス号では29名の乗組員のうち28名が死亡 救助された者は僅かに1名という大惨事となりました……… この衝突事件が契機となり昭和50年12月の制令第380号により 昭和52年1月1日以降東京湾内の航行船は総トン数1万トン以上が強制水先となりましたw 民間では昭和49年11月に海上防災センターを設立 昭和50年10月には特殊海難隊が三管本部に配備されましたw 昭和52年2月には東京湾海上交通センターを設立する等 海上防災能力の強化が図られ現在に至っている。 |
まるこ時事
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