『母を訪ねて3000円』

歴史って見る角度を変えると面白いかもよぉ♪『最後』に拘る♪

最後の皇帝

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フサイン・イブン・アリーはメッカのシャリーフ

オスマン=トルコ帝国からのアラブ独立運動指導者で後のヒジャーズ王国の最初で最後の国王
フサインは1853年メッカのハーシム家に生まれてます!
1893〜1908年迄オスマン=トルコ帝国アブデュルハミト2世の命でイスタンブルに住んでますw

1908年フサインはメッカのアミール(太守)となってます!!
当時メッカを中心とするヒジャーズ一帯はオスマン=トルコ帝国支配下にあって
半自治的な位置づけにあったんですよ…
ヒジャーズを支配するのがシャリーフで一般にはイスラム預言者ムハンマドの子孫を言うけど
メッカのアミールはシャリーフから命じられた存在だったんです……

                  http://www.jetro.go.jp/turkey/middleeast/p_miru/riyadh_p_miru_images/riyadh_p_miru_36.jpg アル・マスマック宮殿

第一次世界大戦中1915年イギリスのカイロ駐在の高等弁務官マクマホンと書簡を交換し
オスマン=トルコ帝国に反旗を翻す時に支援するという「フサイン・マクマホン協定」を結んだw
そして4人の息子と共に「アラブの反乱」を起こして1916年独立を果たしたんですよ…
このときフサインはイラク・シリア地方・アラビア半島を含む大アラブ王国を構想してたけど
イギリスは既にサイクス・ピコ協定でこの地域をフランスと一緒に分割する方針を決めてたんで

アラビア半島全域を統治するヒジャーズ王国を創始することになったんですよ!

1920年以降はオスマン=トルコ帝国の脅威が消滅したんでイギリスの援助も途絶え
1924年オスマン家アブデュルメジト2世がカリフを退位した機にイスラーム世界における権威を
求めカリフを自称するんだけどほとんど全イスラム世界から黙殺されただけじゃなくて
カリフ位を理由に重税を課したんでヒジャーズ内部からも広範な反対を招く事になっちゃうんですw
結局在地勢力からも見捨てられちゃって
ワッハーブ派イブン・サウード(後のサウジアラビア王国初代国王)にメッカを奪われて
孤立無援となって最終的には王位迄奪われてキプロス島への亡命を余儀なくされちゃうんです…

ヒジャーズ王国は建国後わずか8年でその歴史に終わりを告げたんです……

1931年アンマンで死去……享年80歳……遺体はエルサレムに葬られました!

その後フサインの長男ファイサル・イブン・フサインはイギリスの援助でイラク王に即位しています…
次男アブドゥッラー・イブン・フサイントランスヨルダンのアミール(後にヨルダン王)
イギリスによって立てられてますw
これが現在のヨルダン王家の直接の祖なんですね!!

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