献帝は中国 後漢朝の第14代皇帝にして最後の皇帝w
姓は劉・諱は協・字は伯和w 霊帝の次男で廃帝弁の弟ですw
その謚号『献』は表向きは“英邁”って意味だけど
他に“他者に国を献上した”という嘲りの意味が込められてるんです!
一方蜀漢では孝愍皇帝と諡されてますw諸葛亮とドンパなんですw
189年に父霊帝が崩御すると劉協は霊帝と何皇后との間に
生まれた実兄皇子弁と帝位を争う事になっちゃうんです!
これは幼い兄弟本人同士の争いじゃなくて何皇后とその兄の大将軍何進の弁皇子(兄)側と
王美人が死んだ後に協の養育をしていた董太后と宦官の劉協(弟)側の争いなんです!
結局この兄弟の代理戦争は何進側が勝利し兄は廃帝弁として即位し劉協は陳留王となったんですw
その後董卓が洛陽に乗り込んでくると強引に皇帝に擁立されちゃいます!この時9歳です!!
もちろん傀儡であり董卓が長安に遷都すると献帝も連れ去さられちゃいますw
董卓が呂布に殺されるとその勢力を継承した董卓の部下達の傀儡となっちゃいますw
傀儡に嫌気がさして献帝は長安から逃げるけど今度は曹操に会ってまたまた傀儡になっちゃいます…
その後曹操は献帝の権威・道理的正当性を背後に勢力を拡大し華北を統一しちゃうんです…
この間献帝は曹操を討つ密詔を董承に渡す等何度か曹操の支配から逃れる事を計画するけど
その全て失敗しその度に発言力を失ってっちゃうんですよぉ……
220年魏王曹丕は献帝から禅譲を受け前後400年に渡った漢は滅亡しちゃいます…
献帝は山陽公となり皇帝でなくなっても『朕』という皇帝だけが使える一人称を使う事を
許される等様々な面で厚遇されてはいたんですけど……
その後の劉協は一人廃帝として静かに暮らし234年五丈原で
諸葛亮が死んだ年に54歳で寂しく死去……魏は彼を孝献皇帝(献帝)と諡したんです……
劉劉協の子は既に死去してたんで孫の劉康が山陽公を継ぎ
魏に代わった西晋でもそのまま山陽公にとどまったけど285年死去し子の劉瑾が跡を継いでますw
劉瑾は289年死去し子の劉秋が跡を継いでますw
でも永嘉の乱のさなかの309年劉秋は匈奴の汲桑軍に殺され爵位は断絶…
ここに漢王朝の嫡流は絶えちゃったんです…
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こんばんは。献帝は、次男で側室の子供だったので、本来なら皇帝になる身分ではなかったんですよね。治世であれば、愚鈍な皇帝である兄を補佐する有能な皇族として評価されていたと思います。しかし、勝手に皇帝にされたうえに、勝手に禅譲させられてしまい、後漢の最後の皇帝として生涯を終えますね。はたして、本人は幸せだったのか、不幸だったのか・・・
2005/12/1(木) 午後 10:57 [ ユウ ]
まさに本人のみぞ知るってとこですねw…でもどの帝国も最後は散々ですよね…皇帝ではないですけど自ら政権を放棄(大政奉還)した徳川慶喜はある意味凄い勇気がありましたね!幕を引く事はとても難しいですからw
2005/12/2(金) 午前 0:26
初めまして。記事をTBさせて頂きました。
2008/7/20(日) 午後 2:56 [ - ]
はじめまして!TB歓迎です!!どうぞw
2008/7/23(水) 午後 7:46