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19世紀初頭に神聖ローマ帝国はナポレオン・ボナパルトの攻勢に屈して完全に解体し ハプスブルク家のフランツ2世(オーストリア皇帝としてはフランツ1世)は1806年に退位します! 一方フランツは1804年にナポレオンがフランス皇帝として即位したのを受けて オーストリア皇帝に即位していた為オーストリアの帝室として存続するんですw そしてナポレオン1世追放後の欧州においてウィーン体制護持の神聖同盟の一角として地位を保持し ドイツ連邦内においても優位を保っていたんですw しかしクリミア戦争でロシア帝国と敵対し神聖同盟は事実上崩壊し 1859年にはサルディニアに敗北しロンバルディアを失い 1866年の普墺戦争で大敗を喫しドイツ連邦から追放と国際的地位を低下させちゃうんです! 国内でも多民族国家であることから諸民族が自治を求めて立ち上がり 皇帝フランツ・ヨーゼフ1世も妥協しドイツ人とハンガリー人を指導的地位にし 帝国をオーストリア帝国とハンガリー王国とに二分して同じ君主を仰ぐ二重帝国に改編し 1867年にオーストリア・ハンガリー帝国となっちゃうんです!! それでも以後民族問題は深刻を深めていくんですねw 1908年ボスニア・ヘルツェゴヴィナ両州を占領したことから それまで燻っていた大セルビア主義が高揚しロシアとの関係も悪化! そして1914年皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が ボスニアの州都サラエボでセルビア人青年に銃殺されるという「サラエボ事件」がきっかけとなって オーストリアのセルビアへの宣戦から欧州全土を恐怖のどん底に陥れる第一次世界大戦が始まるんです! 画像は今も残るサラエボ事件が起こった『プリンツィップ橋』ですw 長引く戦争やロシアのレーニン政府の戦線離脱など色々な要因が重なり 連合軍側は当初のハプスブルク帝国を解体しないという見解を踏み越えて チェコに独立を約束してしちゃいます!! 帝国内の民族も続々と独立し盟邦ハンガリーさえもオーストリアとの完全分立を宣言し ドイツ革命でドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が退位しハプスブルクの最後の皇帝カール1世も亡命! 中欧に650年間君臨した帝国は1918年に崩壊しちゃうんです… その後ハプスブルク家はオーストリアへの入国を禁止されてますw 1961年に至ってカール1世の長男オットー・フォン・ハプスブルクは
オーストリア帝位継承権と旧帝室財産の請求権を放棄してオーストリア共和国に忠誠の宣誓を行い オーストリアにやっと帰国したんですよ! ハプスブルク家は現在でもオットーやその息子のカールが欧州議会の議員となるなど 政治活動を活発に行っています! |
ハプスブルグ家
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