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鎌倉時代に足利義氏の孫の国氏が吉良氏を興した伯父吉良長氏の養子となって
その遺領のうち三河今川荘(愛知県西尾市今川町)を分与され“今川四郎”を称したのに始まります!
この今川国氏は長氏の実子とも言う噂もあるんですよ!!
西尾市今川町には愛知県によって建立された今川氏発祥地の石碑(画像)があります!
吉良氏&今川氏の祖長氏は足利氏惣領を継いだ泰氏の兄にあたるんで吉良氏と並んで
足利一族の中で重きをなしてたんですよw
鎌倉幕府滅亡後に建武の新政を経て南北朝時代になると今川範国らが足利尊氏の北朝に属し
各地で戦功を挙げて駿河・遠江両国の守護に任ぜられたんですね!
範国の嫡男範氏は観応の擾乱に際して尊氏方について功を立て駿河守護職を継承し範氏の系統が
今川氏嫡流として駿河守護職を世襲して行くんです!!
また範氏の弟の貞世(了俊)は管領細川頼之に九州探題に任じられとして南朝勢力の
権勢が強かった九州を平定するけど応永の乱で鎌倉公方足利氏満との関係を疑われて解任され
遠江半国の守護となりその子孫は守護職を斯波氏に譲った後も遠江に土着して駿河今川氏に仕えます!
徳川家康の正室築山殿の実家瀬名氏はこの遠江今川氏の流れなんですよw
15世紀末に至り伯父北条早雲の助けで家督争いに勝利した今川氏親は遠江に侵攻して平定し
遠江守護職をも獲得し領国内では分国法を定めて今川家を戦国大名に発展させたんです!
氏親の嫡男氏輝の早逝後に家督争いに勝利した弟今川義元の治世で最盛期を迎え三河に進出し
松平家を服属させ尾張織田家と戦うけど……桶狭間の戦いに敗れて戦死しちゃいます……
義元の跡を継いだ氏真は三河に自立した松平家(徳川家康)と今川家との同盟を破棄した武田家との
挟撃を受け数年の間に領国三河・遠江・駿河を奪い取られてしまうんですよぉ………
氏真は1568年最後の拠点掛川城を明け渡しちゃうんです…
戦国大名としての今川氏は桶狭間の戦いからわずか8年で滅亡しちゃうんですよ…
その後今川氏真は京都で隠棲してたけど嫡子範以が病没した後に徳川家康に召し出されて
江戸幕府に出仕し500石を与えられて幕臣に列する事になるんですw
これには幕府開府を目論む徳川家康が足利一門今川家の末裔を擁す事で
次期天下人としての正当性を持とうとしたとの逸話もあるんですねw
故範以の嫡子直房は徳川将軍家の京都への使者を務めた功により500石の加増を受けて
以来今川家は 高家として幕末まで存続するんです!
幕末の当主 範叙は幕府老中をも務め高家として 官軍との講和や江戸城無血開城に尽力するけど
明治維新後家禄を失って没落し嫡子淑人にも先立たれちゃうんですよ……
こうして1887年範叙の死によって完全に今川家嫡流は断絶しちゃうんです…
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