バハードゥル・シャー2世はムガル帝国の最後の第17代皇帝w
1837年実父先帝アクバル・シャー2世の崩御で62歳の高齢で即位w
1858年イギリスの裁判にかけられてミャンマーに配流される迄帝位に着きましたw
即位時ムガル王朝の権力はデリー周辺にしか及ばずインド内部はそれ以外の各地で
地方勢力や欧米列強が入り乱れる沈滞した社会となってました…
特に1757年の プラッシーの戦いでフランスからインド植民の権利を勝ち取ったイギリスの
イギリス東インド会社の勢力はインド半島全域で大幅に拡大しだしてたんですよ!
そんな情勢の中イギリス東インド会社は1845年〜49年にかけて' シク戦争を起こして
シク教国を滅ぼしイギリスがインド全体の支配者になろうとしてたんです…
こうした沈滞した社会の中で東インド会社の抱える 傭兵(セポイ)の間で変な噂が流れてます…
イギリス軍では新たにエンフィールド銃が導入されその銃が彼達にも配給されるという噂…
これだけの事なら話は簡単に片付くけどそうはいかなかったんです…
そのエンフィールド銃の薬莢の紙袋にインドの気候でも最低3年は乾かないと
言いわれてる 牛と豚の脂が濃厚に塗ってあったんですw
当時の弾薬は薬莢を口で噛み切らないと使えなかったんでもしこの銃を用いたら
セポイ達は戦闘時に 宗教的禁忌を犯す事になっちゃうんですよ!!!
信心深い彼らは怒って反乱の狼煙を上げここにセポイの乱を起しちゃいます!
蜂起したセポイ達は1857年に デリー城を占拠!
有名無実となってた82歳の老帝バハードゥル・シャー2世を擁立しムガル帝国の統治復活を宣言!
一時期その勢力はインドの3分の2を巻き込む大きなものとなったけど
セポイ達には統一目標も軍隊組織も無かったんで軍事組織の建て直しを行ったイギリス東インド会社に
よって反乱はほどなく鎮圧されちゃうんですよね…w
翌年反乱を鎮圧したイギリスはバハードゥル・シャー2世を退位させると
裁判にかけて有罪としミャンマーへ流刑に処しちゃいますw
バーブルがパーニーパットを戦場にロディー朝を倒してムガル帝国を創始してから332年w
そしてティムールが中央アジアで大帝国を築いてから488年が経っていたこの年…
かくしてムガル帝国はその歴史に幕を閉じちゃいます…
なお画像は白髭をたくわえ流謫地へ送られる83歳の廃帝の姿なんですよ…
それから4年後の1862年バハードゥル・シャー2世は流謫地ヤンゴンで死去します…享年87歳w
一方イギリスはムガル帝国を滅亡させると東インド会社を解散してヴィクトリア女王の直接統治による
『インド帝国』の成立を宣言し1877年には正式にインド帝国が成立しました…
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