ナポレオン3世は第二帝政時の皇帝でフランス最後の皇帝ナポレオン・ボナパルト(ナポレオン1世)の弟であるオランダ王ルイ・ボナパルトとナポレオンの妻ジョゼフィーヌの連れ子であったオルタンス・ド・ボアルネ(オランダ女王)の 三男として1808年4月20日パリに生まれwナポレオン1世の甥にあたりますw 王家の息子の為に裕福な生活を過ごしてたけどナポレオン1世が1815年に ワーテルローの戦いに敗北すると亡命生活を強いられちゃうんです… 7月王政打倒を訴えて2度反乱を起こすけど失敗…2月革命勃発後は補欠選挙で当選し議員として フランスに復帰します!第二共和政期に対抗馬カヴェニャック将軍に圧勝して大統領に当選しますw 大統領で権力を蓄えた後1851年12月2日にクーデタを起こし翌年にはナポレオン1世と同様に 国民投票を経て帝政を開始しナポレオン3世として君臨するんですよ! その後ナポレオン3世の治世は1852〜60年迄を『権威帝政』と言い 1860年1月23日に締結された英仏通商条約(自由貿易への転換)から1869年迄を『自由帝政』 1869〜70年迄のエミール・オリヴィエ内閣を『議会帝政』と呼ぶんです… 『権威帝政』では産業資本の利益援護政策を推進してパリを大改造する等の大成果を上げちゃいます! 『自由帝政』では立法院に対し大幅に権限を譲歩し民衆に自由の道を開いたんですw でもジャーナリズムを軽視したんでメキシコ干渉後は大幅にその権威を悪評によって傷つけます… その為1869年からエミール・オリヴィエの第3党の育成に取り組んだけど普仏戦争敗戦で頓挫… 前年にはパリ万国博覧会を開催したりしてますwこの万博には徳川幕府も出展してますね! 1854年クリミア戦争にイギリスやオスマン=トルコ帝国側で参加しロシア帝国を破りパリ条約で 世界にフランスの威力を見せつけ1856年にはイギリスと共同してアロー戦争を引き起こし 清朝を屈服させちゃい1858年にインドシナへ出兵してコーチシナ植民地を獲得するんですw 1859年イタリア統一戦争に介入しサヴォイアとニースを獲得してるんですよ! 1861年にメキシコ出兵など積極的な対外政策を取って 1864年にオーストリア皇帝の弟マクシミリアン公をメキシコ皇帝に就けたりしてますw でもファレス率いる共和軍やアメリカの抗議により1867年に撤兵しちゃうんですよ… この出兵は著しく彼の威厳を傷つけ第二帝政は崩壊に向かっちゃいます! ちなみに幕末期の日本にも進出し戊辰戦争中の徳川幕府を多方面で支援してますねw1870年スペイン王位継承権でプロイセンと争いビスマルクの計略(エムス電報事件)により 7月19日宣戦布告しちゃいます(普仏戦争)! 部下の失策により序盤から戦局は劣勢となり9月2日セダンの戦いに自ら出陣するけど 腎臓結石だったんで行軍もままならずプロイセン軍に包囲され降伏して捕虜となっちゃいます… パリ市民の反感を買い2日後失脚し第二帝政は幕を閉じちゃうんです… 1871年3月それまで亡命先としてたドイツからイギリスに亡命し 1873年1月9日亡命先イギリスのカムデン・プレイスで死去…享年65歳… その息子ユジューヌ・ルイ・ナポレオンは英軍に入り1879年にアフリカ南部で戦死してます… |
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