コンスタンティノス2世はギリシャ王国最後の国王
1940年6月2日 パウロス1世と フレデリカ・ハノーヴァーの子として生まれますw
実姉は スペイン王スペインファン・カルロス1世王妃ソフィアです!
20歳の時にローマオリンピックに出場し セーリングGold Dragon Classで金メダルを獲得します!!
24歳の時に 現デンマーク女王マルグレーテ2世の実妹 アン=マリーと結婚してますw
国王としては首相 ゲオルギス・パパンドレウとかなりの緊張関係にあったんですよw
ギリシャ王国軍の指揮権を巡り国王と争ってたんですね!! 軍人の皆サンはいー迷惑かも!!
パパンドレウが1965年に首相職を辞任しちゃって政局が不安定化したんで
1966年4月21日に軍事クーデターが生じるんですよ!
同年12月にコンスタンティノスは家族を連れてローマに亡命脱出しちゃいます…
その後も国王不在のまま形だけの王制が続いていたけど1973年に当時の軍事政権は
ついに 『王制』を廃止し 『共和制』を宣言しちゃうんです……
翌年にはコンスタンディノス・カラマンリス率いる民主化政権のもとで2度目の国民投票が行われ
大差をつけて正式に 王制の廃止が決定しちゃいました…
ギリシャの民衆と政治家の中には軍事クーデター前後における政治の混乱を
実はコンスタンティノス2世が原因だとする意見がとっても多いんですw
パウロス1世とギリシャ共和国双方で首相の重職を務め
後には大統領職も務めたコンスタンディノス・カラマンリスは ―――
コンスタンティノス2世をパウロス国王のわんぱく坊主だと軽蔑してるんです!!
他の政治家の中にはコンスタンティノス2世を単に馬鹿者と呼ぶ者迄いたんです…
国民投票の動向が決定した1974年12月8日のラジオ演説でカラマンリスは ――
『今日、国家のガンが国民全体により否定された』と述べてますw
これは当時の世論の如実に物語ってるんですよね…
長年に渡りコンスタンティノス2世は ペルソナ・ノン・グラータとしてギリシャへの入国を
拒否されており 王室財産に対する権利を主張してます……
ギリシャ政府を国際司法裁判所に提訴する為に彼は自分自身に 苗字をつける必要に迫られます…
彼は イタリア語でギリシャを示す『Degrecia』を自らの苗字に選んだんです!
今コンスタンティノス2世は 65歳…とっても元気でいらっしゃるそーですw
ペルソナ・ノン・グラータとは外交用語のひとつでラテン語で「好ましからざる人物」の意味なんです!これから慣用的に「歓迎したくない人物」を指すこともあるんですねw外交団員の一員となるには外交官になる必要があり外交官になるには本国政府にそう認められると同様に派遣先政府にもそう認めてもらわねばならないんです!!相手国から受け入れを認められた場合は「アグレマンがされるけど逆に拒否される事もあるんですよ!……これが「ペルソナ・ノン・グラータ」なんですwこの拒否はいつ何時でも一方的に発動できてその理由を提示する義務はないし受入国が提示する事にも問題はないんです!!
…ちなみにギリシャ王国はギリシャ独立戦争によりオスマン=トルコ帝国から独立したギリシャに
設けられた王国で欧州列強諸国によってバイエルン王国やデンマーク王国の王子が王位に
据えられたんで国内での支持基盤が弱くて政変が相次ぎ安定しない王国だったんです!!
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