『母を訪ねて3000円』

歴史って見る角度を変えると面白いかもよぉ♪『最後』に拘る♪

最後の皇帝

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マクシミリアン

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マクシミリアンは最初で最後のメキシコ帝国皇帝w

1832年7月6日生まれでハプスブルク家のオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の実弟w
1854年オーストリア海軍の司令長官となって
1857年にベルギー王レオポルド1世の王女シャルロッテと結婚しますw
同年ロンバルド・ベネチア王国の総督となるんですよ!

この頃メキシコでは自由主義的な改革を推進しようとするベニート・ファレスらと
保守派の間で内戦状態(レフォルマ戦争)となってて1861年迄にファレス側が優勢となりますw
そのため保守派はフランス皇帝ナポレオン3世と結んで巻き返しを図っちゃうんですよ!
同年アメリカ合衆国が南北戦争に突入して介入が困難だったのもあって
フランス等がメキシコに軍事干渉を行い1864年フランスのナポレオン3世
オーストリア皇帝の弟であるマクシミリアンを傀儡として帝位に就けたんです!


でも国民からの支持を得られなかったんで南北戦争を終えたアメリカ合衆国がモンロー主義
基づきマクシミリアンの即位に反対したのとマクシミリアン自体が自由主義的思想だったから
メキシコの保守派と良好な関係を築けなかった事等でマクシミリアンの地位は当初より非常に
脆いものだったんですぅ…

さらにヨーロッパ本国でプロイセンが急速に強大化しちゃったんでフランスはメキシコ問題に
拘泥することを望まなかったんですよ!そのためメキシコの自由主義勢力が勢力を挽回させて
保守派を破るとナポレオン3世はメキシコ支配を諦めてフランス軍を撤退させちゃいます!!
このため孤立無援となったマクシミリアンは自由主義勢力に捕らえらちゃいます…

1867年6月19日銃殺刑に処されちゃうんです……享年36歳…

実兄のフランツ・ヨーゼフ1世とはとっても仲の良い兄弟
実弟の死を知ってフランツは悲しんだみたいです…

またナポレオン3世はこのメキシコ干渉の失政で元でフランス国民の信頼を失って
結局フランス第二帝政が崩壊する遠因となっちゃうんです…

閉じる コメント(2)

前から思ってたんですけど、その頃のオーストリアってギリギリながら権力持ってたんじゃないんですか?ナポ3世の力がマクシミリアン1世に及ぶほどフランスに力があったのかも疑問なんですが・・・記憶がとぎれとぎれなんで妙な問いだったらすみませんm(_ _)m

2005/12/11(日) 午後 4:52 [ ojo**no3 ]

この頃のオーストリアってかなりギリギリですよ♪ナポ3世の影響力もそれ程でもないですけど…やはり欧州では当時台頭して来たプロイセンもあって限界があるんで一応親戚のハプスブルグ家を担いで外洋に出るしかなかったんですよね…

2005/12/11(日) 午後 11:55 まるこ


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