『母を訪ねて3000円』

歴史って見る角度を変えると面白いかもよぉ♪『最後』に拘る♪

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カール5世の弟フェルディナント1世に始まるオーストリア ハプスブルク家



1648年に三十年戦争終結と共に結ばれたヴェストファーレン条約によって弱体化しましたw

しかしオスマン帝国の第二次ウィーン包囲(1683年)撃退の後 ―――

ハプスブルク家は力を取り戻しオスマン帝国を破りハンガリーを奪還する(1699年パッサロヴィッツ条約)

カール6世(画像)は対外戦争に力を注ぎネーデルラント南部(現在のベルギー)から

ミラノ・シチリア・サルディニア等に勢力を拡大し

オーストリアの最大版図を築き上げたたんです!!!!!


スペイン継承戦争ではハプスブルク家に支援を申し出たプロイセン公国のホーエンツォレルン家に

王国(プロイセン王国)としての地位を与える等帝国としての国体を取り戻して行きますw

後に『恩を仇で返される』結果となります…



1740年カール6世が男子を欠いたまま没したため神聖ローマ皇帝位を喪失し

オーストリアは長女マリア・テレジアが相続したけどそれを不服とするプロイセンなど列強との間に

オーストリア継承戦争が勃発しちゃいました…

シュレジエンを失うなど一時苦境に陥りますけどイギリスの援助を受け劣勢を挽回し

1748年アーヘンの和約によってオーストリア・ベーメン・ハンガリーの継承を承認されましたw

またマリア・テレジアの夫フランツ・シュテファンが1745年に神聖ローマ皇帝となったことで

ハプスブルク・ロートリンゲン家として帝位を奪還したんですねぇ!


その後大国化するプロイセン王国に対抗する為フランスと接近しちゃいます………

これがフランス王太子ルイ(後のルイ16世)とマリーアントワネットの政略結婚です!

しかしこの行為はドイツ諸侯の支持を失い神聖ローマ皇帝としての権威を損なう結果となりました…

しかし大国としての地位を確保しプロイセン・ロシアと共にポーランド分割に参加w

更にマリア・テレジアとその息子ヨーゼフ2世は啓蒙主義を推し進め積極的に富国強兵に努めました!


しかし1789年のフランス革命はハプスブルク家に衝撃を与えました…



ルイ16世とマリーアントワネットの処刑はハプスブルク家に脅威を与え

結果プロイセンと共にフランスに出兵することとなりますw

しかしフランス革命政府軍に敗れるなど失態を犯し

挙げ句の果てにナポレオン=ボナパルトと言う英傑を生み出させてしまい

やがて全欧州にナポレオン戦争の災禍に呑み込まれ行く動乱の時代に突入して行くのです…


この頃の日本は寛政年間 江戸幕府11代将軍徳川家斉の治世で
                   町人文化は煌びやかに華ひらいた時期です!

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う〜ん。。。久々の お勉強は 頭に 入ってかないな〜〜(T_T) マリア、テレジアも 聞く名前だね〜〜!! ホント 権力を 持続するのも 大変だよね〜〜。。。

2005/11/10(木) 午後 3:56 [ ☆☆☆ ]


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