ヴィルヘルム2世は最後のドイツ帝国皇帝にしてプロイセン王
帝国主義的な膨張政策を展開するけど拙劣な外交で列強との対立を招き
ドイツを第1次世界大戦の地獄に導いちゃいます!
ヴィルヘルム2世は1859年1月27日プロイセン王太子フリードリヒ・ヴィルヘルム(後の皇帝フリードリヒ3世)と王太子妃ヴィクトリア(英国ヴィクトリア女王の長女)との間に生まれましたw少年期のヴィルヘルム2世の性格は自己中心的で移り気・左腕の発育不全を気に病んでたんです…この不全は出生時に罹患した合併症が原因でちょくちょく電気ショック療法などの苦痛を伴う治療を受けたけど治癒しなかったんですよ…
ヴィルヘルム2世は1881年にシュレスヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=アウグステンブルク公女アウグステ・ヴィクトリアと結婚しましたw
1888年6月15日父フリードリヒ3世の死にともないプロイセン国王及びドイツ皇帝に即位!ヴィルヘルム2世は社会主義者鎮圧法の存廃をめぐり宰相ビスマルクと対立しビスマルクは1890年に辞任しますwヴィルヘルム2世は「老いた水先案内人に代わって私がドイツという新しい船の当直将校になった」と言い社会主義者鎮圧法は廃止され世界政策と呼ばれる帝国主義的膨張政策が展開して来んです!
帝政ドイツでは議会に比べて皇帝に大きな権力があったんで国政にはヴィルヘルム2世の意志が大きく反映され「ドイツを陽のあたる場所へ」という標語のもと植民地獲得に力が注がれるんです…でも列強の既得権とぶつかるこれら政策は軍事力を背景に露骨な示威行動を通して実行しロシアやイギリスとの関係を悪化させることになっちゃうんですよ!
1896年イギリスの支援を受けた勢力が南アフリカのトランスヴァール共和国に侵入した際ヴィルヘルム2世はトランスヴァール首相クリューガーに激励の電報を送りイギリスとの関係を悪化させますwまた1898年海軍次官ティルピッツはヴィルヘルム2世の指示に基いて艦隊増強の指針を定めた「海軍法」を制定したんでイギリスとドイツの建艦競争が激化しちゃいます…
1905年ヴィルヘルム2世はモロッコのタンジールを訪問し大艦隊を見せつけてフランス・スペインの勢力圏モロッコを脅かし第一次モロッコ事件を引き起こすんです!この時は自ら諸外国に列国会議の開催を呼びかけ翌年にアルヘシラス会議が開催されるけどフランスと三国協商を結んでたイギリスとロシアはフランス・スペインを支持し三国同盟を結んでたイタリアは仏伊協商を結んだばかりでフランスとの関係を重視し唯一の支持国であったオーストリア・ハンガリー帝国も消極的な支持に留まり結局アフリカのフランス領の一部で何も資源の無い領域のドイツへの割譲だけで譲歩せざるを得なくなったんです…さらに1911年にもモロッコのアガディールに艦隊を派遣してモロッコの領土保全と門戸解放を訴えフランスの権益を侵そうとして対立を深めちゃうんです(第2次モロッコ事件)
また1905年に日露戦争でロシアが敗れると「黄禍論」を発表して白人優位の世界秩序構築とその為に日本をはじめとする黄色人種国家の打倒を訴えるけどそれはドイツ帝国主義の正当化と海軍力増強を対英戦ではなく対日戦の為と世界に認識させる意図であったんですけど効果は無かったみたいです…
1908年イギリスの新聞デイリー・テレグラフのインタビューに答えてドイツの内政と外交について語りその侵略政策的内容によって内外から激しく批判され皇帝の権力を憲法で制限すべきと言う論議が盛んになってきます…
第1次世界大戦の勃発に際してはオーストリアとの同盟を重視すべきと主張して世論を参戦に導いたが軍事的に指導権を制限され大戦末期にはヒンデンブルクとルーデンドルフにより政治的にも実権を失っちゃいます…1918年11月9日宰相マックス・フォン・バーデンは一方的に皇帝の退位を発表しヴィルヘルム2世は司令部のあったオランダに亡命!11月28日皇帝は退位宣言に署名しホーエンツォレルン家によるドイツ支配は終焉を迎えます…オランダ政府は政治活動の停止を条件に受け入れを承諾して元皇帝のドイツへの引き渡しを拒みヴィルヘルム2世はユトレヒト州ドールンでかつての臣下を罵りながら趣味として木を伐る余生を過ごすことになっちゃいます…
1921年4月11日アウグステ・ヴィクトリア皇后が死去し同年11月5日ヴィルヘルム2世は兄系ロイス公女ヴィルヘルム・ヘルミーネと再婚wヴィルヘルム2世はオランダ亡命中も常に復位の希望を抱いて戦後もドイツの保守派に対して一定の政治的影響力を保ってたんですwドイツ本国に留まってた元皇太子ヴィルヘルムはナチ党に入党しており1931年にヘルマン・ゲーリングがオランダを訪れてヴィルヘルム2世に面会してますwヴィルヘルム2世は復位の希望からナチ党政権には好意的で1940年ドイツ軍がパリを占領した時にはヒトラーに対して祝電を打った程でしたw復位への望みもあったけどナチスから年金を貰ってた事と自らの保身もありヒトラーには好意的だったんですけど…ヒトラー自身は復位させる気は全くなかったみたいですよ!
1941年6月4日ヴィルヘルム2世はドールンで死去…享年82歳…ヒトラーは最大級の栄誉をもって葬儀を行うよう指示し元皇帝は軍の催した式典によって華々しく葬られましたw
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